フェリーニの道化師

劇場公開日:

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解説

道化の魔力にとりつかれた一人の男、フェリーニ。彼が初めてその心情をありのまま告白したのがこの作品。製作はエリオ・スカルダマリアとウーゴ・グエッラ、監督は「フェリーニのアマルコルド」のフェデリコ・フェリーニ、脚本はフェリーニと「フェリーニのローマ」のベルナルディーノ・ザッポーニ、撮影はダリオ・ディ・パルマ、音楽はニーノ・ロータが各々担当。出演はフェリーニ、アニタ・エクバーグ、ピエール・エテ、グスターブ・フラッテリーニ、バティスト、及びイタリア・フランスのサーカスの一流クラウン(道化師)達。

1970年製作/イタリア
原題:I Clowns
配給:東宝東和
劇場公開日:1976年12月4日

ストーリー

家の真向いに突如として出現した巨大なテント。それは闇の中に地底から浮かび上がった生き物のように、少年の心を捉え、脅えさせる。少年の好奇心は抑えがたく、母親の制止の言葉にも背いてテントの中を覗く。見てはならぬものを見たうしろめたさや冒険をしたような快感と不安。やがて夕闇迫る頃、テントの内外は活気づき、異様な人間達が騒がしく行きかい、中から洩れる明りに町の人々は次々に誘い込まれていく。そう、サーカスの始まりだ。怪力無双の巨女、異形の見世物、さまざまなクラウンが登場する。喧騒と猥雑のかぎりをつくしたショウの連続。少年は驚きと恐怖のあまり泣き出し、母親に叱られながらテントを後にする。この少年はほかでもないフェリーニ自身である。サーカスを初めて見た幼い日の思い出、フェリーニは回想する。そして現代。彼はクラウンの系譜を辿るルポを開始する。ローマのオルフェイ・サーカスではアニタ・エクバーグと偶然会い、彼の旅はクラウンの活躍の場を最も効果的に提示したパリへと続く。シルク・ディベールの昔ながらのたたずまい。だが、ここも時の流れは様相を変え、クラウン達は活躍の場を失っている。今はどこに……。フェリーニは一世を風靡したフラッテリーニ兄弟の芸歴をたどる。クラウン史研究家のトリスタン・ルミィに逢い、今なお健在のクラウン達と感激の対面をする。高潮した対談。だが、クラウン達はどこへ行ってしまったのだろう。今しも、テントの中では一人のクラウンの死を悼み、壮重な葬儀が行なわれる。悲しみに沈む黒衣の行列。やがて葬儀が終ると打って変ってサーカスはクライマックスからフィナーレへ。極彩色のテープが舞い、空中を飛ぶクラウン達。場内を包みこむ熱気と興奮。これこそまさにフェリーニの“サーカス”だ。彼が初めて演出してみせる絢爛たる祝祭のショウ、その快楽と感動と陶酔! やがて一人の老クラウンがリングの片隅に疲れた身体を休め、昔死んだ相棒の思い出を語る。懐かしむ彼はかつてやったように、トランペットを吹く。「ひき潮」の流麗なメロディが人気のない場内に響き渡ると、どこからか微かに谺するかと聞こえてくるもう一つのトランペット。いつしかそれはかつての相棒のトランペットとなり、二人はリングの中央に向かい、しみじみと情感をこめて吹く。旋律は哀愁をたたえて流れ、やがて二人はリングからその余韻と共に静かに消えていった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0フェリーニ監督の熱いサーカス愛とクラウンへの憧憬が感動を呼ぶ美しい記録映画

2022年4月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

フェデリコ・フェリーニという映画監督は、その特徴の第一にサーカスのスペクタクルを生かした演出を施すことが挙げられる。楽しく面白くそして圧倒されるサーカスの離れ業の、視覚に訴える醍醐味が映画の面白さに結び付いて、スケールの大きい映画の世界観を創造していると言えるだろう。世界的名声を得た「道」では、大道芸人ザンパノの怪力やキ印の綱渡りのサーカス芸そのものが題材になっていた。サーカスが大衆娯楽の筆頭にあった頃に少年時代を過ごしたフェリーニ監督の個人的郷愁から生まれた名画である。そこにはもう一つの特徴である、庶民や貧しい人たちを描くことが指摘できると思う。そしてフェリーニ監督の自叙伝映画「8½」の猛獣使いの鞭のようなものを持つ主人公やラストシーンの円形広場に象徴されるように、フェリーニ監督のサーカス愛は作家としてのアイデンティティにまで昇華していた。この「フェリーニの道化師」の後に制作された「アマルコルド」では、主題が民衆のための人生讃歌であり故郷の自然賛美の何ものでもなかったが、豪華客船レックス号のエピソードや白銀の世界に舞い降りた孔雀のシーンにある驚嘆と感動は、サーカスの世界観に類似している。また「アマルコルド」の詩的リアリズムと叙情的なユーモアとペーソスが、サーカスの世界にある表と裏の人生模様と重なるようにも感じられた。

