美女と野獣(1946)のレビュー・感想・評価
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男の二面性
野獣の屋敷にやってきたベルが、屋敷に部屋まで導かれていく光景が何とも幻想的。
動く腕の燭台達と美しいベルの対比。廊下を滑るように進む彼女がうかべる戸惑いの表情と、ローブが風になびいて作るドレープの美しさ。
(スローで再生されるこのシーンの為に、どれだけの試行錯誤がなされたのか。ここを観るだけでも、この映画を見る価値があった。これは詩からの発想を映像に忠実に落とし込んだのだろう。コクトーの詩は知らないが、百人一首にある「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」という歌が思い出された)
恐らくどこからか彼女を見ていた野獣は、この時 彼女に一目惚れしたのだろう。気を失ったベルを部屋に運ぶ際、彼女の着物がドレスに変わるのは、その美しさが崇拝の対象になったということだろう。だから服装から髪型まで理想の形へと変えずにはいられなった。
崇拝の対象でありながら我が物としたい衝動。しかし自分は醜い野獣の姿。せめて見栄え良くしようと、普段以上に着飾って晩餐の席に望む。何ともどかしい事か。
ベルとしても驚きだっただろう。恐れていた野獣が自分にかしずき主人と崇め、耳をピクピクさせながら自分の手から水を飲む。父の見舞いに行くと言えば、一週間で戻らねば自分は死ぬと言いつつそれを認め、信頼の証に宝の眠る神殿の鍵を渡す。そんな姿にベルも心動かされていったのだろう。
しかし最後、野獣から戻った王子の能天気な事。そして最後には宗教絵画さながらに二人で天に昇っていってしまう。
しかしベルは、別の男を愛していたとは言いつつも、最後まで王子に愛していると伝えない。今後も主導権を手放すことはなさそうだ。
これは永遠の愛の物語ではないのだろう。男の中に潜む二面性と愚かさを、ジャン・マレーの一人二役で表現したかったのではないかと思う。
恵比寿ガーデンシネマ再オープンを祝して鑑賞
4Kデジタルリマスター版。
古典名画にこういっては何だが、意外と笑えるシーンがあって面白かった。
お城の燭台が人間の腕だし、クソ姉共が鏡を見るシーンでは笑いが起きてたし、アヴナンが死んで王子が元の姿に戻るところとかもうギャグでしょ。
そして最後はふたりで空を飛ぶ!
モノトーンの美しさ
ストーリーは主演二人の心の美しさに焦点を当てていて分かりやすくて良いが、特筆すべきは映像表現。耽美系のインテリアも衣装も凝っており、監督したコクトーの美意識やこだわりを味わえる。
動く腕がキャンドルを支える廊下。いくつも並んだ掃き出し窓の白い紗のカーテン。それが風をはらんでゆらめく中を歩いていくシーンは脳裏に残った。
主演は当時33歳(私の計算w)のジャン・マレー。物語の最後の王子姿は、なるほどコクトーも惚れるわけだ、と納得の美しさだった。とはいえ、ほとんどは特殊メークでの野獣姿。なので出番を増やすために、ベルの兄の悪友という設定にしたのかも。
ベル役の女優さんも美しい方で演技も良かった。
お話の世界がモノクロとフランス語によって詩になっていた
昔々あるところに、で始まるお話ですよ、の「美女と野獣」のヒロインは大人の美人で素敵だった。眉毛も細くて美しい。コクトーのはこういうのかー、面白くて笑える場面も多くて楽しめた。衣装も宝石も豪奢な室内にもうっとりした。
何よりも台詞が詩だった。フランス語はわからなくても、フランス語の森の中にいるようで夢心地。これがイタリア語とかドイツ語だったらどんな風になるんだろう。聞いてみたい💕
前から、美女
という翻訳題には違和感があった。ベルと・・でいいじゃない? セット豪華なんだろうが、撮り方も遠目が多く、スケール感が出ていた。ストーリーが有ると、全然眠くならない。最後に・・・カギはどうしたの?
