パリ空港の人々

劇場公開日:

解説

パスポートを盗まれたばかりに空港から出られなくなった男と、それぞれの事情から空港内に住み着いている人々の悲喜劇を綴った、滑稽でハートウォーミングなコメディ。ボーダーレス時代に故郷を失った人々を見つめる演出の視点が温かい。監督・脚本はミシェル・ドヴィル、コリーヌ・セロー、ロバート・アルトマンらの録音技師を経て、38歳で監督に転じたフィリップ・リオレで、実際にパリ空港に住んでいる人々をモデルに、ミシェル・ガンツと共同で脚本を執筆。製作はジル・ルグランとフレデリック・ブリヨン。撮影は「ニキータ」「レオン」のティエリー・アルボガスト。音楽は「15才の少女」のテーマ曲などを手掛けたピアノ奏者のジェフ・コーエンで、主題歌『ラ・ノスタルジー 望郷の詩』の作曲と歌はアレクサンドル・チャンストキェヴィッチ。主演は「髪結いの亭主」「めぐり逢ったが運のつき」のジャン・ロシュフォール、「ハイヒール」のマリサ・パレデス、「カルメン(1983 Saura)」のラウラ・デル・ソル、「デリカテッセン」「タンゴ」のティッキー・オルガド、「IP5-愛を探す旅人たち-」のソティギ・クヤテ、そして新人の子役イスマイラ・メイテほか。

1993年製作/フランス
原題または英題:Tombes du Ciel
配給:アルシネテラン
劇場公開日:1995年3月4日

ストーリー

図像学者のアルチュロ(ジャン・ロシュフォール)は、モントリオール空港でパスポートや財布の入った鞄と靴を盗まれた。パリのシャルル・ド・ゴール空港で待つ妻スサーナ(マリサ・パレデス)の元へ急ぐべく、残された搭乗券でとりあえず飛行機に乗ったが、パリの入国管理局で足止めを食らう。フランスとカナダの二重国籍で、居住地はイタリア、でも妻はスペイン人という複雑な身上に加え、日曜日で12月30日の深夜とあってコンピュータによる確認もとれず、明朝までトランジット・ゾーン(外国人用処理区域)に留まらざるを得なくなった。そんな彼に黒人少年ゾラ(イスマイラ・メイテ)が話しかけてくる。アフリカの少年で1週間以上も入国が認められず、父親が迎えに来るのを待っているという。ゾラに案内されたトランジット・ルームには、奇妙な人々が生活していた。国外追放となり国籍を剥奪されたラテン・アメリカ系の女性アンジェラ(ラウラ・デル・ソル)、何処へ行っても滞在を拒否される虚言癖の自称元軍人のセルジュ(ティッキー・オルガド)、そしてどこの国の言語か分からない言葉を話す黒人の通称ナック(ソティギ・クヤテ)で、彼らはもう何ヵ月もここで放置されたままだった。翌朝、空港管理局員がアルチュロに問題解決には時間がかかりそうだと告げ、彼は否応なしに奇妙な仲間たちとの共同生活を始める。一方、スサーナは彼と会うこともままならずヒステリーを起こしていた。彼らは滑走路の脇に生息するウサギを捕まえては空港内のレストランで物々交換したり、ロビーの観葉植物の鉢にパセリやハーブを植えて自給自足の生活を送っていた。そんな折り、ゾラの父親が実は技術者ではなく貧しい道路掃除婦で、不法滞在就労で強制送還されたと聞かされ少年はうちひしがれる。アルチュロはパリの町並みを見たいというゾラの願いを叶えてあげるべく、大晦日の夜、全員でこっそり空港から抜け出す。一行はバスに乗り込み、それぞれの望郷の思いを胸に秘め、パリの夜景を眺めた。新しい年を迎え、アルチュロはアンジェラを優しく励ます。空港に戻り、朝になるとアルチュロは大使館から身分を証明する書類が届き、空港を出られると言われる。彼は仲間たちとの別れにとまどいながら、ナックに彼らへこの思いを伝えてくれと言い残す。アルチュロはいまだに空港内で待っている妻の元へは行かず、空港を後にした。後を追ってきたゾラを、彼は帰るように説得するが、思い直して一緒に帰ることにした。一文なしの彼らは、しかししっかりと歩み始めた。

