劇場公開日 2022年3月18日

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「これを超える作品にまだ出逢えていない」フォレスト・ガンプ 一期一会 うめ太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0これを超える作品にまだ出逢えていない

2024年11月5日
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この映画の素晴らしさを超える作品に、まだ出会ったことがない。

本当に美しい映画。

彼の語りで始まる物語。
コメディとして軽く端折られた表現は、彼の悲しみや悲壮を、根底に想いながらも強い苦痛を与えない。

卓球の超絶ラリーの部分などは秀逸に面白い。

今にして思えば、その「語りの軽さ」は彼の中に「恨み」が存在しないからなのだ。と、気付く。

いじめから逃げるための足、誰も隣を空けてくれなかったバスで隣を空けてくれた人との縁、恩を怨で返して来た人がもたらした果物!!!

トントン拍子に極端なのはコメディだからこそであるが、
結果全てうまく行ったのか?と言うとそうではない。サクセスストーリーではないのだ。

ラストのフォレスト・ガンプのセリフのように、人生ではいい事と悪い事が同時に起きることもあるということ。偶然なのか必然なのか、結局良いのか悪いのか、判別はつけ難いと言うこと。コメディタッチに楽しく見ながら、結局最後はラストを思い出すたびに涙ぐみ、人生の本質のようなものに想いを馳せている。

彼は何の教訓も語らない。悪いことが良いことに繋がった!と、苦労からの成功の希望や綺麗事を見せるわけでもない。だから、ずっと考えるのだ。
「不運」のように産まれ、「幸運」のようなものに巡り合わせがあり、また「不運」のようなものがあり。
ストーリーの中で、何が良かったのかとか、何が悪かった、こうしていれば、を評価させない。後悔もさせない。
ただずっとフォレスト・ガンプは彼そのもので在ったということ。
誰かのためにこうしないと、とか、誰かのせいでこうなった、と言う思いでヒネ曲がらず、まっすぐに優しく善良で愛情深く在ったということ。
今あるものを大事に、想いに正直でいると言うこと。

その「美しさ」は、他に類を見ず、他に形容することが出来ないのである。

彼は監督が語ったように、「光」である。
人が何かしらの闇や孤独に覆われ、だからこそ、彼の光としての「在り方」は人に何かを与え、救う。
ジェニーにしても、普通にいろいろ考えるならば「ヤバい女」なのであろう。でも彼の中にそういった「評価」は無い。子供の頃に優しくしてくれた、自分をいじめなかった美しく優しい愛する人でしかない。自分を薄汚く落ちぶれた人間だと思っていたであろうジェニーにとって、彼の中の永遠に美しく優しいジェニーである自分に、どれだけ救われたことだろう。薄汚い男を見続けて来た彼女に、どれだけ彼は美しく見えただろう。

人の闇を存在そのままとして照らす(いじめっ子や冷たい人たちも照らされ、その闇を浮かばせる存在として)フォレスト・ガンプ。

彼と親しみ、愛した人は、闇を照らされながらも、己が光を持っていることにも気付かされた人たちであり、それは幸せであったと、ラストの2人の後ろ姿を思い浮かべて今日も涙しながら、そう思う。

1988年のレインマン。1990年のレナードの朝、2006年のアルジャーノンに花束を…名優が演じ、「何が幸せなのか?」を視聴者に問う作品はどれも名作だが、この作品は、特に想いが残り、しみじみといつまでも続く静かな感動を、一生忘れない作品である。

うめ太郎