8 1/2のレビュー・感想・評価
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"40代半ばにして自信を失い、身動きがとれなくなった男" というコ...
"40代半ばにして自信を失い、身動きがとれなくなった男" というコンセプトだけが自分の中で決定しているが、映画はちっとも進まない。有名監督になった男の苦悩を描く話。
主人公は、「思い描く理想の女性像と現実とのギャップに思い悩んでいる私」 を撮ってみようと思い立った。ありのままに自分を描いてみようと素直に撮っていった。そうして撮れたものは、「自らもすでに齢40に達しているくせに、『年齢が上になった女は2Fに登り、そこで静かに暮らせ。(俺が他の若い女たちと楽しむ1Fに降りてくるんじゃない)』 とほざく男。まるで "ハーレムの長(おさ)" の絵」 だった。まさに ”クズ” だ。 おいおい、さすがにこの絵では共感してくれる観客は多くないのではないかという、ようやく認められた映画監督としての、耐え難い恐怖。
フェリーニ監督本人が、前々作 「道」 でアカデミー外国語映画賞を受賞し、前作 「甘い生活」 ではカンヌ パルムドゥールを獲得。ここまで高めてきた周囲の期待を超える "次の映画" (本作である)はなかなか撮れず、毎日圧し潰されそうだ。そんな八方ふさがりで苦しみぬいていたある日、まさに天啓のように、主人公に光が降ってきた(もしくは、心の中に突然光がきらめいた、か)。
本作を観る前に、本作にまつわるさまざまなエピソードを、みんなのレビューから事前に学んでおいたおかげで、話に置いて行かれることもなく、観ることができた。きっと、"監督の思ったままを忠実に描いた映画" なのだろうとも思った。
ただ正直な感想は、「これが素晴らしいの?面白いの?」 だったなあ。俺にはあわなかったってことか。やっぱ、もっともっと学ぶことがあるらしい。映画の深さって、底知れないなあ。
追伸
L'ATALANTE というサイトで語られている、「『フェリーニの8 1/2』 という無敵の映画のこと」 という評が、いちばんしっくりきたかなあ。
おまけ
本作のオープニングが 「(煙草を吸う)大人たちの目から逃れたい」 というイメージを喚起するということは、いくつかの解説を読んで、事前にインプットしていった情報だ。なるほど。
しかし実際に観た俺は、どうだったか。まったくピンとこなかった。 「上のように感じた人は、よくぞ、そんな風に受け取ったな。受け取れた人たちの想像力が豊富だ」 という感想。自分の感受性の低さか、あな悲し。
とても退屈
ハッとする場面がちょいちょいあって気が抜けないのだけど、全体的には退屈で、物語のフックが弱いし、主人公に魅力を感じない。距離を置きたいリアルな女しか出てこない。主人公に魅力を感じたり共感できればずっと面白いのかもしれない。ただ、ずっといつか見なければと思っていたのでようやく気が済んだ。
どうせ死ぬから
影響を受けていない映画監督なんかいるの?
タランティーノのパルプフィクションの例のダンスの元ネタの一つとしても有名な作品。
デビッドリンチの自宅の玄関先に唯一貼ってある映画のポスター。
渋滞シーンは、REMの名pvエビバディハーツや、
ララランドの冒頭シーンの元ネタ。
ラストシーンの人生はお祭りだ!が、
テレビ版エヴァンゲリオンのラストにどっれほど影響を与えたことか、アニオタのみんなは流石に知っているよね?
今敏からダーレンアロノフスキーに繋がって、クリストファーノーランに至るまで、一体どんだけ影響あるんだ!!
