陽のあたる場所のレビュー・感想・評価
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「糟糠の妻」は大切に。
出世欲を持つことが一概に「悪」とは決めつけられないと思いますし、誰しも出世栄達を望むことは、当たり前といえば、当たり前だとは思います。もちろん、評論子を含めて。
けれども、その満足・達成のためには必ずしも感心しないような手段でも選ぶことが許されるわけでもないことも、また自明だろうと思います。
「富と貴とは、是れ人の欲する所なり。 其の道を以て之を得ざれば、これを得とも、処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以て之を得ざれば、これを得とも去らざるなり」というのは中国の古典(論語)ですが、ハリウッド映画本作のような作品を観ると、このことは、洋の東西を問わない真理なのかとも思います。
とりわけ「糟糠の妻」は、大切にしなければ、ダメてますよねぇ。本作のような場合は。
人間の欲の醜さをストレートに描いた作品とも評することができるでしょうし、また「せっかく得られかけた出世の糸口も、灰燼に帰してしまいますよ。」という啓示的な一本だったとも評することができると思いました。評論子は。
私が参加している映画サークルで、上映会で取り上げることになったことで鑑賞しました一本でしたが、これも佳作であったと思います。
美しすぎた二人のための作品
原作:セオドア・ドライサー「アメリカの悲劇 」。
早い話、優柔不断な男が彼女以外に愛人が出来て、
じゃまになった彼女に殺意を抱くという内容。
で、どうという事もないのですが、
ストーリーはさて置き、
とにかく、エリザベスがあまりにも美しすぎて、
とにかく、モンゴメリーがあまりにもステキすぎた。
素晴らしい主演3人の演技
素晴らしいのは主演3人の演技。エリザベス・テーラーは何とまだ10代。みずみずしい美しさは勿論だが喜怒哀楽に揺れる微妙な感情を見事に表現する演技力に驚愕。そして、どこかマリア的な母性さえ感じさせるのは、天賦の才能か演出のなせる技か。
野心的だが繊細でナイーブで善と悪の葛藤を表現したモンゴメリー・クリフトも素晴らしいが、妊娠し結婚を強要するが、幸せを夢見るいたいけな工員女性を演じたシェリー・ウインターズが素晴らしい。その演技力により共感・同情をし、可哀想であんまりだ、殺されるシーンは見たくない、勘弁して欲しいと思わされた。
アメリカ文学の代表的映画にあるスティーヴンス監督の、主題に合わせた表現の演出力の見事さ
アメリカ映画で最も誠実な監督の印象があるジョージ・スティーヴンス監督の代表作。「ママの想い出」「シェーン」「ジャイアンツ」とヒューマニズム溢れる家庭劇の良心作が心に残り、大好きな監督のひとり。この作品は、主人公の犯罪を扱った暗い青春映画の特徴から独特な演出技巧を見せて、アカデミー賞では監督賞を始め全部で6部門受賞している。特にワイプとオーバーラップを多用した編集で物語を簡潔明瞭に進め、光を最小限に抑えたモノクロ映像の暗部を効果的に生かしている。原作のアメリカ自然主義文学の傑作と言われるセオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』とは違った点が多いと言われるが、貧しい青年の夢と野望の挫折を一種の教訓劇にした普遍性がある。類似作として日本映画の石川達三原作・神代辰巳監督作「青春の蹉跌」が挙げられるだろう。
主人公は伝道事業をする敬虔な両親のもと育てられ、その貧しさから13歳で学業を断念し、様々な職業を転々としていたジョージ・イーストマン。父の死後、ヒッチハイクで伯父の工場に向かうタイトルバックでは、後に恋愛関係になるアンジェラ・ヴィッカースが白い高級車で疾走していく。彼が同乗できたのはボロボロのトラック。その前の、顔を振り返るとイーストマンの水着女性の看板が見える演出と合わせ、この短いファーストシーンで対比の伏線が張られている。彼の生い立ちを更に印象付けるのが、水着工場の同僚アリスとの初デートで、自宅まで送る途中の街頭で伝道活動をする少年を見かけた時のジョージの嫌悪感を表す表情。貧しい少年時代を忘れたい、清貧のあの頃には戻りたくないジョージの本心が垣間見えるシーンになっている。この野望が、彼の裏切りや嘘そして罪を犯す動機の部分であり、それによって追い詰められるジョージの心理を重厚に描いた点が優れている。