皆さんもちょっぴり子どもに帰ってみませんか
1948年のジャン・コクトー版、初めての鑑賞です。
そのオープニングから、楽曲も手伝って実に気が利いている。
何というか、おしゃれなつくりです。
冒頭のコクトーからのメッセージ「皆さんもちょっぴり子どもに帰ってみませんか」が可愛らしい。
野獣のメイクが中々に質が高い。
そしてこの野獣、顔こそ野獣ですが身体が実にスマートなんですね。
それと家財になってしまった従者がシュール。
でも、日本の昔話にもいえる事だけど、自分の命と引き換えに娘を連れて行かせるっていうのが現代ではちょっと理解しがたい。
そして思いの外ベルがキッツい。ズバズバ切り込んできます。
物語の締めくくりもコクトーらしく、とても楽しめました。
やっぱり昔の映画はいいなと感じる一つの映画
今回は良かったって思ったことしかない!
すごく楽しめました。
母がジャンコクトーの絵画が好きなので、母とジャンコクトーの映画を観ました。
久しぶりに母と映画館で映画を観れて共感して嬉しかったです。
オープニングからワクワクしてどんな結末になるかとか
どんな風に描かれていたのかとか楽しみでした。フランス語を学んでいるので映画の勉強だけではなくフランス語の勉強にも役に立ちそうです。とても優しいフランス語なので学んでない母にも理解ができたらしいです。
私だけでしょうか?野獣が魅力的に感じたのは?
今の映画よりもいい感じがします。
ヴィランズっぽいヴィランズがいなかったのが多少気になりますがきっとジェネレーションギャップなのでしょうか?
昔の映画は今の映画と違ってMise en Scène がしっかりできていていいなぁと感じます。何個かのシーンで暗いお城のシーンがありましたが急に明るくなったりして主人公やキャラクターたちを映して表現を表しているところが昔しかできないものだなと感じました。それはきっと俳優さんたちをどれだけ綺麗に映せるかというのが難題だったのでしょうね!わからないですが色々気になることがあってまた観に行きたいともわせられる映画でした。
とにかく耳ぱたぱたさせたり、水を直のみしてるジャン・マレーの「野獣」ちゃんがかわゆす!
いやあ、予備知識なしで見ると、このラストはけっこうぶったまげるね。
なんかあのふたり、ふっ飛んでったんだけど!!(笑)
コクトー特集上映の三本目。
前半は眠くて眠くて結構ヤバかったのだが、野獣が出てきてからは、面白くてしゃっきり目が覚めた。楽しかったけど、なんか不思議な話でもあったなあ。
『美女と野獣』には、グリム童話に元ネタがある。旧版に収録されている『夏の庭と冬の庭』という御伽噺がそれだ。
この話を底本として1740年にヴィルヌーヴ夫人が長篇小説化したのが『美女と野獣』で、1756年になってボーモン夫人がそれをさらに子供向けの教訓読みものの短篇に書き直した。
コクトーが映画化し、のちにディズニーがアニメ化したのは、このボーモン夫人版である。
僕もそうだし、大半の人がそうだと思うが、ディズニー版の『美女と野獣』を先に観てしまっているので、コクトー版にはいろいろとディズニー版と異なっている部分が多くて面食らう。
ただ実際は、コクトー版のほうが概ね原作準拠で、『シンデレラ』っぽい姉たちの設定や、商人の父親が破産する出だしなどは、すべて元の話にあるものだ。歌のうまいポットやダンスの踊れるキャンドルスタンドなんか出てこないのも、原作どおり。逆にこのお話にミセス・ポットやルミエールを付け足してみせたディズニー担当者の発想力には頭が下がる。
原作になくてコクトー版にある要素もある。財宝庫と金の鍵の話とか、煙のあがる魔法の手袋の力とか、リュドヴィクとアヴナンの野獣討伐作戦とか。ディズニー版のガストンの原型ともいえるアヴナンは、キャラ自体が原作に登場しない。コクトーのオリジナル要素がディズニーにいくばくか引き継がれたケースといえそうだ。
コクトーが『美女と野獣』でやっていることは、じつは『詩人の血』や『オルフェ』と、そう変わりない。
●出てくる男女がみんな美形ぞろい。
●真実を映し、異世界へと通じるきわめて重要なアイテムとして、「鏡」がでてくる。
●ここぞというところで必ずぶっこんでくるトリック撮影(逆回し、壁に見える床など)
●男性間の友情は繊細に描かれる一方、女性の描き方が若干シニカルで類型的。
●絵画的な画面のアプローチと、美術史的文脈からの引用(ドレとフェルメール)。
●彫像の姿をした女神が、受肉して主人公の人生を左右する(本作ではディアナ)。
このあたりの、「コクトー」らしさは、そのまま本作にもまるっと引き継がれている。
