「アメリカ文学の代表的映画にあるスティーヴンス監督の、主題に合わせた表現の演出力の見事さ」陽のあたる場所 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ文学の代表的映画にあるスティーヴンス監督の、主題に合わせた表現の演出力の見事さ
アメリカ映画で最も誠実な監督の印象があるジョージ・スティーヴンス監督の代表作。「ママの想い出」「シェーン」「ジャイアンツ」とヒューマニズム溢れる家庭劇の良心作が心に残り、大好きな監督のひとり。この作品は、主人公の犯罪を扱った暗い青春映画の特徴から独特な演出技巧を見せて、アカデミー賞では監督賞を始め全部で6部門受賞している。特にワイプとオーバーラップを多用した編集で物語を簡潔明瞭に進め、光を最小限に抑えたモノクロ映像の暗部を効果的に生かしている。原作のアメリカ自然主義文学の傑作と言われるセオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』とは違った点が多いと言われるが、貧しい青年の夢と野望の挫折を一種の教訓劇にした普遍性がある。類似作として日本映画の石川達三原作・神代辰巳監督作「青春の蹉跌」が挙げられるだろう。
主人公は伝道事業をする敬虔な両親のもと育てられ、その貧しさから13歳で学業を断念し、様々な職業を転々としていたジョージ・イーストマン。父の死後、ヒッチハイクで伯父の工場に向かうタイトルバックでは、後に恋愛関係になるアンジェラ・ヴィッカースが白い高級車で疾走していく。彼が同乗できたのはボロボロのトラック。その前の、顔を振り返るとイーストマンの水着女性の看板が見える演出と合わせ、この短いファーストシーンで対比の伏線が張られている。彼の生い立ちを更に印象付けるのが、水着工場の同僚アリスとの初デートで、自宅まで送る途中の街頭で伝道活動をする少年を見かけた時のジョージの嫌悪感を表す表情。貧しい少年時代を忘れたい、清貧のあの頃には戻りたくないジョージの本心が垣間見えるシーンになっている。この野望が、彼の裏切りや嘘そして罪を犯す動機の部分であり、それによって追い詰められるジョージの心理を重厚に描いた点が優れている。
オーバーラップの効果を生かした一例では、ジョージがアンジェラと初めてダンスをするシーンが挙げられる。母ハンナに電話で昇進の報告をするジョージの脇にアンジェラがいる。女性の存在を知って心配するハンナ。そして、憧れのアンジェラに誘われるままダンスホールに向かうが、このシーンの上手さには思わず唸ってしまった。手を取り合いダンスホールの入り口の前で踊り始め、そして中へ入っていく。そのカットにオーバーラップで息子を案じる母のカット。社交界に身を投じるジョージと世間知らずな息子の成長を願う母を同時に見せるこの映像の表現力。この練られた演出には、すぐに答えが来る。ジョージの誕生日を祝うアリスから懐妊を告げられるのだが、二人とも素直に喜べない。社内恋愛を厳禁されていたジョージは伯父への裏切りがバレるし、それはアリスも同じなのだが、それ以上にジョージのこころが自分から離れていることに気付き涙を見せる。その後の堕胎を模索するジョージの部屋のシーンが、とても興味深かった。アリスに医者が見つからないと電話を掛けた後すぐにアンジェラからデートの誘いの電話が掛かって来る。ここで悩むジョージの背後の壁に、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』の絵が飾られているのだ。ジョージの生い立ちや言動を見る限り、このヴィクトリア朝の時代を代表する絵画の趣味には合わない。そこで考えられるのは、主人公の心理状態を比喩したスティーヴンス監督の演出なのではないかと想像する。勿論復讐に悩む純粋なハムレットではなく、男の身勝手な二者択一に暗中模索する裏ハムレットと言えるだろう。更に、この映画の優れたカメラワークとして、ジョージとアンジェラが愛の告白をするダンスシーンが素晴らしい。抱擁するふたりのアップショットで、ジョージの台詞(初めて会った時から好きだった。もしかしたら会う前からかな?)があり、それに応えるアンジェラが人目を避ける様にテラスに移動するのを素早いパンショットで繋ぐ。そして、(愛してるわ、怖いくらい)のアンジェラの感情を、超どアップの見つめ合う二人の顔で描き切る。二人の情熱的なキスはジョージの黒い肩で見えない。この暗部を生かしたカメラアングルと、アンジェラが着る黒いパーティードレスで意図するふたりの未来は、けして明るくはない。まるで運命の糸に操られたロミオとジュリエットのような、恋に堕ちた若い男女の感情に赴くままのラブシーン。大分昔、南カリフォルニア大学のある映画科教授が、このシーンを絶賛していた授業風景をテレビで観た記憶がある。今回見直して改めて納得した。
