「こりゃすごい!」パルプ・フィクション まゆうさんの映画レビュー(感想・評価)
こりゃすごい!
ちゃんと見たのは初めて。古い映画なのに、今見てもカッコいいよ…!ちゃんと面白い。全然退屈じゃない。
フィクションて、登場人物やエピソードが意図的に配置されて、一つの共通の目的(結末)に向かって進んでいくけど、現実の世界では違う。例えば私がダイナーでコーヒーを注文して、絶望しながら涙している隣の席で、カップルが楽しくデートしていて多幸感でいっぱい…みたいなことは日常だし、そこにはそれぞれ別の人生のドラマが存在する。現実は、何の理由も目的も筋書きもない雑然としたエピソードが、あちこち転がっているだけ。我々に共通のエンディングなんか無い。その無造作に転がってる感じで作品を撮りたかったんだろうな…と思った。
確か松尾スズキさんの書籍で、こんなことが書かれていたと記憶している。
「作り話ってきれいにまとめることが出来る。でも現実は違うよね」と。めちゃくちゃ悲しいのに、辛くて苦しいのに、お腹減ったりするじゃん、人間て。真面目に絶望してんのにウンコもしたくなるじゃん。たとえ人生のどん底でもトイレで尻を出してるわけで。その姿を定点カメラで撮ったら多分アホみたいな動画になると思うんだけど、そういう冷めた視点というか、コメディみたいなニュアンスをこの作品から感じる。(大事な場面でジョントラボルタがいっつもトイレに行ってるところなど。)
そういう滑稽にも見える現実世界で、人が生きるとか死ぬとかって、皆んなが思うほど大袈裟なもんじゃない。むしろあっけない、運とかノリみたいなもんさ…て事を訴える場面が繰り返されます。クスリをやり過ぎてウッカリ死にかけたり。ポップアップトースターの、焼き上がるチン!という音と共に。車内でたまたま銃が暴発して。戦争に行った父親が死んで、たまたま生き残った方の戦友が訪ねてきたり。神の啓示?でたまたま弾丸が命中せずに命拾いしたり。日常は常に死と隣り合わせで、3秒後に生きてる保証なんて無い。
でも、そこには確かに、命のやりとりがある。場を制する力がある。自分の人生をちゃんと考えて、自分で決めて、自分で動かす力がある。何か目の前で変化が起きたかどうかは重要ではなく、自分がどう感じたかが大事なんだと。
最後のダイナーの場面では、半端なく「人生」を感じてしまいました。痺れました…
最後の一節は、本当に聖書にあるのかと思った笑
ふつうの人は、こういう時本当に聖書から引用するんだと思う。そうしないところに、タランティーノの美学を感じる。ずっとこのまま、大人しくなんかならないでくれ。くだらなくて、ふざけてて、ワルで、暴れん坊の問題児でいて下さい。