ただ、有名な御伽噺の映画化ということで、ちゃんと平易な物語映画として成立しているし、『詩人の血』や『オルフェ』のような、わかりにくかったり、とんがったりしている要素はほとんどない。
むしろ、喜劇やメロドラマの旧作からの引用や、作品研究の成果が随所で生かされている感じがする。姉ふたりの極端に戯画的な扱いはどちらかといえば喜劇的だし、音楽の使い方も、同じジョルジュ・オーリックでもいかにもメロドラマ調の曲調で馴染みやすい。このへん、ノンクレジットの共同監督としてルネ・クレマンが参加しているというのもあるのかもしれない。
お話は、ある意味「モンスター映画」の「祖型」みたいなところがあるぶん、類似したさまざまなジャンル映画の種々のシーンがいろいろと脳裏をよぎったのも確かだ。
あるときは、『オペラ座の怪人』みたいだったり。
あるときは、『キングコング』みたいだったり。
あるいは、『狼男』みたいだったり、『フランケンシュタイン』みたいだったり。
じつは、「モンスターが人間の女性に懸想する」タイプの物語って、みんな結局は『美女と野獣』から派生したものだったんだなあ、と今さらながらに思う。
また、物語としてとても根源的なテーマであるぶん、現代とつなげて観られる部分もずいぶんとある。
たとえば、ルッキズムをめぐる、ラディカリストと伝統主義者の対立とか。
新興宗教の信者に対して脱会を薦める側の主張する正当性の有無とか。
毒家族の悪しき影響から逃れるための「さらってくれる男」の存在とか。
とくに「さらってくれる男」のテーマというのは、まさに『美女と野獣』を祖型のひとつとする黄金類型であって、誘拐されて無理やり結婚させられた蛮族の王が、振る舞いは野蛮だが実は優しくて超優秀でいつのまにかめろめろに、なんてのはまさに女性向けロマンスの定番中の定番だといってよい。シークもの(アラブの族長)とか、ハイランダーもの(スコットランドの王)とか。
考えてみれば、『カリオストロの城』の「自分をさらいにきてくれる義賊」てのだってそうだし、あるいはこのあいだドラマが中止に追い込まれていた『幸色のワンルーム』だって、淵源をたどれば『美女と野獣』の物語にたどり着く。いまテレビでアニメをやっている『ノケモノたちの夜』だって、ビジュアルだけでいえば、完全に『美女と野獣』の延長上にあるお話だ。
『美女と野獣』を観るという行為は、「その後」に生まれた大量の『美女と野獣のような物語』とのあいだで「答え合わせ」をする行為でもある。
どういう形で当初の「強要的な関係」を設定するか。どのへんから野獣を「デレ」させるか。どうやって女性の気持ちをなびかせるか。終盤にどんな障害をふたりの前に投下するか。多くの創作者たちが、『美女と野獣』のテーマに挑んできた積み重ねとしての「総合知」が、観ていて「フィードバック」してくる感覚とでもいうのか。
「美」と「醜」の対比を前面に押し出したロマンスという意味でも、『美女と野獣』の類型は、多くのフォロワーを生み出している。前出したモンスター映画だってそうだし、『愛と誠』だって、『101回目のプロポーズ』だって、『電車男』だって、『俺物語』だって、要するに「格差恋愛」で男性側に圧倒的なマイナス面があるものは、多かれ少なかれ『美女と野獣』の影響下にある。
この場合、けっこう大きなポイントになるのは、「ヒロインは生まれつきの美貌に恵まれ、そのメリットもデメリットも自覚して成長してきたために、意外に相手の不細工さや挙動不審さに対しては気にならなかったり、抵抗を覚えなかったりする」という「裏設定」だろう(笑)。
これは、物語だけの話だけではなく、時に現実でも実際に起きている事案だから、結構リアルに則した感覚なんだろうけど。
コクトー版『美女と野獣』でいちばん印象的なのは、「野獣」があまり「野獣」らしからぬ点だ。
登場した瞬間から、「野獣」が強面で迫るシーンがほとんどなく、常に紳士的で、ずいぶんと弱気だ。
(じつは原作でも「野獣」は紳士らしくふるまうキャラであり、野獣が「粗野」というのはディズニー版で新たに付け加えられた要素らしいが。)
「野獣」というより、なんだか「アニマル」っぽい(実際、台詞でもどこかでベルに「アニマル」って言われてたはず)。
自分のこと、「あなたが女主人で、私は尽くす立場だ」みたいに、下僕宣言までしてるし。
「泣いた赤鬼」とか「かいじゅうたちのいるところ」と一緒で、見た目が怪物なだけで、ちっともこわくない。てか実際、ベルと出逢ってすぐの段階からこいつ、めそめそ泣いて弱み見せてるし。
あと、40年代の映画なのに、ギンギンにケモナー属性全開で萌え死ぬ。
なんか、耳ひくひくさせてるし!
