「戦争は2人にとって、祭のあとに過ぎない」ひまわり(1970) 全竜さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争は2人にとって、祭のあとに過ぎない
戦争に引き裂かれた夫婦の数奇な運命を、野原一面に咲き乱れる向日葵が鮮やかに、そして、ヘンリー・マンシーニの奏でる旋律が痛切に銀幕を染め上げていく。
イタリアは日本と同じく敗戦国やから、兵士とその家族がひしめく駅の殺伐たる景色は、残酷な戦争の傷痕を色濃く物語っており、印象深い。
あれだけ激しく愛を誓い合ったのに、淡々と別れを選ぶ虚無感は、2人にとって、戦争ですら、まるで、祭のあとのようなやりきれない想いに支配され、息苦しくなる。
ソフィア・ローレンの乱れる心情が向日葵を揺らす北風とリンクし、ざわめきを加速させ、改めて戦争の虚しさを思い知り、悲しい。
それ以上に、ソフィア・ローレンの麗しき美貌と豊満な乳房に、改めて釘付けになってしまう自分に気付く。
ハラリと顔を出し、チラリと揺れる愛しき膨らみ…
あの不安定な重量感が堪らない。
イエローキャブ軍団で例えたら、全盛期の小池栄子を余裕で凌駕する。
決して、根本はるみではない。
ならば、彼女を弄ぶ
マルチェロ・マストロヤンニは、差し詰め野田社長であろうか。
ってな事を呟きながら、妄想内でソフィア・ローレンに紐ビキニを着せ替えているアホな自分はもっと哀しい…。
辺り一面咲き誇る向日葵畑が広がるウクライナは、十数年後、死の灰を浴びる事となる。
忌まわしきチェルノブイリ原発事故である。
福島のどこかでまたいつか美しい向日葵畑が満開となった時、少しぐらい愛は日本に戻ってきてくれるのだろうか?
今作の主題は反戦やのに、なぜか放射能汚染の恐怖に駆られる。
了見のスライドに改めて無情なる時の流れを思い知った。
被災地のいち早い復興を改めて願うところで、最後に短歌を一首
『待つ愛も 吹雪に散りて 北の駅 別れに染まる 太陽ひとり』by全竜