劇場公開日 2021年3月5日

「名作だと思う」異邦人 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5名作だと思う

2021年3月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 マルチェロ・マストロヤンニは年齢を経て味を出した俳優のように思っていたが、それは当方の勘違いで、栴檀は双葉より芳し、若い頃から素晴らしくハンサムで存在感のある俳優だった。演出のせいもあろうが、本作品では他の登場人物と一線を画した重厚な迫力がある。
 アルベール・カミュの小説「異邦人」そのままのストーリーと台詞の映画だが、イタリア語とフランス語で少しニュアンスが異なる気がした。母音を力強く発音するイタリア語と、鼻母音が鼻に抜けるフランス語とでは、耳触りがかなり違ってくる。しかしマストロヤンニ演じる主人公ムルソーのモノローグは抑揚を抑え気味で、演出を原作のニュアンスに近づけている気がする。
 約80年前に刊行された小説はいまでも新しさを少しも失っていない。同様に53年前に製作された本作品も、新しさを失っていないと思う。名匠ルキノ・ビスコンティは原作の意味するところを完全に理解して映画化した。つまりパラダイムに反する分子は常に異邦人として裁かれるということである。
 ムルソーのモノローグや発言には「何の意味もない」「僕にとって無意味」という台詞が数多く現れる。裁判で検事は、既存の価値観を無視するかのようなムルソーの発言を、冷酷さ、無慈悲の発現だと決めつける。しかしムルソーの戸惑ったような表情からは、無意味という発言は怒りや憎悪とは無関係で、素朴に率直に気持ちを表現しただけのように見て取れる。このあたりのマストロヤンニの演技は光っている。
 ムルソーは無神論者だが、神を信じている人々を否定することはない。ママの葬儀がキリスト式であることを嫌がりもしない。しかしキリスト教徒から信仰を強制されることは断固として拒否する。極めつけは「神のために時間を無駄にしたくない」と司祭に言い放つシーンだ。人間が信仰から精神を解き放っている証左の言葉である。この言葉がキリスト教社会においてどれほどセンセーショナルな言葉であるかは想像を絶する。ドストエフスキーに聞かせてやりたかった言葉だと思うのは当方だけだろうか。
 人間は死を恐れ、死を夢見る。死の恐怖と生への執着は一体的で、まだ生きていたいと思う一方、この人生に何の意味もないことに気づいてもいる。死刑囚となったムルソーにも勿論死の恐怖はある。その死に何の意味があるのか。自分の存在価値は死刑執行のときに多くの人々の憎悪の的になることだと彼は思う。当然の帰結である。
 本作品の意義はキリスト教のパラダイムから脱した精神性が生と死、存在と無というテーマにどのようにして挑んでいくのかを描いたところである。ビスコンティ監督は光と影のコントラストの多いシーンに不穏な音楽を合わせることで、上手にカミュの世界を描き出してみせた。名作だと思う。

耶馬英彦