作品どころか、要所要所が各映画に影響を与え続けている作品。
映画どころか、アニメ、漫画、小説、ドラマ、昨今はどこを見渡してもその影が過ぎる。
本作は一頭の牛であって、そこのロースを切り取るかカルビを切り取るかタンを切り取るかはそれぞれだが、映画好きなら避けては通れない作品。
腐るほど語られ尽くしてきたし、これからも語られ続けるであろう。
古い名画をみる尺度
いまおもえば、昔は凝った映画があった。
現代人は忙しくて美学に与していられない。端的に面白がらせてくれる映画を好む。──ということ、なのかもしれない。
8 1/2を見返していると、その到達している値に感心し、ペーソスに共感する。
車の上で両手を開き帆のように風を受けているグイド。陽気にダンスする醜女サラギナ。黒縁をかけて黒いカウボーイを被り、シーツをトガのようにまといムチを振るグイド。マントを背に楽隊を連れて行進する幼グイド。それらは教典のように一般化したシンボルであり、こんにちの映画に、そのようなキャラクター設定を見ることはできない。
が、見ていて、正直な感想としては、まどろっこしい。
評点するなら、名画には天井がない。
が、じっさい見ていて、どうだろう。アベンジャーズのほうが楽しいんじゃなかろうか。古典と現代の映画の間には、この種のジレンマがつきまとう。新しけりゃいいってもんじゃないが、巷間ではつねに新しい映画が価値をともなう──わけである。
ただ個人的には、古典名画を面白かった/面白くなかったという観点だけで評点してしまえるほど、強くはない。
そもそも、古典に描かれた人情に与しなくなったのは、それが経年のあいだに、数限りなく模倣されてきたからだ。
誰の幼少時代にも、どこかにかならず存在する淫奔なサラギナや、ひとりになって幕間に消える子供のグイドが、それほどの哀感たりえなくなったのは、たんに、わたしが、年をとって、その間にもさまざまな創作に触れてきたからだ。そのことを度外して、古典に現在評価をつけることはできない。それは強いというより、不遜なことだと思う。
まったくのところ、現代社会から見るとき、グイドの低回や周囲にたいする狭量は、どうでもいいようなポゼッションに基づいている──と思う。感傷も過ぎる。
が、それは、わたしが苦悶する主人公という設定に、数限りなく触れてきたからにほかならない。
そして、なぜ悩める映画監督が、冗長なキャラクターになってしまったかといえば、世界中の人々が8 1/2のグイドのキャラクターを愛し、影響を受けてきたからにほかならない。
すなわち古典がまどろっこしく見えるのは、フェリーニが愛され、数多の創作の主人公のなかに伝播して宿ったからだ。──と思っている。
そもそも古いものを見て「古い」という感想を持つなら、古い映画を見たりはしない。映画と自分の間、1963年と今の間、それを埋めるのは鑑賞眼そのものである──と思う。
映画は、縦横に寄り道し、アイデアをはらみながら、言いたいのは追憶と悔恨であろう──と解釈している。
やくたいもない大人になって、振り返ってみると、愛憎と慚愧だけがあって、子供時代を脱してから、純心だったことはひとつもない。──という普遍の気分が描かれている。
がんらいペシミスティックな映画だが、フェリーニはほんとは道や崖のように、絶望に費えるのをやりたかったのだが、興行観点から多少の希望をかいま見せた──ような気がした。
君はこの映画がわかるか?
