8 1/2のレビュー・感想・評価
全51件中、1~20件目を表示
己の欲望に背かずに
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画。
「創作に行き詰まった映画監督の苦悩…巨匠フェデリコ・フェリーニが現実と幻想を交えて描く自伝的名作」(「洋画専門チャンネル ザ・シネマ」からの引用)。
最初のシーンからすごい。リアリズムに徹した映画ばかり最近みていたが、こんなにも現実と幻想を交錯させ、現実を超越する映像表現が映画でできることを改めて気づかされる。
グイドも物語中で言っているが、映画は何でもありなのだ。もちろん肯定的な意味で。
グイドを取り巻く女たち。女たちは、彼の過去や欲望や母性の希求の表象である。それを物語の現実と幻想に同じ強度で登場させ、境界を融解させる。それは監督自身の現実が映画の幻想に反映され、またその幻想が現実にも作用していることを示しているようである。
ハーレムを幻想することは、現代のポリティカル・コレクトに反するように思える。しかしそれでも己の欲望に背かず描く姿勢は名作と呼ばれる所以であろう。
共感はできるが理解はできない
そもそも人の頭の中ほど難解なものはないと思う
といっても私は元来苦労はしてもあまり悩んでもここまで深く考えずにここまできてしまった
何か一つのことを突き詰めるまで考えたり出来ない
でもこの作品に共感はできます
まだ自分のことを嫌いだった頃かなりの楽しくて深酒をして1人の家へ帰宅した時のこと
大きな姿見の前にへたり込みふと鏡を覗き込んだとこがある
「お前、誰だ?」
自分の顔が鏡に映ってはいるのだがなぜかその時真剣にそう思ってしまったのだ
あの時の感覚は今でも恐ろしくなる
その時から呑んでも鏡を見ることを避けるようになったもしも繰り返していたら正気ではいられない
そこにはなんの意味もないのにだ
フェリーニの頭の中を映し出されても理解などできるはずもない
カオスが永遠に続き全てを解決することなど出来るはずもない
いっそのことまるっと全てを笑い飛ばせたなら
どうせなるようにしかならないのだから
私は悩む前に受け入れる選択を選んだ
考えるのはその後自分がどう動いたらいいのか、そこに力を注ごうと思う
きっとそれがこの作品の最後のシーンに繋がるのかもしれない
だとしたら少しは自信が持てると思う
フェリーニしか作れない映画
やや難解だが簡単に言えば、フェリーニ自身を投影したかのような主人公の女性遍歴や子供の頃の回想と次回作に苦悩する姿の話。特に盛り上がるような場面もなくて、やや退屈で眠くなってしまったが、最後に主人公が自殺した後のグランドフィナーレになったときにあまりにも素晴らしい映像で飛び起きてしまった。
エキストラを含め登場人物の計算し尽くされた動きを追うカメラワークはさすがフェリーニである。
初見から30年…ようやく理解ができました…。
新文芸坐さんにて特集上映「追悼アヌーク・エーメ 巨匠たちに愛された瞳」にてフェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』(1963)を鑑賞。
初見は今から30年以上昔の大学時代。
「イタリア・ネオレアリズモ映画、ヌーベルバーグを勉強してみよう!」と息巻いてみたが当日はさっぱり理解できず…長年もやもや…苦手な作品扱いをしておりました。
今回、主人公のグイド・アンセルミよりもずいぶん歳を食った年齢で再チャレンジ。
なるほど、なるほど。
これは黒澤明監督『夢』(1990)のような監督自身の頭のなかの意識や夢の話。
ラストの登場人物が総出で輪になって踊るシーンも夢だとわかるとすっきり理解できましたね。
「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう。」最後のセリフはこの歳になって腹落ちですね。
アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレも魅力的でしたが、やはり名優マルチェロ・マストロヤンニの洒脱で艶がある佇まいは素敵ですね。
晩年の『今のままでいて』(1978)、『マカロニ』(1985)、『黒い瞳』(1987)、『みんな元気』(1990)が特にお気に入りですが、未パッケージ、未配信なのがとても残念です。
最低の行動から最高の映画を作ってしまう
妄想と映画内現実がシームレスに繋がったり繋がらなかったり。