オーバーラップの効果を生かした一例では、ジョージがアンジェラと初めてダンスをするシーンが挙げられる。母ハンナに電話で昇進の報告をするジョージの脇にアンジェラがいる。女性の存在を知って心配するハンナ。そして、憧れのアンジェラに誘われるままダンスホールに向かうが、このシーンの上手さには思わず唸ってしまった。手を取り合いダンスホールの入り口の前で踊り始め、そして中へ入っていく。そのカットにオーバーラップで息子を案じる母のカット。社交界に身を投じるジョージと世間知らずな息子の成長を願う母を同時に見せるこの映像の表現力。この練られた演出には、すぐに答えが来る。ジョージの誕生日を祝うアリスから懐妊を告げられるのだが、二人とも素直に喜べない。社内恋愛を厳禁されていたジョージは伯父への裏切りがバレるし、それはアリスも同じなのだが、それ以上にジョージのこころが自分から離れていることに気付き涙を見せる。その後の堕胎を模索するジョージの部屋のシーンが、とても興味深かった。アリスに医者が見つからないと電話を掛けた後すぐにアンジェラからデートの誘いの電話が掛かって来る。ここで悩むジョージの背後の壁に、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』の絵が飾られているのだ。ジョージの生い立ちや言動を見る限り、このヴィクトリア朝の時代を代表する絵画の趣味には合わない。そこで考えられるのは、主人公の心理状態を比喩したスティーヴンス監督の演出なのではないかと想像する。勿論復讐に悩む純粋なハムレットではなく、男の身勝手な二者択一に暗中模索する裏ハムレットと言えるだろう。更に、この映画の優れたカメラワークとして、ジョージとアンジェラが愛の告白をするダンスシーンが素晴らしい。抱擁するふたりのアップショットで、ジョージの台詞(初めて会った時から好きだった。もしかしたら会う前からかな?)があり、それに応えるアンジェラが人目を避ける様にテラスに移動するのを素早いパンショットで繋ぐ。そして、(愛してるわ、怖いくらい)のアンジェラの感情を、超どアップの見つめ合う二人の顔で描き切る。二人の情熱的なキスはジョージの黒い肩で見えない。この暗部を生かしたカメラアングルと、アンジェラが着る黒いパーティードレスで意図するふたりの未来は、けして明るくはない。まるで運命の糸に操られたロミオとジュリエットのような、恋に堕ちた若い男女の感情に赴くままのラブシーン。大分昔、南カリフォルニア大学のある映画科教授が、このシーンを絶賛していた授業風景をテレビで観た記憶がある。今回見直して改めて納得した。
アンジェラの別荘にいるジョージにアリスから電話がくる後半は、犯罪映画としての見所が占める。アリスに嘘を付いてアンジェラの元に来たジョージは、今度はアンジェラに母が病気と偽りその場を去る。犯罪に手を染める男の嘘の連鎖、それが女性の怒りを買う普遍的な展開だ。アリスは結婚を強要するが、既にジョージは殺害を計画している。結婚の申請を受ける裁判所が休みなのを口実に、湖に誘うジョージ。アリスが嬉しそうに語る未来の話が耳に入らないジョージの思い詰めた表情と、湖面の光が目に反射する細かい演出。そして、殺人を犯すのを躊躇い、アリスと一緒になることを告げるが、(いくら貧しくても、愛さえあれば大丈夫)と言われて心が乱れる。嘘と裏切りで自らを追い詰める男の精神が弱っている状態でみせる、ジョージの偽らざる思いと価値観。この急展開が想定外の悲劇を生む訳だ。その後、助けを求めて自首すればまだ救われたかもしれない。しかし、私生活全て暴かれたら、同情する者はアンジェラと母親だけであろう。疑いの目で見られるのは明らか。どちらにしてもジョージは逃走を選んだ。いつか捕まるだろうが、少しでもアンジェラと居たいジョージの身勝手な、ある意味残された男の性分が最後に描かれる。
