「無垢なるはピアノの音色だけ」ピアノ・レッスン(1993) sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
無垢なるはピアノの音色だけ
ホリー・ハンター演じるエイダのまるで人形のような美しさが印象的だった。
幼い時から言葉を話すことを止めてしまったエイダにとって、美しいものは亡き夫との思い出と分身のようなピアノだけ。
それ以外のものは極端に猥雑に描かれているように感じた。
マオリ族も白人も、彼女の新たな婚約者であるステュワートも、唯一血の繋がった一人娘のフローラでさえも。
ステュワートは彼女の分身であるピアノを重くて運べないという理由で浜辺に置き去りにする。
後日、白人でありながらマオリの刺青を施したベインズに、彼女は砂浜まで連れて行って欲しいと頼む。
砂浜でピアノを弾く彼女の姿を見て、ベインズはピアノと自分の土地を交換しないかとステュワートに持ちかける。
最初は真心からエイダのためにピアノを運ばせたかのように思われたが、結局彼が欲したのは彼女の身体だった。
ベインズはレッスンを一回受けるごとに、ピアノの黒鍵を彼女に返すと誓う。
レッスンの間だけ、エイダは卑猥な要求をされるものの、自由にピアノを弾くことが出来る。
時折狂ったようにピアノを弾く彼女の姿が印象的だ。
最初はベインズを拒んでいたエイダだが、次第に彼に心を惹かれるようになる。
そして彼と身体を重ねるピアノレッスンだけが彼女の心をときめかせる時間となる。
エイダがベインズと関係を持っていることを突き止めたステュワートが、現場に乗り込むわけではなく、床下に隠れて行為の一部始終を覗く姿も異様だ。
そして告げ口をすればどんな悲惨な事態になるか想像が出来るはずなのに、フローラはエイダがベインズへの想いを綴った鍵盤をステュワートに渡してしまう。
怒り狂ったステュワートは斧でエイダの指を切り落とす。
すべてが狂っている中で、ピアノの音色だけが美しく響く。
それこそほとんどの場面が猥雑であるにも関わらず、ピアノの音色とエイダの美しさによってこの映画はとても神秘的な印象を観る者に与える。
最終的にステュワートは自分ではエイダの心を救えないことに気がつき、ベインズに彼女を託す。
過去に鑑賞した時は、ピアノと共に海に沈むエイダの姿が印象的だったので、そのまま彼女は死んでしまったものと記憶していたが、実際は自力で海上に這い上がった彼女はピアノの教師として新たな人生を送るというラストだった。
時折海底に沈むピアノを夢見ながら。
全編を彩るマイケル・ナイマンの音楽がとても心に沁みた。