「スチュアート夫人の恋人、または、NZ南島の精霊」ピアノ・レッスン(1993) パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)
スチュアート夫人の恋人、または、NZ南島の精霊
観たか未見かの記憶さえ曖昧な作品がかなりあるのだが、本作もその一つ。
『海の上のピアニスト』の方は観たところ、どうやら再見らしいと結論したが、本作は、たぶん初見っぽい。
マイケル・ナイマンのテーマ曲だけは、聴き馴染んだ、いわゆる知ってる曲だったが、本作サントラは全世界で300万枚以上の売上げを記録した大ヒット曲だったので、未見でも知ってて可笑しくはない。
クラシック絡みの作品だなと思って気にはなってたけど、ちょうど今の仕事に就いて忙しい時期だったんで観られなかったんじゃないかと思う。
で、とにかく観はじめると驚くことばかり。
主人公エイダ(ホリー・ハンター 公開時34歳)が発話障がい者であること、
彼女はスコットランド生まれながら、一女フロラ(アンナ・パキン 10歳)を連れて(未婚の母か再婚かは説明されない)、嫁入り先として海を越えて渡ったニュージーランドが舞台であること、
も初めて知って驚いた。
荒れ狂う波が寄せ来る浜辺で、エイダがピアノを弾く姿や、その遠景、
器械体操よろしくフロラがクルクルと回転する様子の構図が美しいな、幻想味があるな、アートだな、
と思って観てたら、もっと驚く展開が待ってた。
‥‥邦題にもなってる「ピアノ・レッスン」は真のメインテーマでは全然なかった。
本当の主題は、スチュアート(サム・ニール 45歳)夫人となったエイダと通訳のベインズ(ハーヴェイ・カイテル 53歳)との性愛のレッスンだったってことだ。
*最後まで、入墨姿のベインズはマオリ(族)だと思って観ていたが、パンフレットの原田真見北大准教授によると白人でありながら自らマオリの世界に入って行った人物であるようだ。
それより、演じているのは、かのタランティーノの出世作『レザボア・ドッグス』(1991年)のいかついMr.ホワイト、ハーヴェイ・カイテルではないか!
どうも、どこかで観たような顔だけど、マオリの俳優って知らないしなぁ、とか思ってたら、その前提からして間違ってたって訳だった。
最初は、エイダが命より大事にしていたピアノをスチュアートが浜辺に放ったままにしておいたのを譲り受けて、まぁ本当にエイダのピアノ・レッスンを始める‥
ってか、実際は、彼女にだけ演奏させて、その姿を情欲の目で眺めることを日課にし始める訳だけれど‥‥
ここまで、妻となるエイダの意志を全く尊重しようとしないスチュアートも無理なら、
この人妻を我が家に通わせて肉欲の対象とするベインズも、「無ぅ理ぃっ!」てな感じで、‥
ベインズがひとり全裸になって着ていた肌着でピアノ全体を撫でまわすように拭き始めたのを観て、
なにぃッ、この変態はッ、
って思ってたら、いよいよエイダに、
裸になってこっち来い、
ってなるし、‥‥
‥‥かと思ったら、その様子を夫スチュアートが床下に潜んでうかがうだけで、介入して止めようともしないし、‥‥
何じゃ、こりゃ、変態映画か、
ってな感じで、‥‥
‥‥仕舞いには、エイダ本人から進んで、ベインズとセックスしに行くようになるし、
それを幼いフロラがしっかり覗き見るし、 エイダはベインズへの伝令役としてフロラを使おうとするしで、‥‥
もう、このあたりまでは、
何だか障がい者をエロの対象としてもてあそんでるし、
(ベインズがマオリだと思ってたんで)レイシズムを悪用した発情シーンがヤマ場になるわ、
子どもに不倫セックスを見せるわ、
で、
出て来る登場人物、主人公のエイダ含めて皆んな変態ちっくでマトモな人間ひとりもいないし、
と、いくら名作の誉れ高かろうと、パルムドール受賞作だろうと、スコア2点台は決定だな、の勢いではありました。
スチュアートは、てっきり性的不能者なのかな、と思ってたら、突然、エイダの方から性的な愛撫を受けるようになって一応喜んではいるし(でも、自らそれ以上に進もうとしないから不能説もまだありかも知れないが‥ まぁチャタレー夫人の要素はあるかな、と)、‥‥
それなのにスチュアート、エイダが、ピアノのハンマー抜いて、ベインズへの愛を伝えようとしたことを知ると怒り狂って、彼女の指を斧で斬り落とすし、‥‥
何ちゃら島の精霊かって‥
で、ああ、こりゃダメだ、この映画はッ、
て思いかけたところで、急転直下、
ベインズの家を訪ねたスチュアートが、曰く、
俺は、エイダが話す言葉が、この頭の中で聴こえたんだ。
エイダが本当に愛しているのはベインズ、お前だってことが、さ。
で、本当に、スチュアート、エイダをベインズのもとに送り出した。
‥‥ えッ?