冒頭の渋滞から主人公が飛んで落ちて、で了解です特に意味を求めませんモードで観ていきましたが、とにかく密度と情報量の濃いカットしかないので10時間くらいの映画見終えたくらいの感覚でした。
夢や老いや欲望をグロテスクにしかしポップに特濃の画作りで連続して見続ける幸福感はたまらなかったです。
未見の映画でこんな凄いものがまだまだあるんだってとても嬉しくなりました。
とにかく凄すぎて2度と観たくないな、と何故か現時点では思っていますが。
正気の沙汰ではない
これは夢か現か幻か…。非常に不思議な映画。逃げても逃げても待ち受けるのは悪夢である。
めちゃくちゃいろんなことが起こるけど実は何も起きていない!(笑)主人公である映画監督の脳内パニックを描いたような、カオスな世界。現実と夢?妄想?の世界を行ったり来たり。観ているこっちもこの場面はどっちだ?どこだ?なんなんだ!わけがわからなくなります。
ただのカオスの垂れ流しなら飽きてしまうでしょうが、妙にテンションが高かったり登場人物達が愛嬌があったり、観てて楽しく引き込まれます。ハーレムのシーンなんかはほぼコメディ。
情報過多で観る側に整理させる暇すら与えてくれない。しかし、「あ、これはあんまり考え過ぎちゃダメなヤツだ」と気づいたら後はもうただただ気持ち良く観れます。しかし、後半になるにつれ徐々に不穏な空気が流れ、精神の限界を感じさせるような展開に。ある意味ホラーでもあります。
地に足がつかないような浮遊感と孤独、不安。安部公房の世界観が好きな人はハマると思います。
人生はお祭りだ
フェデリコ・フェリーニの自伝的作品、ずいぶん久しぶりの鑑賞です。
自身の置かれた映画業界の中で、思いつく限りを映像化したよう。
とにかく登場人物が多く豪華絢爛。
全体的に業界への皮肉と喜びに溢れているようでした。
女性の眉メイクが大胆で豊富、他にもファッションや建造物に小物なども、見ているだけで楽しいです。
しかし終始監督の苦労が耐えないのがすごい伝わってきますね。
他にも細かいエピソードが皆楽しくて、観ていてワクワクするんですね。
すごい広がってしまった風呂敷ですが、「人生はお祭りだ」の一言で全部纏まってしまうのがすごい。
フェリーニの心象風景のような悲喜劇、とても楽しい作品でした。
心に浮かぶ思い出を広げたサーカス的自叙伝
芸術的な作風の映画監督は、なかなか大変なのだろなと。若いうちは創造的な力も旺盛だろうが、歳を取る度にその泉は枯渇していく。8と1/2番目の作品ともなれば、成熟に差し掛かって大成する頃。自叙伝を作るには、少々早い感じがするが43歳の作品らしい。
映画監督に降りかかってくる、様々な雑事、売り込んでくる俳優、媚を売ってくる女性等、フェリーニが体験したことを時制を無視して、突っ込んで映像化している感じだ。
新しい映画の製作に取り掛かろうとする場を扱っているのだが、現場のゴタゴタ、批評家を黙らせるような映画にならない焦り、周囲に女性が多いことからくる妻の嫉妬と不機嫌、
愛人の存在がバレる、本当に気に入っていた女性の到着等が監督に襲い掛かってくる。
そこに、幼少期の頃の彼の原体験ともいえる恥ずかしい思い出なども挟まったり、宗教的な教義やら性的な蘊蓄やら、しっちゃかめっちゃか。
彼には、哲学的、芸術的な確固たる信念のようなものがない故の脅迫観念があったのだ。それに悩み、そこから脱するために女性に救いを求め、得られない。気づいてみれば、乱痴気騒ぎのようなカオスの状態。そこでハタと気づく。このまま無理に作っても意味がない。
自分自体の今までの人生を隈なく陳列をすれば、サーカスみたいなもの。様々な人やらものを引っ張ってきて、何でもあり。それこそが自分なのだと。全体が輪のようになって、サーカスの見世物のように踊るシーンは、上手くまとめたものだと感心をした。
芸術家だけが見ることができる心象風景であり、それを映画にしたのだと思った。心に強く残る作品というよりは、芸術性が高い、稀有な作品だと感じた。
何でも詰め込んだ感じが、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」に、似ているなと思った。
フェリーニ監督の華麗なる私小説‼️