ジョージを演じたモンゴメリー・クリフトの思い詰めた演技が素晴らしい。「山河遥かなり」「赤い河」「女相続人」「私は告白する」「終着駅」「地上より永遠に」「愛情に花咲く樹」「去年の夏突然に」「荒馬と女」「ニュールンベルグ裁判」と観ているが、31歳のこの映画の演技がベストではないだろうか。「終着駅」と「私は告白する」の演技もいいけれど、共演のエリザベス・テイラーとの相性の良さの相乗効果もあって、ジョージの難役を見事に演じている。テイラーはこの時19歳で、子役からのキャリアを経ても初々しく、魅力的な色気も兼ね備えた女性美そのもの。冒頭のイーストマン邸に現れるシーンで遅刻を指摘されたアンジェラのテイラーが、(それも私の魅力のうちよ)とのたまう。こんなこと言われて男性が納得できる女性が他にいるだろうか。何不自由なく育ち、贅沢三昧の生活を送る令嬢の小悪魔的魅力が溢れる社交界のマドンナ、この役にピッタリ嵌っている。これに対して、貧しい生まれの何処か不器用で、身寄りのない寂しさを漂わすアリスを演じたシェリー・ウィンタースも素晴らしい。「ポセイドン・アドベンチャー」の貫禄ある中年婦人の印象が強いが、元々は舞台の人らしく地味ながら見事にアリスになり切っている。「アンネの日記」と「いつか見た青い空」でもいい演技を見せていたと印象に残っている。もう一度観たい映画でもある。裁判でスティーヴンス監督の思いを代弁するようなマーロウ地方検事役のレイモンド・バーは、何処かで観た男優と調べて思い出した。10代の頃に観ていたテレビシリーズ「鬼警部アイアンサイド」の主人公ではないか。若い時(34歳)から警部とか検事役に合う容貌と貫禄を持っていたと知る。母ハンナのアン・リヴィアも個性的な女優さんだ。信念に基づいた敬虔なクリスチャンの母親像を強固に演じている。息子の死刑判決に対して、殺意が無くとも死を望んだ心に罪があると諭す。ここにも、スティーヴンス監督らしい描き方が表されていると印象に持った。
アメリカを代表する文学の映画化で最も成功した作品のひとつに挙げていいジョージ・スティーヴンス監督の傑作であると思う。考え尽くされた場面構成と無駄の無いモンタージュ。撮影と編集の技術も非常に高いレベルにある。この映画の逸話ではないが、淀川長治氏がハリウッドで「シェーン」の試写をした時のエピソードの中に、パラマウント本社とスティーヴンス監督が電話で大喧嘩をしていたのに遭遇したという。それはクランクアップして8ヶ月過ぎたのに完成したと言わないスティーヴンス監督に、会社がいつまで待たせるのだと激怒したというのだ。編集に8ヶ月?作品は違えど、スティーヴンス監督の編集に拘る職人気質と作品自体に対する誠実な姿勢が、この映画にも充分窺うことが出来る。
未必の故意とも言えないが。
死んで欲しいと願ってたとはいえ。殺そうとまでは思ってなかった。
死んでも構わないという未必の故意もない。
ただ、転覆した際、助けようとすれば助けられたのにしなかったことが
罪に問われるだろう。
ストーリー的には、出世欲の為には、過去の女は捨てるというわかりやすい。
(当時は斬新かもですが)
1番の驚きは、アリス役はポセイドンアドベンチャーの泳げるおばちゃん、
シェリー・ウィンタースであるということ。
今の時代だったら、このタイトル名は無かった?
この作品、話はシンプルで、
若い頃の鑑賞では主人公の思索に
思いを寄せることも出来なく、
印象の強い作品では無かった。
しかし、青春時代も遙か遠くになった今、
再鑑賞して自分を主人公に置き換えると、
新たな気付きに
何かと考えさせられる作品だ。
成り行きからして、
主人公は令嬢と上流社会での生活を諦めて
職場の彼女との人生を全うすべきと
断ずるのは簡単だ。
しかし、今回の鑑賞では、
自分にそんな選択が出来るのか自信が
無くなるような重い内容に気付かされた。
序盤での、主人公の昇進を知らせる電話を
母親が受けた後に、主人公と令嬢の
ダンスシーンを重ねた映像は、
信仰からはみ出しつつある息子への不安と
破綻を予感させて秀逸だったが、
もし私が主人公と同じ立場だったら、
目の前の美人の令嬢と
セレブ社会が待ち受けている中で、
誘惑に駆られて選択を誤らないか、
“心の殺人”を犯さないか、に対し
自信が持てない自分を見出すばかりだ。
また、この作品を観ながら、
遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」の
原作から大幅改変した
浦山桐郎監督版「私が棄てた女」が似た設定
だったな、と思い出されると共に、
原作に近いと言われる
熊井啓監督版「愛する」が観たくなったりと
余計な思いが錯綜した。
ところで、少し前に
「ポセイドン・アドベンチャー」を観たせい
もあってか、泳げなく湖水で溺死してしまう
職場の恋人役のシェリー・ウィンタースが
あの映画では泳ぎの上手い太ったおばさん役
だったとは、この映画を受けての
