「アメリカの「正義」が崩壊した今、改めて観ると封切り当時の印象が大きく変わる。」プライベート・ライアン あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカの「正義」が崩壊した今、改めて観ると封切り当時の印象が大きく変わる。
星条旗で始まり星条旗で終わる映画である。
1998年の公開。1978年の「ディア・ハンター」、1979年の「地獄の黙示録」以降、戦場を舞台とする映画はベトナム戦争ものとなる傾向が強くなっていた。ところがこの年、第二次世界大戦を取り上げた本作と「シン・レッド・ライン」が相次いて公開され、何故今頃になってと思った記憶がある。これはもちろん映画の企画時にノルマンディー上陸から50周年という節目があったから。そこで冒頭近くオマハビーチの戦闘シーンが長々と続く。これがかってないほど「リアル」であるというのが当時の売りだった。そして、ライアン二等兵を探しに行くというテーマがそもそもそうであるように、戦場に人間性を見出すドラマとしての位置づけも高く評価された。
でも果たしてそうなのか?この映画はよく知られているように1962年の「史上最大の作戦」を換骨奪胎した作品である。オマハビーチ、敵陣に降下した空挺師団、橋の奪い合いなどはいずれも「史上最大の作戦」そっくりそのまま。これらの場所をトム・ハンクス演じるミラー大尉が部下を引き連れて地獄旅を続けるという趣向。でもヒューマニズムを表現したい、もしくは反戦・非戦を訴えたいと言うことであれば、あれ程の残酷なシーンが必要なのか?「史上最大の作戦」レベルで十分ではないか?要するに見世物として迫力があればあるほど興行収入を稼げるでしょということでしかないのでは?
もう一つ、スピルバーグが表現したかったこと、それはアメリカの正義である。そもそもヨーロッパの解放というものは、アメリカが神に代わってファシズムを成敗するというニュアンスである。
ユダヤにルーツがあるスピルバーグはそこをどうしても戦争から50年以上過ぎた時点で世界に思い起こさせたかったのに違いない。さらに彼が付け加えたのは家族愛や任務の貫徹といったアメリカ人の大切にしている倫理観。これらが例によってトム・ハンクスのどうにもくさい芝居で描かれる。
さて1998年というのはバックス・アメリカーナのほぼ最後の時期にあたる。この2年後に多発テロが発生し、続いてアメリカは大義のない中東での戦争を引き起こしていく。経済的な支配は続いているが、これは世界的な富の不平等に結びついている。また家族愛も、エゴイズムやレイシズム、非科学的宗教観などと強く結びついていることが分かってきている。
つまり今となっては、この映画はもはや素直には受け取れなくなっていているのが正直な印象である。「シビル・ウォー」の後で観たりすると特にね。
コメントありがとうございます。
不勉強だったのですが、そうらしいですね...日本の方が人道的に問題ありだと気づかされました。ただ作品は画面の残酷性とのギャップに違和感が残ります
共感&コメントありがとうございます。
黒人・・そうですね、ドイツ兵の描写についても恣意的な気がしました。
スターリングラード、ランボーにどんな新たな感情を抱くのか、我ながら気になります。
自分は今作を観た後、シビルウォーを観たので、感じた違和感ヘの回答の様に感じました。史上最大の作戦も観ましたが、こんなもんじゃない! 思いが序盤なんでしょうね。そう言えば戦没者墓地も無かった。