この作品を初めて観た高校生の頃は、正直よく分からなかった。ストーリーらしいストーリーがなくエピソードを並べたような構成、そしてフェリーニ監督らしい豪華絢爛な映像‼️よく分からないけどこれはすごい芸術作品なんだろう、絶対そうなんだと信じ込んでいた‼️その後1〜2年に1回くらい観直すうちに、大分この作品の全体像が掴めてきたような気がします‼️この作品はなかなか新作に手をつけることができず、苦悩する映画監督の姿を描いた作品‼️プロデューサーにせっつかれ、批評家にケチをつけられ、ゴシップ記者に追い掛け回され、女優のわがままに悩まされ、しかも妻に愛人の存在がバレてしまった主人公の、まるで漫画のような現実に、子供時代の回想やハーレムの幻想、それに悪夢が一緒くたに放りこまれている‼️自分の進むべき方向性がわからない人、方向性がわかってもやり方がわからない人、自分をもっと表現したいと思っている全ての人にとってのバイブルですよね、この作品は‼️映画製作の中止で開放感から踊りだす主人公‼️シチュエーションは違っても気持ちわかります‼️理想と現実のギャップに幻想の世界へ逃避してしまう主人公‼️その気持ち理解できます‼️無数の車の中から主人公がふわっと中に浮かび空に飛び立つ‼️地上からロープが伸びて、その先で主人公が空中を舞っているシーン‼️太った乞食女サラギーナの踊り‼️ブドウ酒風呂に入れられた少年時代の回想なのに主人公はマストロヤンニで、帽子にタオルで包まれた姿で鞭をふるう‼️特にラストのロケット内で踊るシーンなんかは、豪華絢爛さに歓喜が加わり哀愁を帯びてくる印象的なシーン‼️しかも一つ一つのシーンがフェリーニ監督のサーカスへのこだわりからか、見世物小屋の芝居のような演出‼️そして美しすぎるモノクロ映像‼️フェリーニ監督の想像力やアイディアの豊かさに脱帽ですね‼️フェリーニ監督は否定されてますが、まるで自伝のような私小説のような内容‼️非の打ち所のない芸術作品でありながら、醜悪で自己耽溺的なコメディでもある私小説なんてホントスゴい‼️
自分の感じた心象風景を喜劇映画がした作品。
内容は、監督フェデリコ・フェリーニの映画創作の閉塞感から来た混乱に向き合う現代演劇に於ける人間の孤独を独自の心象風景を映像化したエンターテイメント作品。印象的な台詞『混乱こそ自分。人生は祭だ!』最後の大団円の場面での台詞。広げた大風呂敷をどうやって畳むのかと思っていたら、この台詞にカタルシスを感じました。印象的な場面では、オープニングの現代的な渋滞の車の中での圧倒的な閉塞感〜自由になった時に、監督としての創作活動の閉塞感へ、そして最後大団円の後の自身の起点となったサーカス🎪を一人寂しく去るエンディングは、映画監督としての業の深さと寂寥感の様な余韻が何とも監督らしく面白かったです。印象的な表現では、ハーレムからの転落と出演者全員集合の圧倒的なフィナーレが凄すぎました。個人的は『貴方の仕事は解答の無い問題を解く事』『君は自由だが選ぶ術を知れ、あまり時間がないから急げ』との台詞回しが良かったです。創作活動の混乱と自己満足が虚構を作る苦悩として描かれて好きです。個人的な監督の創作という作業を表現しているので、抽象的過ぎて分かりづらく困ったという人もいますが、自分としては、監督の心の中を覗き見る行為の中に混乱と苦悩と恥辱感と恍惚感の中に自分の経験を重ねたりする事が出来る素晴らしい映画だと感じました。最近見た映画『君たちはどう生きるか・宮﨑駿』が老年の自叙伝だとすれば、フェデリコ・フェリーニの中年の危機を表す自叙伝の的なものが感じられる作品でした。
男は40歳を過ぎると否応なしに惑う生き物になるものなのだ・・・
イタリア映画のクソリアリズムには閉口したりもしたけれどフェリーニは別だった。ホントに伝えたい事を伝えるには物語がいちばんいいのだ。しかもファンタジーが最適なのだ。惑う映画監督。優しすぎる心根が全ての人間関係をぶち壊す元凶。そんなことは分かりすぎるほどに分かっている。女房も愛人もプロデューサーもシナリオライターも仕事に関係する人間すべてが彼の優しに対して理解を示そうとはせず、彼の実績にしがみつき彼を苛立たせる。しばらく放っておいてやんなよ!と叫びたいくらいに関わりを持とうとする。実にばかばかしいのはこんな人間関係で映画作りも構成されているわけだ。どんな仕事であってもみんな同じ構図であることは間違いないようだ。
妄想が妄想を駆逐し始め、幼少時代の忌まわしい出来事に慄き自らの命を絶ってしまうことだって十二分にあり得たわけだ。しかし、彼は生き延びる。
ラストシーンがそれを象徴していた。いつものパターンではあるけれど、あの屈託のない陽気さはイタリアの太陽の輝く光のせいなのだろう。
フェリーニ8作目の作品で果たして彼は映画をつくることの楽しさを吹っ切ることができたのであろうか?