頭なでられてるし!
手から水ぺろぺろしてるし!
ベルの移り香残る毛布に、ライナスみたいにむしゃぶりついてクンカクンカしているし!
お前はどこの岩清水弘か!!
ベルはベルで結構、言いたいこと言ってる(笑)。
「あなたは醜いわ」とか、「出て行って」とか、「友達でいましょう」とか、まあまあ容赦がない。
がっつり拒絶してたわりには、真珠のネックレスもらったら、まんざらでもなさそうに態度を軟化させたり、自分が美しいことにはきわめて自覚的だったりと、意外に計算高いところも垣間見える。
ラストの会話のやりとりを聞いていると、「いいえ」と「はい」だけで、ほぼ王子の心を支配しており、今後の結婚生活で亭主を尻に敷きつづける行く末が目に浮かぶようだ。
世間的には、ディズニー版でベルにフェミニストとしてのキャラが与えられ、「ヒロインが成長する物語」から「野獣が成長する物語」への切り替えが図られたことになっているが、コクトー版のベルも、この時代にしては結構、男性に対してものおじしないキャラクターではないかと思う。
一番気になるのは、やはりアヴナンのキャラクターだ。
なぜ、わざわざジャン・マレーの一人二役まで使って、このオリジナル・キャラをコクトーは出したがったのか? ライバル・キャラとしては、どちらかというと弱っちいというか、「野獣」ほどキャラが立っていない分、余計にそこはとてもひっかかる。
パンフを紐解いてみると、「ボーモン夫人版物語を忠実に映画化したとしても短編にしかならなかったため」とあり、「もちろん素顔のマレーの出番を増やす意図もあった」とあって、それはたしかになるほどねって話なんだけど(笑)。
野獣とアヴナンは、どちらも同じジャン・マレーが演じていて、どちらもベルに求婚しているうえ、野獣に「アヴナンのことが好きだったのか」と訊かれたベルは、はっきり「ええ」と答えている(じつは観ていて「ええっ? そうだったんだ!」とちょっとびっくりした)。ラストで野獣とアヴナンの「交代」劇まで扱われている以上、野獣とアヴナンが「対」となる存在であることは間違いない。
ただその割には、アヴナンの扱いが軽いというか、ただの頭の弱いくだらないやつにしか思えないし、ベルがこんな男のどのへんに良さを見出していたのかもよくわからないし、ラストでの短慮ゆえに起きる悲劇も含めて、とても「野獣と並び立つ」ようなキャラクターには思えない。
このあたりは、もう少しちゃんと考えてみないといけない部分かもなあ。
その他、終盤になって唐突に「匂わせ」てくるお姉さんのアヴナンへの慕情とか、ラストのあの場で残されたリュドヴィクは結局どうなったのかとか、おじいさんの手に渡った涙のダイヤモンドって活用されたんだっけとか、いろいろと未解決の問題も多い気もするが、ぜんぶラストでふたりが吹っ飛んでいくのと一緒に吹っ飛んでしまいました(笑)。
総じていうと、お話としてはふつうに面白かったけど、「恋愛譚」としては、あまりちゃんと心情描写が成されていないぶん、ちょっと組み立ての建付けが悪いというか、不格好な気もする。
出会いがしらに恋に落ちたといえばそれまでだが、強制的に拉致してきた女性に対して、出だしからひたすら低姿勢で求婚しつづける野獣は、説教レイプ犯レベルで十分キモいし、ベルが野獣にほだされていく過程も、きちんと描けているとはおよそいいがたい。
その点、ベルと野獣の心が通じていく過程を丹念に描くという意味では、ディズニー版のほうが圧倒的に完成度は高いだろう。
あと、王子のメタモルフォーゼン以降の流れは、さすがに短兵急に過ぎるのでは。
