陽はまた昇る(1957)

劇場公開日:

解説

ダリル・F・ザナックの独立プロ第2作で、アーネスト・ヘミングウェイの同名小説の映画化。「アフリカの女王」のピーター・ヴィアテルが脚色、「回転木馬」のヘンリーキングが監督した。撮影監督は「やさしく愛して」のレオ・トーヴァー、音楽は「島の女」のヒューゴー・フリードホーファー、指揮を「女はそれを我慢できない」のライオネル・ニューマンがとった。主演は「二十七人の漂流者」のタイロン・パワー、「潮風にいたづら」のエヴァ・ガードナー、「イスタンブール(1956)」のエロール・フリン、「恋多き女」のメル・ファーラー、ジュリエット・グレコ。ほかに「桃色大王」のグレゴリー・ラトフ、「炎の人ゴッホ」のヘンリー・ダニエル、「明日泣く」のエディ・アルバート。

1957年製作/アメリカ
原題または英題:The Sun also rises
配給:20世紀フォックス
劇場公開日:1957年11月27日

ストーリー

第1次大戦後のパリ。そこには"失われた世代"(戦争によって本質的に傷ついた世代)の人々が集まり、虚無と歓楽の昏迷した生活を送っていた。アメリカの新聞記者ジェイク・バーンズ(タイロン・パワー)もその1人だ。彼は戦傷のため性的不能になった。街娼ジョルジェットと食事した夜、ブレット・アシュレ夫人(エヴァ・ガードナー)と久し振りに会った。一見淫奔で頽廃的に女性ブレットと、彼は精神的に理解し合っている。彼女はまわりには、マイク・キャンベル(エロール・フリン)というスコットランド貴族の愛人や大金持ミピポラス伯爵などがいた。ジェイクの親友ロバート・コーン(メル・ファーラー)は、大学時代拳闘のチャンピオンだった若い作家で、ブレットに会うとたちまち恋に陥った。ジェイクがもう1人の友ビル・ゴートンとスペインに釣り旅行へ発ち、さらにパンプローナのサン・フェルミン祭へ闘牛見物に行くと、ブレットも2人の後を追ってきた。ロバートもマイクも彼女についてくる。5人が一緒になるとマイクはロバートにからみ、ブレットのあとを追いまわすのは止せと言う。--花火がうちあげられ、近在の人々や旅行者が見物に押しよせ、闘牛や行列行進や舞踏でわきたつフィエスタ(祭礼)の1週間。その間、ブレットは若い闘牛士ロメロに夢中になる。ロバートは取乱し荒れ狂い、ブレットの居所を教えろとジェイクを殴り、果ては闘牛士の部屋にブレットとロメロがいるのを見つけ、彼を殴り倒した。しまいに、ロバートはぶっ倒れて泣きだし、ブレットは彼を叱りつけた。翌日、闘牛場で、ロメロは腫れた黒ずんだ顔をしていたが、素晴らしい美技を示した。彼が殺した牛の耳はブレットに送られた。闘牛が終るとブレットはロメロと駈落ちした。皆もそれぞれパンプローナを引揚げる。ジェイクはブレットが助力を求めてくるのを予期できた。間もなくロメロとの恋に破れたブレットがたよってきた。女の灼熱の恋は、所詮フィエスタの間だけ咲いた仇花にすぎなかった。

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映画レビュー

3.5日本の失われた世代こそ陽はまた昇るのみなのだ

2019年2月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

エヴァ・ガードナーが全て
そのものズバリのブレットだ
美しい大人の女性
男の人生を誤らせるファムファタルだ
この配役が駄目なら映画にならなかったろう

100年前のパリとスペインのパンプローナ
失われた世代の物語

その世代も文字通り消え何世代も過ぎた
正に陽はまた登り、陽は沈む
時は過ぎ去るのみ
100年前の華やかな想い出の日々はもはや小説や映画の中にしかない

同じように戦後の団塊の世代という私達の上の世代も消え去ろうとしている
その相似形として観たときの感慨が21世紀に本作を観る価値なのだろうか?
そうかも知れない
その意味もあるだろう

しかし日本にもロストジェネレーションという世代が存在していることに気付きたい
いや、それこそ気付かねばならない
なぜなら彼らは本作に描かれた米国の金持ち息子たちの戦前のパリでの呆けて遊び回るロストジェネレーションの姿とはまたったく違った境遇なのだ
彼らこそ遥かに未来はないのだ
真のロストジェネレーションは日本にこそ今あるのだ
日本の失われた世代こそ陽はまた昇りまた沈むのみなのだ
そこに21世紀に生きる我々は思いを巡らせるべきだ

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あき240