「フェリーニ監督の熱いサーカス愛とクラウンへの憧憬が感動を呼ぶ美しい記録映画」フェリーニの道化師 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
フェリーニ監督の熱いサーカス愛とクラウンへの憧憬が感動を呼ぶ美しい記録映画
フェデリコ・フェリーニという映画監督は、その特徴の第一にサーカスのスペクタクルを生かした演出を施すことが挙げられる。楽しく面白くそして圧倒されるサーカスの離れ業の、視覚に訴える醍醐味が映画の面白さに結び付いて、スケールの大きい映画の世界観を創造していると言えるだろう。世界的名声を得た「道」では、大道芸人ザンパノの怪力やキ印の綱渡りのサーカス芸そのものが題材になっていた。サーカスが大衆娯楽の筆頭にあった頃に少年時代を過ごしたフェリーニ監督の個人的郷愁から生まれた名画である。そこにはもう一つの特徴である、庶民や貧しい人たちを描くことが指摘できると思う。そしてフェリーニ監督の自叙伝映画「8½」の猛獣使いの鞭のようなものを持つ主人公やラストシーンの円形広場に象徴されるように、フェリーニ監督のサーカス愛は作家としてのアイデンティティにまで昇華していた。この「フェリーニの道化師」の後に制作された「アマルコルド」では、主題が民衆のための人生讃歌であり故郷の自然賛美の何ものでもなかったが、豪華客船レックス号のエピソードや白銀の世界に舞い降りた孔雀のシーンにある驚嘆と感動は、サーカスの世界観に類似している。また「アマルコルド」の詩的リアリズムと叙情的なユーモアとペーソスが、サーカスの世界にある表と裏の人生模様と重なるようにも感じられた。
これらサーカスに対する郷愁と憧憬を強く持ったフェリーニ監督は、ドキュメンタリー番組を制作するルポルタージュの形式でこの作品を仕上げた。かつて栄華を極めた道化師たちの現在を追跡するフェリーニ監督自身の想いが込められた記録であり、真摯な文化研究であり、滅びゆく人たちへの哀悼のレクイエムである。ファーストシーンは、ひとりの少年がベッドから起き上がって窓の外を覗く。広場には今にもサーカスのテントが組み立てられようとしている。それからはフェリーニ監督の軽快で無駄の無いナレーションで進むが、クライマックスの道化師たちの素晴らしい舞台には心の底から驚嘆してしまった。道化師たちの絢爛たる大パレード。老いた肉体もそのまま映し出しているが、名人芸と称したいくらいの至芸である。フェリーニ監督は彼らに何か語りたいのだろうが、何も語らない。ラストカット、ふたりのクラウンがスポットライトを浴びトランペットを吹きながら静かに舞台から消えていく。この美しさには、言葉はいらない。ここに至って、道化師たちへのフェリーニ監督の心情が伝わってきて感無量になる。この終わり方の見事さは、流石フェリーニ監督の演出力であり、純粋なサーカス愛であると感動した。
滅びゆくクラウンの歴史を探るフェリーニ監督の研究発表のドキュメントで、全体は追跡のトーンで構成され、ラストフェリーニ監督の熱い想いと吐息が伝わる。これは、作家個人の関心事を芸術に昇華させた素晴らしさではないだろうか。ラストシーンの何とも言えぬ美しさと侘しさに身を焦がす思いだ。
1979年 1月20日 銀座ロキシー