ディズニー版のときですら、変身した王子を観て「野獣のときのほうが、100倍魅力的だったんだけど!」と思ったものだが、コクトー版の王子は、華麗できらびやかというより、頭の悪いボンボンのただのコスプレのようにしか見えない。だいたい、あんなにしおらしくて陰影に富んでいた「野獣」の本性が、こんな気持ちの悪い自信満々のイケイケボンクラ王子だったなんてガッカリだよ……しかもそこからの流れでいきなり米米CLUBか窪塚洋介みたいにアイ・キャン・フライかましてくるんだから、こちらとしてはただ失笑するしかない。
王子様に変身した野獣を凝視しつつ、女の顔をしながら、ぬめっとした笑みを浮かべているベルもたいがい怖いし。そういやこいつ「アヴナンのことも好きだった」とか返事してたもんな。結構、魔性系かも。
気になる点をあげだしたら、他にもいろいろ出てきそうだけど、
まあ、「野獣」のかわいさで、すべては許せちゃうんだよね。
とにかく、野獣かわいい。
この映画はそれに尽きる。
その意味では、これもまたコクトーによる、ジャン・マレーへの愛の贈り物みたいな映画なのかも。
この時代でこの映像はすごいと思うけど…
ヒカリと影の映像対比がモノクロゆえにすごい。が、4Kといえどさすがにつらい…画面が暗すぎて疲れる。野獣のヴィジュアルは迫力あるしあがり。逆にベルの色気ごありすぎてラストはただの男女にみえてしまって残念。
鏡に映る野獣の苦悩と壊れた鏡が示す野獣の危篤
お城、食卓、ベッド、鏡、ドレスと造形が何とも魅力的、話の流れも飽きさせない。そう、鏡の中の顔や動物、割れた鏡、屋根から見える財宝、ベッドの上の寝具等が話の展開に結びつき、印象に残る。
ただ、流石に70年以上前ということで、野獣顔はちゃちい感じで、個人的好みかもしれないが美女があまり綺麗に思えない。
野獣が財宝に目が眩んで射抜かれたジャンマレーの顔になるのは、驚くべき展開だが、すっきりしない展開。射抜かれたジャンマレーが野獣になり、まるで入れ替わった様。外見の美と心の美が合わさってめでたしめでたしということなのか。ただ、見てる方はこの顔はチンピラと印象づけられてるので、複雑な気持ちになってしまう。
とは言え、こんな細部の造形にこだわり、個性的でユニークな映画を作るジャンコクトー監督には、大いなる魅力を感じた。
鑑賞後の映像美・豪華さのイメージが21世紀に入ってからのリメイク作品群と変わらないのが凄い!
①最後、空を翔びましたぞ!以降の映画化にはない驚きのラスト。冒頭、「これはお伽噺です」とジャン・コクトーがことわりを入れたのも分かるファンタジー。②ベルが初めて野獣の館の門を入り自分の部屋まで導かれる一連のシーン、画面が一転スローモーションになり流れるような映像美が素晴らしい。
幻想的ロマンティシズムの美しさを極めた詩人ジャン・コクトーの映像の魔術
詩人ジャン・コクトーを初めて知ったのは、17歳の時に偶然鑑賞することが出来た「オルフェ」だった。詩人が映画を撮るとイマジネーション豊かな映像の世界が繰り広げられて、凡人には想像できない表現があるのかと度肝を抜かれ、大変なショックを受けた。それからコクトーの詩集を一冊買って読んでみたら、ほとんど理解できずに読み終わってしまった。これは無理と想い、映画監督のコクトーだけにしようと決めたのだが、作品数は少なくその機会も限られて疎遠になる。
ただ、「オルフェ」とこの「美女と野獣」の二作品だけでも、ジャン・コクトーの偉大さは私にも理解できるのが、負け惜しみ含めて嬉しい。
童話の物語を大人の為の映画にした、この作品の幻想的ロマンティシズムを何と表現しよう。計算尽くされた照明、凝った配置の調度品などの舞台装置の完璧さ、そして撮影技術を駆使した映像美の拘りと、すべてが美しさのために創造されている。こんな映画を作れるのは、過去にも現在にもいない。詩人コクトーが映画を監督してくれたことに、ただただ感謝するしかない。
1986年 7月18日
Adieu, La Belle. 芸術の総合デパートや!
