異邦人のレビュー・感想・評価
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今となっては、これは喜劇ではないか?
大好きなマルチェロ マストロヤンニの腑抜けの名演技が、
最高に良かった。
今風に言えば、肉親の死も希望をなくしても、
普通に生きている。
結婚も愛情も友情も普通なんだ。
信仰なんて、神も、あるもないも、ない。
死刑となって必死に、
贖罪を懺悔を信仰を薦められても、
キモイ。
信仰者である司祭や検事が、
救済を贖う姿は正に喜劇でしかない。
原作当時は、
これは反社会的な行為だったのであろう。
オーム真理教を経験した時代のものには、
同じ匂いを嗅ぎ取る。
ちょっとふり向いてみただけの
肝心のアラブ人殺しよりも、母親の死の翌日に女の子と海に泳ぎに行って喜劇映画を見たことで断罪されるかのような不条理な物語はそのままなぞってはいるが、原作の文体は消えてしまう。「きょう、ママンが死んだ」と小説で読むのと、映像にヴォイスオーヴァーで語られるのではまるで印象が違う。もちろん映画作家にも映画としての文体はあるが、ルキノ・ヴィスコンティの文体はカミュには合っていないように思える(たとえばロベール・ブレッソンならどうか?)。
原作は若い頃読んで感銘を受けた作品だが、殺人のくだりなどこうして絵解きされてしまうと、何だか白々しさが目立つ。熱中症でふらついた挙句、岩場をちょっとふり向いただけで…なんてね。
仏領アルジェリアが舞台なのに、全員イタリア語を話しているのもやはり違和感がある。
ちなみに、イギリスのロックバンド、キュアーがデビュー曲の“KILLING AN ARAB”でほぼそのままの内容を歌っている。
ヴィスコンティ流の挿絵?
観た後に知ったが、ヴィスコンティは最初から原作の挿絵として、この映画を作ったらしい。作った本人としては、かなり良い出来の挿絵になったらしいが、どんなに素晴らしい絵でも所詮は挿絵、やはり、これは原作を読んでから観た方が良さそうだ。
但し、ラストシーンのマストロヤンニの表情だけは挿絵を超えて、ヴィスコンティが自分流の翻案にした気がする。
まだ原作を読んでないが、おそらく最後まで徹底して乾いた虚無感の余白を残して終わっているような気がするので。
というか、仮に原作がそうでなかったとしても映画の方は、そういったラストにして欲しかった。
あと、アンナ・カリーナはミスキャストに感じた。ゴダール映画の観過ぎか、奔放でない彼女は何処か物足りない。
イタリア語のアフレコを当てるくらいなら、ヴィスコンティ常連のクラウディア・カルディナーレの方が良かった。役にも合っていたはず。
ちなみに主人公の方は、最初はアラン・ドロンで考えていたらしいが、これはマストロヤンニで正解だったと思う。
アラン・ドロンも確かに虚無感はあるが、マストロヤンニと比べると虚無的な佇まいに少し余白が足りないので。
あとアラブ人を撃ってしまうシーンは、拳銃のアップではなく、銃声がなっている間は、思考停止になるほど、ひたすら眩しい太陽にして欲しかった。
そして撃ち殺した後には、引きのロングショットで、もっと乾いた空気感を出して欲しかった。
そして、本当は、この世界観はフランス語の方がリアルだったはず。
イタリア語ならではの人懐っこい感じや独特の感情表現が、ちょっと合わなかった気がする。
フランス語版もありそうなので、是非そちらも見てみたい。
無神論者であるということは現代の日本ではさして驚かれることはない。...
無神論者であるということは現代の日本ではさして驚かれることはない。寧ろ、熱心に信仰しているという人の方が、周りに引かれてしまうかもしれない。
しかし今作の舞台は、1940年代のフランス占領下のアルジェリア。当時のヨーロッパの世論では無神論者=異邦人という式が成り立つぐらい、神を信じないということは冒涜だと思われた。正義や倫理の指針である宗教を無意味だと言ってのける主人公ムルソーは、検察や陪審員から憎悪されるが、決して極悪人ではないのだ。彼なりに人生を歩み、彼なりに死を捉えたのだ。
流石貴族監督ヴィスコンティ。画が全てのシーン美しい。ギラギラと太陽が照りつけるアルジェの街。無機質な霊安室。光輝く海。暗い独房。
内容が日本人には難しいかもしれないが、映像だけでも観る価値あり。
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