「バック・イン・ザ・U.S.S.R. 誰もが“赤い“ステテコを欲する世の中で、人間の尊厳とは何かを探す旅に出よ!」不思議惑星キン・ザ・ザ たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
バック・イン・ザ・U.S.S.R. 誰もが“赤い“ステテコを欲する世の中で、人間の尊厳とは何かを探す旅に出よ!
“キン・ザ・ザ星雲“にある砂の惑星“プリュク“へと転送されてしまった2人の男と、彼らから“カツェ“=マッチを巻き上げようと目論む2人の旅芸人との珍道中を描いたSFコメディ。
ソ連で1,500万人以上の観客動員数を記録したと言われる、知る人ぞ知るカルト映画。
「デューン」シリーズ(1969-)と『スター・ウォーズ』シリーズ(1977-)のパスティーシュの様でありながら、その内容はどこまでもシュール。常に予想の斜め上を行く珍妙なストーリーと奇天烈なルックが強烈な、一度観たら忘れる事が出来ない映画である。
監督はグルジア(現在のジョージア)出身の巨匠ゲオルギー・ダネリヤ。
彼の政治思想やフィルモグラフィーは知らないのだが、ジョージアといえば旧ソビエト連邦領の中でも反ロシア派として名が通っている。ソ連の崩壊に伴い1991年に独立を果たしたが、長きに渡りロシアに支配されてきた不遇の国である。そこで生まれたダネリヤ監督の胸中に、ソ連に対する不信感があったとしても不思議ではない。
そう考えると、本作で描かれるキン・ザ・ザ星雲の描写は示唆に富んでいる。
マッチの保有数により社会的階級が定められるというプリュクの制度は、普通に考えれば資本主義国のメタファーであり、本作はそれを痛烈に批判した作品の様に見える。ソ連当局の検閲を掻い潜れたのもこれが大きな理由なのだろう。
しかし考えていただきたい。ステテコの色により身分が分けられているプリュクで、マッチの大口保有者に与えられているステテコの色は何か。それは勿論“赤“である。
また、プリュクにいる二つの民族、「チャトル人」と被差別民「パッツ人」。この二者は見た目の差異は全く無い。識別機械をかけた際の光の色でのみ判別が可能なのだが、チャトル人は何色に光るのかといえば、これも当然“赤“なのだ。
そして、キン・ザ・ザ星雲にあるもう一つの星、自然あふれる“アルファ星“はどうか。階級差別も人種差別もないユートピアの様に見えるが、それは異文化の人間をサボテンに変えてしまう事で成立する仮初の平等と平和。プリュクとはタイプが違うというだけで、ディストピアである事に違いはないのである。
この白々しい“万人の平等“に、共産主義への皮肉が込められていると思うのは牽強付会に過ぎるだろうか。
プリュクからもアルファ星からも脱出し、地球へと帰還する2人の男たち。この2人はかたや傲慢、かたや盗癖があるというなかなかに食えない者たちなのだが、鼻輪や檻、お辞儀の強要など、人間の尊厳を踏み躙るプリュクの文化に争い、自己犠牲を被ってでも他人を助けようという思いやりの精神の持ち主である。
珍奇な物語だが、この作品にには道徳的な規範が確かに存在している。楽園とはシステムではなく“人間“が作り出すものなのだ。
社会風刺的でもあるこのブラックなコメディは、ソ連の「モンティ・パイソン」と呼ぶに相応しい。
正直に言って間延びしているし、絵面が変わり映えしないので飽きがくるのだが、これほどユニークな作品もそうないのではないだろうか。
カルトとして名が残っているのも納得。いやなっとクー!