只々、素敵
人とファッションと建造物が美しい。モノクロでも美しい、モノクロだからなのか。想像を掻き立てられるのか。女好きのマザコン坊やのスランプストーリーは一向に先に進まない。現実なのか夢なのか、頭がモヤモヤしてくるけど。
最後の手を繋いでフォークダンスみたいなシーン好き。
監督の妄想の中で究極的に美化された女神の様なクラウディア・カルディナーレと大団円的なラストが印象に残った
フェデリコ・フェリーニ 監督による1963年製作(140分)のイタリア・フランス合作映画。
原題:Otto e Mezzo、配給:コピアポア・フィルム、日本初公開:1965年9月26日。
フェリーニ監督作品は過去幾つか見ていたが、傑作として有名な本作は未見であった。
一回目視聴では、何だコレは、つまらないという感じであった。その理由としては、訳分からない感と、幾つかのショットの既視感が有り、物語的にも寺山修司監督の「田園に死す」(1974)や庵野秀明監督の「式日」(2000年)との類似性があった。ただ真実は勿論、こちらが本家で、後の作家によりさんざんに真似をされたということなのだが。
ただ二回目視聴では、自分でも意外であったが、この映画に何故か愛しさの様なものを感じた。まず、映画の中でも語っていたが、真実っぽいというか、自己開示の大きさに、相当に驚愕。監督自身の映画創作アイデアの枯渇、夫婦間の隙間風や不仲、妻への家政婦的な期待をあからさまに表現していて、ぶっ飛び。更に、愛人や友人の恋人、通りすがりの人妻への欲望やハーレム志向があからさまに描かれていて、そのあからさまな表現の特異性に唖然。
更に、恋愛映画が造れない、エピソードの単なる羅列、ノスタルジックなだけの思い出の挿入などなど、まさにこの映画がそうだが、自己の映画への批判が自虐的?に散りばめられていて、驚かされた。挙げ句の果てに、監督の願望そのものというか、辛辣な評論家を絞首刑にしてしまう。なんて自分の気持ちに正直な!と、ある意味、感心もさせられた。
ただ、監督の妄想の中で究極的に美化された女神の様な存在クラウディア・カルディナーレ(見ている方も彼女に陶然とさせられた)と、現実の女優としての彼女のギャップも描かれていた。そして、監督が苦悩の末にやっと辿り着いた開き直りの様な映画製作への境地(混乱し矛盾した様な自分流映画作りで良い)や台詞「人生は祭りだ。共に生きよう」のせいか、ニーノロータの音楽のせいか、何故か感動させられてしまった出演者たちの手を繋いでのフィナーレ。そこには彼女の姿は無く、計算尽くされた様な演出・脚本上の手管も意識させられた。
しかし、監督の魔法に騙されているかもしれないが、あの映画の中でロケット発射台と言われていた大規模セット、あれを見ると、監督は本当に別の映画作りを目指していたのか、とは思わされた。最後を、監督自身をモデルとする子役の映像で終わるのは、誰もが有する個人史を思い出させ、上手いなとは思った。
監督フェデリコ・フェリーニ、製作アンジェロ・リッツォーリ、原案フェデリコ・フェリーニ 、エンニオ・フライアーノ、脚本フェデリコ・フェリーニ 、トゥリオ・ピネッリ、 エンニオ・フライアーノ 、ブルネッロ・ロンディ、撮影ジャンニ・ディ・ベナンツォ、美術ピエロ・ゲラルディ、衣装ピエロ・ゲラルディ、音楽ニーノ・ロータ。
出演
マルチェロ・マストロヤンニグイド・アンセルミ、アヌーク・エーメルイザ、サンドラ・ミーロカルラ、クラウディア・カルディナーレクラウディア、バーバラ・スティール、
マドレーヌ・ルボー。
「難解な映画は作るな」とプロデューサーは言った。「じゃあ、難解だけど観客が満足するような映画、作ったる」と監督は思った”という感じでフェリーニが撮った映画…かな?