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映画レビュー

3.0国籍・国境という権力装置

2015年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

幸せ

劇場公開時に観ていた作品。 ジャン・ロシュフォールの、観客の先入観に縛られることのない演技がいい。空港で夜を明かさなければならなくなったとき、ロビーで小さな男の子と出会う。この時の、はじめは警戒感を表面に出しているが、次第に彼が好奇心や安心感に基づいて行動していることが伝わる表情の変化。幻のエチオピア部族の言語を「発見」したときの真剣な眼差し。胸に残る彼のいくつもの顔。彼の映画を観るときの嬉しさは、まるで大好きな親戚のおじさんに会えたときの喜びである。 空港に到着すると、その国に入国するには当局の定めた手続きを踏まなければならない。飛行機に乗って物理的に飛んでくることはできても、その国への入国が認められないケースはある。この映画は、入国審査で足止めを食らったそういう人々が、空港内に住み着いているという現代のおとぎ話。国籍や国境というものが、所詮人間の頭の中にだけ存在するものであることを伝えている。 ところで、エチオピアの消えた古言語を話す謎の男は、我々が知っている(学術・科学を通じて社会総体として知っているという意味で)知識が限定的なものであり、それは制度してのアカデミズムの知見でしかないことを暗示する存在なのだ。 人に与えられる国籍、人が越えることを管理する国境、アカデミズム。これらは、それを司るシステムによりコントロールされている。そして、そのシステムこそが権力なのである。 しかし、その権力は人間の観念の世界にしか存在しえない。生の世界には、それらを軽くすり抜けていく人々が生きている。映画は、空港から出るに出られない人々の珍妙な生活を通して、制度や権力の枠外にいる人々のたくましさと切なさを描いている。

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佐分 利信

3.0国境って

2014年5月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

空港に象徴される国境の持つ政治的な意味、 パスポートによって象徴されるナショナリズムとかアイデンティティって、いったいなんなのだろう。 海外旅行に行く時、パスポートを持って入国審査受けるときの気分がちょっと変わると思う。

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nanana828

3.5結局は笑顔なのさ、ということでしょう

2009年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

悲しい

萌える

1993年製作のフランス映画でございます。フランスの空の玄関口、シャルル・ド・ゴール空港で撮影されたちょっと奇妙な作品。わたくし個人はこの空港を一回利用したことがあります。とにかく大きな空港で、わたくしが経由でいた数時間は、なにやら不信な箱が見つかったとのことで、マシンガンを持った軍隊の人がたくさんいました。そういった意味で、わたくしには記憶に残る空港です。 内容は、カナダからフランスに入った主人公が、パスポートを盗まれ入国ができなくなってしまい、空港内部での寝泊まりを強いられてしまいます。そんな主人公は、同じく入国できない人々と出会い、共同生活するという展開になります。 フランスの国土内でありながら税関を通過しなければ、そこは国籍を持たない場所になってしまうという設定が、とても文学的。そのような異常な空間で人が生活すると、普段味わうことのない自分の存在価値を体験することになる。 社会保障もなければ公的なIDも有効じゃない空間で、人は自分というものがいかに空虚なものかを味わい、そしてそんな苦しみはどこにも届かない。こんな人々を軽いコメディタッチで描きながら、観る人の心にしっかりとほろ苦さを伝えてきます。 普通ではない特異空間に人間を置いても、それまでと同様にいれるのだろうか?わたくしたちが当たり前と思って暮らしている空間がもし崩れたら、それでもわたくしたちは変わらずいれるのだろうか? そう考えているうちに、幸せとういものの大半が実は脆く、そして儚いものなのかな、なんて思ってしまいました。 優しい気持ちになりたい時にどうぞ。

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あんゆ~る