「アメリカの日常を虫眼鏡で拡大してみせた作品」ヒッチャー(1986) 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカの日常を虫眼鏡で拡大してみせた作品
大変に面白かった。今回観たのはHDニューマスター版のリバイバル上映で、最初の公開は1986年である。二十世紀にはこういう作品を作れたのに、二十一世紀のハリウッドは、金をかけるだけかけてつまらないB級映画を作るのに余念がない。観客が勧善懲悪の分かりやすいドラマを求めているからどうしてもそうなる。政治家のレベルは有権者のレベルに等しいと言われるが、映画も同じなのかもしれない。
本作品はスピルバーグのデビュー作と言われている映画「激突」に雰囲気が似ている。「激突」が主人公の悪意のある行動をきっかけとしていたのに対し、本作は善意の行動をきっかけとしているのが対照的だ。「君子危うきに近寄らず」とはよく言ったもので、人の善意につけ込む族(やから)がいるのは古今東西、同じである。
ヒッチハイクの場面で始まる映画なのでタイトルの「ヒッチャー」はヒッチハイクをする人だと思っていた。当方の英語力不足を露呈して汗顔の至りだが、本作品でのhitcherは「監視する人」という意味もあるようだ。多義的で秀逸なタイトルである。
土砂降りの中でヒッチハイクをする大柄な中年男を拾ったところから既に不穏な雰囲気に満ちていて、案の定というか、デスパレートな展開になる。善人の若者だった主人公ハルジーがどんどん変わっていくのも見どころだ。それは成長ということではなく、陰惨な場面や暴力に慣れていくということである。人間は何にでも慣れるものだ。これがひとつのテーマだと思う。
もうひとつのテーマは、ルトガー・ハウアー演じるヒッチハイカーの謎の行動である。タイトルのHitcherの通り、どこまでもハルジーを追いかけてくる。理由不明の暴力行動には底しれぬ恐ろしさがある。何故追いかけてくるのか、どうして無慈悲な行動を続けるのか、理解できない。
人間は必ずしも道理に叶う行動ばかりする訳ではない。2018年には元自衛官による富山市の交番襲撃事件は真相が闇のままである。元自衛官と言えば練馬区の中村橋の交番が襲われた事件もあった。いずれも警官が死んでいる。ストーカー事件は数え切れないくらい起きているし、本人にしか動機がわからない事件や、本人にも動機を説明できない事件もたくさんある。
本作品のヒッチハイカーの行動に似た行動を日常的なレベルに下げて考えてみることもできる。例えば学校でのいじめである。いじめる子は何故自分がいじめるのか説明がつかない部分もある。いじめられている側は不条理な攻撃を受けて戸惑い、継続するいじめに心が病んでいく。
そんなふうに考えていくと、本作品のヒッチハイカーの理由不明の行動は、人間の不条理な行動を極端な形で表現したのだとも言えると思う。いじめられている子には、いじめる子がどこまでも自分を追い詰めようとするのがわかる。まさに本作品のとおりである。
アメリカは銃社会だから、いじめっ子もいじめられっ子も場合によっては重装備していないとも限らない。やたらに発生している乱射時間もある。日本では金属バットによる家族殺人程度だが、金属バットと機関銃では圧倒的な攻撃力の差がある。本作品はアメリカの日常を虫眼鏡で拡大してみせただけなのかもしれない。
素晴らしい考察ありがとうございます。確かにそうですね。人間の根本的な行動変異や説明できない行動を描き・・・結局は人間という生き物の怖さを描いているのでしょうかね?雄弁な映像だけの語り口も見事でしたね。