これって、ハッピィエンドだったん??
マオリの伝統的な舟で、北(首都ウェリントンのあるノースアイランドならむ)に向かうベインズとエイダ。
エイダの大切なものだからと、横幅の狭いマオリの舟に、ピアノを無理に載せている。
エイダは、
もう壊れてるから要らない、海に捨ててよ、
ということで、ピアノを海に投じると、
それに引っ張られて解けた縄がエイダの足に絡んで、
ドボーンッ!
あぁ、やっぱりバッドエンドなのね、
って思ってたら‥
What a death !
What a chance !
What a surprise !
のナレーションとともに、エイダは自力で波の上に泳ぎあがり‥‥
無事ふたりはノースアイランドで、仲睦まじい夫婦となって、ピアノ・レッスンを糧とする生活を送るのでありました。
と本当に、ハッピィエンドで、めでたし、めでたし。
やれ、障がい者差別じゃないか、レイシズムじゃないか、登場人物みんなマトモじゃない、
とか思い込んでたら、障がいの壁も、民族の壁(ベインズが白人だとしても入墨して自らマオリとなったので)も乗り越えて、スチュアート(彼のその後は描かれないが)も、エイダも、ベインズも、最後には、ベストの選択をして、自ら望んだ幸福をつかみ取ったという結果に、まぁ、正直、うならざるを得なかった訳です。
とにかく望まない結婚に始まった不幸が、 エイダの、発話障がいも、不倫のそしりも、ドロドロのぬかるみも、物ともしない強い意志と行動によって、スチュアートをはじめとする全てを動かし、幸福に反転していく、っていう展開は、あっぱれと言わなくてはならないでしょう。
してやられたなぁ、って。
これは、3.5 以上でないと公平じゃないよなぁ、って。
脚本も自ら書いたジェーン・カンピオン監督(1954- )、女性監督初のパルムドールですって。
さすがは、カンヌです。
そうそう、マオリの血も引くNZのタイカ・ワイティティ監督の『ネクスト・ゴール・ウィンズ』にファファフィネと呼ばれるサモアの第三の性が出て来ましたけど、本作でもマオリのそれが登場してましたね。
ではまた。
かばこさん、いつもコメントありがとうございます。
貴レビューにコメントさせていただきましたが、かばこさんのレビューも作品の深いところを噛み砕いて解説され、大変参考になりました。
素晴らしいレビューをありがとうございます。
倫理とか思いやりとか、全部すっ飛ばして自分の幸せを掴みに行ったエイダがあっぱれというか。彼女の後には屍累々かもだけど、それが何か? なんでしょうね。したたかで強いです。
これを描いたジェーン・カンピオンは見事だと思いました
マオリにも第三の性の人々がいたんですね
中盤の「変態」疑惑を越え、辿り着きました。私も!
この作品の魅力に行き着くまでをわかりやすスルスルと読ませため息!クライマックスに及ばす諦めた方にぜひ届けたいレビューです👏
共感ありがとうございます。
ジェンダー差別と言われても仕方ないかもしれませんが、女性監督のエッジの立ち様はエグいですね~キャスリンビグローとかも。原題が“THE PIANO”なのも男前過ぎです。