もともとは1740年に書かれた物語の「美女と野獣」。これまでに何度も映画化されているのですが、今回は1946年のジャン・コクトー版を観てみました。流石「芸術のデパート」と称されたジャン・コクトーだけあって、ベルが初めて野獣の屋敷に来るシーン等見せ方が美しいです。白黒なのに惹き付けられる物があります。スゴいな、コクトー。
ベルを演じたジョゼット・デイ。美女という割にはちょっと歳いってるかなっと思って検索してみると公開当時27歳。うーん、ギリギリでしょうか?もうちょい過ぎたら「美魔女と野獣」になっちゃいそうです。っと思って2017年版でベルを演じたエマ・ワトソンを検索するとこちらも公開当時27歳!未だに自分の中でハーマイオニーだったので意外な年齢にビックリ。そりゃ、自分も歳取るわけだ。
野獣さん、ディズニー版と比べるとモフモフ感が足りないですね。1週間ベルに会えないと死んじゃうって、怖い見た目と違ってウザギメンタルでした。可愛い所あるやん。
屋敷のアームキャンドルとか自動ドアとか、壁の人とか当時は色々と頭を捻りながら作ったんだろうなぁってのが伝わってきます。昔の映画のいかにも「演じてます」風な話し方はちょっと苦手なのですが(なので個人的にはどうしても昔の映画の評価は低くなり勝ちなのですが)、本作は所々いい感じの絵を撮っていたのに感心しました。芸術のデパートは伊達じゃなかったです!
色褪せない天才コクトーの仕事
コクトーの 美意識/感性を観ることが 出来た
特に マントを着たベルが 野獣の館の中に導かれてゆく場面が、素晴らしい
扉を開けてから スローモーションで駆け入る彼女と なびくマントの美しさ、迎える燭台
階段を上り 豪華な装飾の扉の前で迷う彼女(と揺らぐマント)の絵画のような美しさ
更に カーテンが風にはためく廊下を 立ったまま滑ってゆき、部屋に吸い込まれてゆく様な展開
他にも 見処満載で、楽しい
この映画は 愛人ジャン・マレーの為の映画でもある
彼は人柄も良さげで「完璧な王子」に近いとも思うのだが 二人は別れてしまう
天才は(物語の主人公と違って) 欲深いものなのだろうか
これぞ美。
第2次世界大戦直後に制作されたと聞く。
そんなことは微塵も感じさせない豪華さ。動きのたおやかさ。
正直、ヒロインとヒーローは本来私好みの顔ではないのだけど、観ているうちにため息が出る。
品格とはこういうものか。媚びない強さ。
映像美に酔う。
次々に現れる調度。
絹のドレスの衣擦れ。
そして、次はどんな仕草でどんな台詞をどういうのだろう。背筋が伸びるような気がする。
ディズニーがミルキーのようなロマンティックなら、この映画は最高級ワインのようなロマンティック。決して甘いだけではなく、香高く、味わい深く、手ごたえもがっしり。
庶民には絶対手が届かない世界。
ベルの前では紳士的にふるまう野獣の中にある激しさ。
ベルに拒絶されては、森の中で己を傷つける。
己の中の獣性と必死に戦っている。
孤独が際立つ。
そしてさびしさで息絶える。
観ていて切なくなった。受け入れてもらえないってその位苦しい。
ベルは最初から野獣を受け入れているわけではない。
安易に人(野獣)を受け入れずに、己のプライドを保とうとする思慮深い姿。
そのくせ、その衣装で実家に行ったら姉達が嫉妬するでしょ、という無神経さ(?)も持ち合わせている。
でも、約束したことは守ろうとする誠実さ。その約束をした相手が誰であっても。
媚びない、なれ合わない。
だのに、少しずつ心が近づいていく。
そんな二人に、ベルの姉達、求婚者が絡む。一波乱、二波乱。
己の中の獣性。恐れ。高潔。誠実。嫉妬。卑しさ。
この映像美の中に、けっして美しいだけではない、様々な人間の心が渦巻く。
なのに、決して品位を損なわない。
彫刻のように刻み込まれている。
美やロマンティシズムを語るなら、そして本物のゴージャスに浸りたい時に、視聴すべき作品だと思います。
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