これらサーカスに対する郷愁と憧憬を強く持ったフェリーニ監督は、ドキュメンタリー番組を制作するルポルタージュの形式でこの作品を仕上げた。かつて栄華を極めた道化師たちの現在を追跡するフェリーニ監督自身の想いが込められた記録であり、真摯な文化研究であり、滅びゆく人たちへの哀悼のレクイエムである。ファーストシーンは、ひとりの少年がベッドから起き上がって窓の外を覗く。広場には今にもサーカスのテントが組み立てられようとしている。それからはフェリーニ監督の軽快で無駄の無いナレーションで進むが、クライマックスの道化師たちの素晴らしい舞台には心の底から驚嘆してしまった。道化師たちの絢爛たる大パレード。老いた肉体もそのまま映し出しているが、名人芸と称したいくらいの至芸である。フェリーニ監督は彼らに何か語りたいのだろうが、何も語らない。ラストカット、ふたりのクラウンがスポットライトを浴びトランペットを吹きながら静かに舞台から消えていく。この美しさには、言葉はいらない。ここに至って、道化師たちへのフェリーニ監督の心情が伝わってきて感無量になる。この終わり方の見事さは、流石フェリーニ監督の演出力であり、純粋なサーカス愛であると感動した。

滅びゆくクラウンの歴史を探るフェリーニ監督の研究発表のドキュメントで、全体は追跡のトーンで構成され、ラストフェリーニ監督の熱い想いと吐息が伝わる。これは、作家個人の関心事を芸術に昇華させた素晴らしさではないだろうか。ラストシーンの何とも言えぬ美しさと侘しさに身を焦がす思いだ。

  1979年 1月20日  銀座ロキシー

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Gustav

4.0最初と終わリ良ければ、間は良く分からずとも、印象は悪くなし

2021年3月2日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

最初の、少年の家の隣にいきなりサーカス小屋ができてからの種々の演目紹介は秀逸で、その後の期待を煽る。しかしながら、その後のドキュメンタリータッチのエピソードの羅列は、テンポも良く無く、眠気を誘う様なものもあり、フェリーニの意図や趣旨が良く理解出来ないところもあった。

結局、あれ程最初怖く夢中にもなったサーカスの道化師達は、残念ながら今や現実的には絶滅してしまったとの結論づけということか。

それならば、だからこそ、道化師達の素晴らしき乱痴気騒ぎを、夢を創る自分の演出で生き返らせるというのが、最後の方の出し物なのだろうか?実際、静かな葬式から狂乱的お祭りに至り、さらに最後にコンビ2人の道化師がトランペットを吹き、その音が共鳴し、二人の影を残しながら静かに終わるのは最高に痺れた。ニーノ・ロータによる哀愁を覚える音楽の圧倒的な素晴らしさも相まって。

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Kazu Ann

2.0フェリーニの道化師

2017年6月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

この映画、初めてじゃなかった。
インパクトが強いのに「観た!」とう印象が薄いのはなぜ??

ピエロの道化という文化(芸術?)が日本人には遠い感覚なのかなとも思う。でも、そういえばディズニーのドタバタも自分にはいっこう楽しく感じられないので、やはり個人感覚の問題でしょうね。

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のぶcom

5.0色々はみ出す…。

2014年7月6日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

興奮

途中からどうやらドキュメンタリーらしく進行していきますが、画面も台詞も不自然なのにシラケることなく続くというのが不思議です。他のフェリーニ作品にも言える事ですが、テーマをしつこく追いすぎて間延びしているのにも関わらず、あくまでも映画が続いて行くのです。特に後半、葬儀をサーカスで演じるシーンでの台詞のしつこさったら…。これがフェリーニの筆によるものでしょうか?最後まで徹底して馬鹿馬鹿しいのです。映画の表現をギリギリまで生かしていると言えるでしょう。

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ted
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