逆説的配役なのかと想像してみた。
また、モンゴメリー・クリフトは
「私は告発する」「地上より永遠に」等々、
かなりの作品で“悩める男”を演じていた
イメージがあるが、早世した彼が
もし悩める壮年期・高齢期を演じていたら、
どんな人生観を我々に見せてくれていたかと
想像すると少し残念な思いがする。
一方、ジョージ・スティーヴンス監督は
この後「シェーン」「ジャイアンツ」等々、
名作を連発していくことになりましたね。
さて、このタイトル名、
今の時代だったら無かったのでは。
格差格差は今でも継続しているが、
多様性の価値に気が付いている現代では、
高所得者層社会だけが
“陽のあたる場所”では無い
と認識出来ているはずだから。
野心を端的に表した映画
モンゴメリークリフト扮するジョージイーストマンは、イーストマン社社長の叔父を訪ねた。叔父はジョージを受け入れ入社させた。ジョージは、叔父の家で会ったエリザベステーラー扮するアンジェラに惹かれた。しかし、ジョージはシュリーウィンタース扮する同じ職場のアリスとも親密になった。ところが本命はやはりアンジェラで、ジョージは妊娠したアリスが邪魔になってきた。そりゃあ誰でも欲があればお嬢様を狙うだろうね。ただ届かぬ高嶺の花だから近くにいる女性で間に合わせる訳だが、いざチャンスに恵まれればあわよくばと本命にいくばかりだ。野心を端的に表した映画だね。
問屋が卸さぬ
ボートで語るシェリー・ウィンターズの独白、アップのカットがサスペンス感が高まる。苦悩のあまり悶絶するモンゴメリー・クリフト。デコから汗が吹き出す。
10代とは思えぬ存在感を示すエリザベス。デスロウに至って彼女とのキスがリフレイン。これではシェリーが浮ばれぬ。
名演技、名監督の凄さとは何かを思い知る傑作
ジョージは映画のはじめは普通の下流の青年に過ぎない
社長一族の上流の人々に連なるようになるうちに変わっていくのだ
アリスも実は打算で彼の誘いにのる
一族の名前を持つ以上玉の輿を狙えるはずと、彼女自身が人からなんと言われるかと吐露している
けれど映画が進むに従って、彼女はもうそんなことはどうでも良くなって彼との知らない町での新しい生活の夢をボートで語る
ジョージが何を考えているか知っている我々の胸をかきむしる素晴らしい演技だった
ジョージもまた胸を切り裂かれている
監督はそれぞれの心情を見事にスクリーンに投影するのだ
主演のモンゴメリー・クリフト、助演のエリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタースの演技は目を見張る出来映えの演技
その他の端役まで素晴らしい配役と演技を見せ、また監督とカメラと編集がしっかりそれを捉えて逃さない
特にエリザベス・テイラーの演技は迫真のものでとても17歳の女優とは思えない
監督は陽のあたる世界と貧しい世界を見事に対比してみせて、まどろむ事なくラストシーンに連れていく
そこで初めて観客はなぜ彼の母が伝道師の設定になっていたのかを知る
監督の構成を考える集中力の凄さがこの作品を傑作たらしめたのだとわかる傑作
遠い親戚を頼り田舎から出てきた好青年(M・クリフト)。会社に禁止さ...
遠い親戚を頼り田舎から出てきた好青年(M・クリフト)。会社に禁止されている同僚との恋に落ちる。幸せそうな二人。
やがて男はその努力を買われ出世、上流階級社会のとびきりの美女(E・テイラー)に気に入られる。男は当然このとびきりの美女に惹かれて行く。しかしその時、同僚の女のお腹には男の子が…
こう書いただけで次の展開が読めますよね。なんとわかりやすいストーリー。しかしこれが深いんです。
話はクライムサスペンスから法廷劇へ。一瞬たりとも目が離せません。
この作品には真の意味の悪人が出て来ません。それが話を深く、面白くさせています。
主演の二人もとても魅力的です。特にE・テイラーの洗練された美しさ。男なら、そらこちらを選んでしまうでしょう(笑)
古い作品ですが見逃せない一本です。
古いが、味のある作品
展開は短絡的な気がしたが、ジョージの追い詰められていく気持ちがよく伝わった。事件を起こしてから死刑までがあまりに早くて恐ろしいと思った。テレビの録画での観賞だがエンドロールにはジョージとアンジェラのキャストのみで、アリスのがないのはあんまりと思った。
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