遙かなる帰郷のレビュー・感想・評価
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何がプリーモ・レーヴィを自殺に追いやったのか…
TVのドキュメンタリーでプリーモ・レーヴィ
のことと、この作品の存在を知り、初鑑賞。
アウシュヴィッツからの帰還した
著名人としては、
「夜と霧」のヴィクトール・フランクルが、
つとに有名だが、この本を読んだり、
関連するドキュメンタリーを見ている内に、
フランクルの著書には幾つかの創作がある
ことを感じていた。
それは、彼は回想録で、4歳にして
“自分もいつかは死なねばならない…
人生の無常さがその意味を無に帰してしまう
のではないか”
と悟ったとしたとの話や、
破壊されたシナゴーグの天井の破片にあった
“モーゼの十戒の文字に神の啓示を感じた”
とか、果たしてそんなことがあるだろうかと
感じざるを得ない、彼の文章には
強い修飾癖があるように思うからだった。
そんな中、せっかくアウシュビッツから
生還したにも関わらず、
世の中がまた似たような状況に推移している
ことを感じて自殺したとされる作家レーヴィ
(事故死との見解もあるようだが)
の人生に興味を覚えて観てみた。
しかし、この映画の内容は、
私がドキュメンタリー番組で興味を惹かれた
郷里に戻ってからの彼を描くものではなく、
強制収容所解放から郷里に戻るまでに
心の平和を取り戻すレーヴィを描いた
とするものであって、
しかも、それをどうしても捉えきれない
私にとっては難解な作品に。
それは、長々としたソ連兵士との描写が
私には理解不能だったり、
また帰郷の仲間となるメンバーとの関係を
理解するのも容易ではなく、
実話をベースとしているからかも知れないが、エンターテイメント作品としては、
多少省いたり創作したりして、
もう少し分かりやすく整理編集して
欲しかったように感じた。
この作品は、地味な内容ながら、
キネマ旬報ベストテンで満点評価をした
選考委員が3人もいて、
結果14位に選出という高い評価を受けた。
それなのに、レーヴィがアウシュビッツ解放
から郷里にたどり着くまでに
取り戻した心の平和を描いたと
評価された点において、彼のそんな徐々感に
私はその変遷を感じ取ることは出来ず、
己の洞察力の未熟さを突き付けられた
ような鑑賞だったのかも知れない。
それにしても、この映画の企画が
プリーモ・レーヴィの自殺の一因となった
との話や、
彼の自殺の数年前に
イスラエルによるレバノン侵攻があり、
同胞との軋轢に苦悩していたとの
情報もあり、
私にとっては、彼の苦悩と自殺の真相が
なんであったのかが、
更なる謎となる鑑賞となってしまった。
イタリア人のロシアでの映画なのになぜ英語なのか?
『ヴィクトール・フランクル』の『夜と霧』や『ジャージ・コジンスキー』の『The Painted Bird』で感じた印象をこの映画で持った。なにかの違和感がある。
寧ろ『The Painted Bird』を映画化した『異端の鳥』の方が、ダイレクトに心に訴える物があった。
オフ・ビートな何も起こらないウクライナの穀倉地帯。しかし、どこまでフィクションであるか?また、原作がどんなものであるか?
ウクライナに住む者は、ユダヤ系の人々を差別した歴史はある。
製作国にロシアやウクライナが参加していない点が理解出来ないし、眉唾な部分が見え隠れする。
かつて、ファシズムの本家であったイタリアへ何も拒否感を見せずに帰る、なんてあり得るのか?
また、奇跡の生還と言われるからには、生き残った事へのトラウマ見たいな物も主人公の心理の中にあったような気がする。主人公の人生の閉じ方を考慮すると、どうしても『そう』感じてしまう。
原題 La Tregua
製作年 1996年
製作国 イタリア・フランス・ドイツ・スイス合作
劇場公開日 1998年6月6日
上映時間 118分
書くことは恐ろしい特権
イタリア、トリノからアウシュビッツに収容されたプリーモレーヴィ の、収容からソ連を経由したイタリアへの帰還までの記録文学the truce 休戦が原作。
イタリアやギリシャからも収容されていたこと、
ソ連軍が連合国側として、アウシュビッツを解放し途中紆余曲折ひどい扱いもあったが、ソ連北部から列車を仕立てイタリアまで送還したこと、時間はかかったが、意外と最後までイタリアまでの送還をになったのだということにやや驚きもあり、サウルの息子などのようにあまりにも残酷で痛々しく夥しい死者などはなく、そこで起こったことは淡々と他のホロコーストの映画よりモデストな表現、長い休暇とさえ記録されるソ連での日々は辛いことも多く不安も憂鬱もあったが、人間性を人間としての尊厳を少しずつ強固にしていく旅だった。最後いよいよイタリアに向かう途中、ミュンヘン駅、ドイツ領に入った時の緊迫感。
アウシュビッツでソ連兵から衣服を支給され、皆がユダヤ人の収容服を脱ぎ捨て焼き払う中、プリーモは記録のためともう一度袖を通す。ミュンヘンで連合国側の下で線路工事わやするドイツ人労働者に、収容服とユダヤの星のワッペンを見せる、うなだれひざまづいて謝罪する屈強な労働者り
美しく文化的で豊かなトリノの自宅に戻り、なぜ理不尽に突然に、にんげんとしての豊かな生活が奪われ貧しく虐げられ一切れのパンを争うような目に遭うのかと問いかけて終わるが、まさに今も異なる時代であっても異なる場所で同じことがなされている人間の愚かさ。
アウシュビッツでは地獄の時間をすごしながら、小さな出会いや、短い瞬間の感情の動き、忘れてはならない記憶などがこの生きて帰還された人々の支えになっていただろうことがさまざまなシーンで思い知らされた。
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