①正直に言って途中何度か眠たくなりました(一度は殆んど失神寸前まで行った)。でも我慢して付き合えば最後に素晴らしい映画的体験が待っています。②『道』や『アマルコンド』『ジンジャーとブレッド』等に比べると遥かに難解です。でも『テナント』のような物理的な難解さではなく、一人の映画監督の内面を映像化したことによる難解さ。③自伝的作品と言われているようですけど、自伝なのかな?それより創作に行き詰まった監督が悩んだ挙げ句新しい創作のインスピレーションを掴むまでの心の旅を映像化した作品のように思う。
④2022.10.10、「午前10時からの映画祭」ではじめて映画館で鑑賞。でも映画館でも寝不足で『8 1/2』を観てはいけません。後半何度か失神し“あの”ラストシーンを見逃してしまった。で、来週リベンジ鑑賞!
監督の感性が冴える他者には真似のできない映画
現実であろう場所
幻想であろう場所
現実かそれとも夢か
その全てが漂う。
優柔不断でお気楽な主人公は
今やるべきことを振り返らず
過去に逃げ、未来を想像する。
妻、愛人、女たち、砂浜、神様、仕事、仲間、
そんなものが彼の頭の中をぐるぐると回り
「最低」と言われ「素敵」と褒められる。
結局「あぁ、これでいいんだ」と丸く収まる。
そのシーンで終りを迎える。
ニノ・ロータの楽曲が好い。
もし死ぬ前に「ひとつ」
見たい映画を選べと聞かれたら
間違いなくこれだろうな。
※
私の頭の中のハーレム
早稲田松竹で今年初の劇場鑑賞。
休みの日の昼の回でほぼ満席でしたが客席の民度は高めで混乱もなく。
呎がかなり長い(トイレ行きたくて気が散る)ことを除けば好きな映画だった。
とにかく画がきれい。ロケーションやら衣装やらカメラワークやら、とにかくフェティッシュが満載。白黒だけど色のコントロールが完璧。車はシトロエンDSぽいのが出てくる(最高にかっこいい未来カー)。
音楽はニーノ・ロータだけど、ワグナーのワルキューレとか、聞き覚えのある曲の印象が強い。
予算があるんだないんだか、優雅なんだか破れかぶれなんだかわからない、貧乏だけど妙に貴族的な感じがイタリアっぽい。江戸っ子気質というか。。
当時の観客にはさそじかしインパクト大だっただろうな(でももし自分が当時の観客だったらこれをちゃんと好きだと言えただろうか。。)
トップシーンからしてもう強烈。車の中で窒息しかけるマストロヤンニを周囲の誰一人として助けない。ノーリアクションなだけで人の顔ってこんなに怖いんだな。。
画面が白黒というのも手伝って、終始悪夢の中にいるような浮遊感が漂う。
一方で、現実と幻想(現実逃避)がシームレスにつながる感じは妙に舞台劇っぽくもある。
そして、こんな内容なのに意外なほど理解しやすい。
相貌失認の気があるので、初めは説明が少ない中で誰がどの役だ?って思ったけど、最終的には問題なく飲み込めた。どうやらイヤリングをしないのが本命の女と見た。
ハーレムシーンは色んな前提を抜きにしても、いちばんハッとさせられた。自分の女を一堂に集めた光源氏同様、男の夢はいつの時代も同じなのか。。
これは映画関係者の(悪)夢のような作品だと思う。自分の脳内、あるいはセラピーの過程がそのまま一本の映画になる。
デビットリンチ味が濃い。「マルホ」の時間シャッフル構造をすごく想起した。あとはエヴァTVの最終回を思い出して、今にもみんなが拍手しはじめるんではとヒヤヒヤした。
どんな監督も一度は夢見るだろう自伝的な作品だろうけど、カトリックだからか?非常にきまじめさを感じたり、クールなのにすごい土着的なものに縛られている感じがする。
映画の語りや構造はテクニカルだけど基本的な心根は無垢っていうギャップは、ニューシネマパラダイスを思い出した。
あとはすごいお風呂映画。なにしろ舞台が温泉だし。水=死や誕生、洗礼を連想もするけど、まず単純にあのハイソな湯治場がめちゃくちゃ映える。
あとはあの巨大な農家っぽい家。あんな構造の家、初めて見た。あれは実在の場所なんだろうか。私が見たことのあるドイツや南仏、ゴッドファーザーのシチリアとかとも全然違う不思議な作り。
家の中に屋根付きの中庭みたいな炊事場があって、階段で上がるとアパートみたいに個室になってる。壁や階段は土みたいな素材で、今見ると逆にモダン。セットかも知れないけど、モデルがあるならイタリアの前近代やばいな。
全51件中、1~20件目を表示