アンジェラの別荘にいるジョージにアリスから電話がくる後半は、犯罪映画としての見所が占める。アリスに嘘を付いてアンジェラの元に来たジョージは、今度はアンジェラに母が病気と偽りその場を去る。犯罪に手を染める男の嘘の連鎖、それが女性の怒りを買う普遍的な展開だ。アリスは結婚を強要するが、既にジョージは殺害を計画している。結婚の申請を受ける裁判所が休みなのを口実に、湖に誘うジョージ。アリスが嬉しそうに語る未来の話が耳に入らないジョージの思い詰めた表情と、湖面の光が目に反射する細かい演出。そして、殺人を犯すのを躊躇い、アリスと一緒になることを告げるが、(いくら貧しくても、愛さえあれば大丈夫)と言われて心が乱れる。嘘と裏切りで自らを追い詰める男の精神が弱っている状態でみせる、ジョージの偽らざる思いと価値観。この急展開が想定外の悲劇を生む訳だ。その後、助けを求めて自首すればまだ救われたかもしれない。しかし、私生活全て暴かれたら、同情する者はアンジェラと母親だけであろう。疑いの目で見られるのは明らか。どちらにしてもジョージは逃走を選んだ。いつか捕まるだろうが、少しでもアンジェラと居たいジョージの身勝手な、ある意味残された男の性分が最後に描かれる。
ジョージを演じたモンゴメリー・クリフトの思い詰めた演技が素晴らしい。「山河遥かなり」「赤い河」「女相続人」「私は告白する」「終着駅」「地上より永遠に」「愛情に花咲く樹」「去年の夏突然に」「荒馬と女」「ニュールンベルグ裁判」と観ているが、31歳のこの映画の演技がベストではないだろうか。「終着駅」と「私は告白する」の演技もいいけれど、共演のエリザベス・テイラーとの相性の良さの相乗効果もあって、ジョージの難役を見事に演じている。テイラーはこの時19歳で、子役からのキャリアを経ても初々しく、魅力的な色気も兼ね備えた女性美そのもの。冒頭のイーストマン邸に現れるシーンで遅刻を指摘されたアンジェラのテイラーが、(それも私の魅力のうちよ)とのたまう。こんなこと言われて男性が納得できる女性が他にいるだろうか。何不自由なく育ち、贅沢三昧の生活を送る令嬢の小悪魔的魅力が溢れる社交界のマドンナ、この役にピッタリ嵌っている。これに対して、貧しい生まれの何処か不器用で、身寄りのない寂しさを漂わすアリスを演じたシェリー・ウィンタースも素晴らしい。「ポセイドン・アドベンチャー」の貫禄ある中年婦人の印象が強いが、元々は舞台の人らしく地味ながら見事にアリスになり切っている。「アンネの日記」と「いつか見た青い空」でもいい演技を見せていたと印象に残っている。もう一度観たい映画でもある。裁判でスティーヴンス監督の思いを代弁するようなマーロウ地方検事役のレイモンド・バーは、何処かで観た男優と調べて思い出した。10代の頃に観ていたテレビシリーズ「鬼警部アイアンサイド」の主人公ではないか。若い時(34歳)から警部とか検事役に合う容貌と貫禄を持っていたと知る。母ハンナのアン・リヴィアも個性的な女優さんだ。信念に基づいた敬虔なクリスチャンの母親像を強固に演じている。息子の死刑判決に対して、殺意が無くとも死を望んだ心に罪があると諭す。ここにも、スティーヴンス監督らしい描き方が表されていると印象に持った。
アメリカを代表する文学の映画化で最も成功した作品のひとつに挙げていいジョージ・スティーヴンス監督の傑作であると思う。考え尽くされた場面構成と無駄の無いモンタージュ。撮影と編集の技術も非常に高いレベルにある。この映画の逸話ではないが、淀川長治氏がハリウッドで「シェーン」の試写をした時のエピソードの中に、パラマウント本社とスティーヴンス監督が電話で大喧嘩をしていたのに遭遇したという。それはクランクアップして8ヶ月過ぎたのに完成したと言わないスティーヴンス監督に、会社がいつまで待たせるのだと激怒したというのだ。編集に8ヶ月?作品は違えど、スティーヴンス監督の編集に拘る職人気質と作品自体に対する誠実な姿勢が、この映画にも充分窺うことが出来る。
Gustavさん
深い解釈と作品愛に溢れたレビュー、読ませて頂きました。
壁に掛けられた絵にも意図された深い意味があったのですね🤔鑑賞して時間か経っていたなら、間違いなくもう一度観たくなるでしょう。
牢獄に面会に来た母アンナの佇まいと台詞、ジョージの神を見るような何かを悟った表情が印象的な作品でもありました。