ハンバーガー・ヒルのレビュー・感想・評価
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「愚かな戦争だった」と言えるのは、その愚かな戦争を戦った者だけ。
1968年1月の「テト攻勢」で、サイゴンのアメリカ大使館は南ベトナム解放戦線(NLF)に一時占拠されてしまいます。最終的にNLFは撤退しますが、アメリカに与えた政治的打撃は甚大で、世論は反戦・停戦に一気に傾いて行くことになります。
ハンバーガー・ヒルの麓で休息する小隊に届いた故郷からの便り。兵士の妻は、「周囲がどう言おうとも、私はあなたを信じている。愛している。」と語り。別の兵士の恋人は、「ベトナム戦争を支持していると思われるのは嫌だから、この手紙を最後にする」と伝える。当時のアメリカ世論を反映した描写ですが、辛いですよね。どちらの兵士も。
後に、それが愚かな戦争だったと言われることになっても、そこには勇敢に戦った兵士たちがいた。
全く、その通りなんです。その通りではあるんですが。失われていった、多くの尊い命の教訓として、私たちは「愚かなる戦争」を繰り返してはなりません。って事で。
良かった。とっても。
これは、やっぱり良作です。
以下「エイショウ・バレーの戦い」とは何だったのかについて、その背景等を。
◆アシャウ渓谷の戦略的価値
映画の中での記述は「エイショウ・バレー」でしたが、「アシャウ」と発音する方が一般的なので、「アシャウ渓谷」と呼ぶことにさせて頂くとして。後に、アメリカメディアは一斉に、この「937高地の戦い」を非難し、「戦略的価値は皆無だった」だの、「爆撃だけで十分であった」だのと騒ぎ立てます。
アシャウ渓谷は、南北に長く延びるベトナムの、ほぼ中央。現在はベトナム第三の観光地となっている、フエの西方。東西に走る、アジア・ハイウェイ16号線の南側に位置します。ラオスからのアクセスが比較的容易であるアシャウ渓谷北側には、北ベトナムの物資貯蔵庫があるものと考えられていました。事実、これらの貯蔵庫は米軍の爆撃から逃れるために穴倉となっており、北ベトナム軍第29連隊が駐留するベースキャンプでもありました。
ラオスからの補給路の要衝であるアシャウ・バレーは、戦略的に重要な場所でしたし、熱帯雨林の樹木の、更に地下に隠蔽された貯蔵庫と施設は、爆撃だけで壊滅させることは困難なものだったと思われます。
"A Shau Valor: American Combat Operations in the Valley of Deathはアメリカ人 Thomas R. Yarboroughの著書。当該地での戦闘は、1963年から1971年まで続きました。アシャウ渓谷の戦争だけで、本が書かれているくらいです。一冊では無く、一人の著者だけでなく、何冊も、何人もの人が、この地での戦争の記録を残しています。
◆アパッチ・スノー作戦
1969年5月10日、この映画で描かれている「アパッチ・スノー作戦」が開始されます。最初に投入されたのは、アメリカ軍の精鋭101空挺師団の7個大隊、南ベトナム第1歩兵師団・第3海兵師団・第9海兵連隊。まず、隊はアシャウ渓谷東側から侵攻し、共産軍のラオスへのアクセス・ルートを絶ち、孤立させます。更に、共産軍の備蓄庫として知られているアシャウ北側へ進軍。共産軍は一歩も引かずに応戦。937高地の「Dong Ap Bia」=「Humberger Hill」の戦いへとつながります。
937高地の西を前進していた187空挺連隊第3大隊の歩兵たちは、進軍するに従い、より激しい攻撃を受ける様になります。直に自動小銃による攻撃が斜面に広がり丘全体での交戦が始まり、航空支援と砲撃を要請。
翌11日から、187連隊第3大隊の各中隊は、頂上に向かって進撃を開始します。密生したジャングルを抜けると、航空支援と砲撃によって植物がなくなっている裸山。そこで各中隊は敵の砲火により釘付けとなります。B中隊の2個小隊はなんとか頂上まで25メートルの地点まで進むも、突然の豪雨により泥濘と化した斜面に進軍をあきらめます。
12日、更に多くの航空支援と砲撃が敵の掩蔽壕が存在する地点に要請されますが、45分間の激しい銃撃戦に味方が耐えられず頓挫してます。
増援部隊である506空挺連隊第1大隊は、Dong Ap Biaの密集した森で部隊を分散し進んだため、激しい敵の抵抗を受け苦戦。18日、3つの中隊が丘にある基地の南西部に到達。そして更なる増援の第2大隊、南ベトナム軍第2・第3連隊を迎え入れます。
5月20日、4つの大隊がDong Ap Biaへ一斉に攻撃を開始。187連隊第三大隊のA中隊、506空挺連隊の2大隊が北側から、506空挺連隊の第1大隊が南、南東から、南ベトナム軍の将兵が南東から、そして501空挺連隊「ジェロニモ」の第2大隊が北東から攻撃を行います。10日間の激しい攻撃で北ベトナム軍第29連隊は壊滅。アメリカ軍側は、頂上を確保しました。
アパッチスノー作戦は、937高地の「ただの丘」を確保した20日後に終了しました。共産軍犠牲者は675人(確認されたもの)。捕虜は3人。241の自動小銃、41の小火器、100,000発以上の弾薬を鹵獲して作戦は終了しています。
◆CBSのインタビュー
CBSの特派員が、攻撃作戦中の第187連隊を取材している動画があるそうです。映画の中での小隊名は「16」。10日からの20日まで通して作戦にあたり、CBSの取材を受けたと描写されていますので、187連隊第3大隊下の小隊と想像されます。インタビューの内容については、現在視聴できないため不明でした。
すごかった
WOWOWで随分前に見て以来2回目で、スクリーンは初めてだ。戦場の過酷さが思う存分描かれていて、兵士は消耗品扱い。味方に攻撃されるのがつらい。みんな制服なので誰が誰だか顔を憶えられない。
何の為に
突如始まる銃撃戦、闇夜で姿の見えない敵と戦い、仲間達を次々と失っていく。ラストシーンの若き兵士の頬を伝う涙が重く苦しい。
20代当時、ベトナム戦争で体験した記憶を基に脚本化した作品との事ですが、若いアメリカ兵達のリアルな姿に心を揺さぶられました。
戦争というものの惨たらしさと虚しさを改めて強く感じました。
-部下に死に方を教えるため?
-死が影のようについてくる。何処へ行っても
BS-12 を録画にて鑑賞 (字幕版)
今もある。明日は日本も、
50年以上も前のことなんだ。
終戦から20年も経て撮影されたからか、
あの当時の残酷さや残虐さは伝わらない。
アメリカ兵の嘆き呻きと、
爆音、大爆音の恐怖を煽る音響だけ。
恐怖で、味方さえ発砲し、
誤爆、誤射し続け、薬莢の山がこの映画の自爆キモ。
戦地でも、自国でも、
味方も敵となる無意味な派兵戦闘。
他国に派兵され、
今もあんなことしている国が、
沢山あることを忘れてはならない。
理屈はどうあれ、
あれ以上のことをされている国があることは事実だ。
どうしたら良いのかを考え続けたい。
日本もアジアでやってしまったから、
今も加担しようとしている。
それが怖い。
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