冒頭の部分.主人公が車に乗っているといきなりタバコの煙のようなものが湧いてきて苦しみ始める。そしてそれを周りの大人たちがじっと見ている。すると突然車から解放され、ふわっと気持ちよく空に舞い上がっていく。これで自由になれたと思ったら・・・ここで言うタバコの煙とは大人の社会の象徴であり、この映画の中で煙草を指に挟んでるやつから逃れたいという暗示である。まずこの部分をぼーっと見てしまうとこの映画はさっぱりわからなくなるだろう。私も初めて見た時、何がなんだか全くわからなかった。だからとてつもなく長い140分で苦行のようにつらかったの覚えている。私がこの映画をわからなかった一つの大きな理由は女性経験が少なかったからだと思う。その後私も少しはモテるようになり何人かの女性と同時に付き合い、結婚もしたりすると、この映画の面白さが身にしみてしまうのだな。
この映画の面白いところはそれを不条理で混沌としたストーリー構成で表現している点だ。ストーリーなんてものはそもそもない。どこまでが現実でどこからが空想なのかさえよくわからない。この後こういう感じの映画はずいぶんたくさん作られたがこれが最初の傑作かな。 カメラワークも実に面白いところがたくさんある。 例えば最初に愛人が現れる部分。 最初のカットではとてもキュートで可愛く見えるのだが、 他の物を映して、また彼女にカットが戻るとそのたびにだんだんアップが大きくなっていく。そうすると、かわいい→威圧に変わっていく。 また別なシーンでは 可愛い女がやってきてそれをカメラがフォローしていくと 突然て手前にその子そっくりな醜い年増女が立っていてびっくりする。 そんなカメラワークの工夫が 全般にわたって凝らされている
最後は盛り上がって楽しそうに監督をしているが、そこがそこはかとなく悲しく寂しいね。それまでのシーンでずっと彼の内心を描いてきたわけで。ラストシーンで彼は楽しそうに仕事をしてるが心の中はあーなんだなあなんて。
ただ、やはり長いので疲れる。体力の自信にない人は途中でいっぺん休むことをお勧めする。
映像と音楽が融合するってこういう事
現実世界も空想と過去の記憶やらが入り混じって、1度鑑賞したぐらいでは、作品の全てを理解する事は到底不可能かと思います。
少なくとも僕には理解できなかったのです。
そんな僕に理解できたところは映像と音楽がアンバランスなのに、何故か融合してしまっている事。
お茶を飲んでるところでワルキューレの騎行?と思うがそれが何故か物凄くマッチしてしまう。
映画が現実や空想からとユラユラ揺れてるので、映像と音楽が合ってなくても合ってしまうのかな。
頭がぼっーとして、何となく映画をみてしまっているのだが時折突き抜けるような鋭い台詞もある。
そんなときは現実に戻される。
現実と空想をユラユラと揺れるなんだか麻薬のような映画でした(麻薬の経験はありませんが)
いつかまた観てみたいと思います。
いつか。
深く考えずにさらっと観た方がいい
難しい。長過ぎて途中で別の事をしていたりして、結局何度も何度も観てしまった。それでこの映画は物を創作する人の苦悩を描いた映画なのかな?と思った。それと主人公の女好きによる別の悩みもその苦しみを大きくする。信頼できる人がいないのだ。過去の想い出と満たされない現実と欲求と失望が入り乱れた映画。類似する映画はそうないだろう。「道」も昔観たことがあるが内容が記憶にないくらい面白くなかった。これはそれより面白かったと思う。
なんなの!?ハーレムなの!?
映画監督の葛藤を描くだけの映画かと思いきや、ハーレム大サーカス的な映画でしたな。
マルチェロマエストロヤンニ、格好よすぎるわ…。あの佇まいだけで只者ではない感…。
ただ、この映画の幼少期と現在とのつながりとかよくわからなかった。同じ環境になったってだけ?
女の人では、やはり奥さん最強ですな。最初は電話でしか登場していなかった奥さんが画面に現れたときのしっくり感たるや。たしかに奥さんに選ぶべき人だわ…。って感じで。
ただ、監督も奥さんの一言一句には心を動かすんですよね、その感じも良かった。
フェリーニが映像の魔術師であることは分かったけど、実際のところ芯くった部分は曖昧に描かれ過ぎていてよくわからなかった。
フェリーニワールドへ引き込まれる
とんでもない傑作
フェリーニ生誕100周年ということで開催されたフェリーニ映画祭。
こちらも名作であるアマルコルドと共に再鑑賞(20.8.13)
フェリーニ監督の映画はそこまで観てないけど、ダントツで今作が一番好き。映画、の概念がぶち壊される
ある批評家の解説で、フェリーニの映画で描かれるものは全て現実のメタファーであると書かれていて、確かにそれをひしひしと感じる
が、それを言葉で綴りたくない。
読み解けないから上手く文章にまとめられないのもあるが、フェリーニの映画は、映画に身を委ねてただ流れに身を任せて鑑賞するに限る。
真実と嘘
過去と現在
現実と妄想
男と女
人生と映画…
この映画に全て詰まってる。人間の全ての要素が、ごちゃ混ぜになって自分の前を行進していく
生涯ベストの映画に出会ってしまった
フェリーニに完敗!?
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