バニシング・ポイントのレビュー・感想・評価
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激動の時代のうねりをカーアクションで表現したカルト作
71年公開の本作は、エドガー・ライト監督の『ベイビー・ドライバー』にも影響を与えたという。
本作で面白いのは、なぜ主人公がこれほど“走る”のか、その答えが明かされないところだろう。もちろん、ストーリー上では「翌日までにデンバーからシスコまで新車を届ける」という設定があり、主人公は時間通りに届けられるかどうかをめぐって賭けまでする。しかしだからといって、彼が命がけで、逮捕される危険すら犯しながら爆走する理由にはならない。やがて警察は大包囲網を敷き、ラジオでは盲目DJがアウトローな彼に激励メッセージを送る。
時折挟み込まれるフラッシュバック。それは彼が生きた激動の60年代の傷跡であり、目指す先には70年代。本作はまさにこうした時代のうねりを、爆走する車体とハンドルを握る主人公の体に託した「叙情詩」ではないか。ネバー・ギブアップ。自由を渇望する意志は、ラストシーンと共に永遠に生き続ける。
1970年代当時のアメリカの特異な空気感をまとった超音速ロードムービー
#新文芸坐 さんにて#アメリカンニューシネマ #バリーニューマン 主演『#バニシング・ポイント』(1971)鑑賞。
1970年代当時のアメリカの特異な空気感をまとった超音速ロードムービー。
主人公の自己紹介もそこそこにひたすら疾走、徐々にバックボーンが分かり、国民的ヒーローに祭り上げられていく流れ、最後の悲劇的ラストは如何にもアメリカンニューシネマという感じで良かったですね。
デンバーからサンフランシスコへ‼️
当時隆盛を極めていたアメリカン・ニューシネマの中にあって、その時代性と疾走感によって他に類を見ないカーアクション映画の傑作です‼️コロラド州デンバーからサンフランシスコまでを15時間で走り抜くことが出来るか⁉️この博打に挑む主人公コワルスキーは、70年代どん詰まりのアメリカで煮え切らない日々を送るジャンキー・ドライバー‼️交通法を無視して突っ走る白の70年型ダッチ・チャレンジャーを追跡するパトカーやヘリの群れ‼️疾走する車やヘリから捉えられる丘、ハイウェイ、砂漠などのアメリカの風景がホントに素晴らしい‼️黒人のDJスーパー・ソウルがコワルスキーを励まし、警察の罠をラジオで警告したりしてくれる‼️イイですね‼️途中、助けてくれるヌードでバイクに乗ってる金髪娘‼️当初、ヒッチハイカー役でシャーロット・ランブリングも出演していたらしいのですが、最終的にカットされたみたいです‼️当時のアメリカの風俗を象徴するような奇人変人に助けられながら突っ走るコワルスキーの行く手には、鋼鉄の歯を剥き出しにしたブルドーザーが2台、待ち構えていた‼️かくしてあまりにも有名な映画史に残るラスト‼️衝撃的です‼️虚しくなります‼️すべての道はつながっていると言いますが、リチャード・C・サラフィアン監督は、道路を意味がなく、決まった方向もなく、始まりも終わりもない虚無的なモノとして描いていて、暗喩とシュールに満ちた神話的な世界、すなわちアメリカン・ニューシネマな世界なんですよね‼️多分私にとって映画史上一、二を争うカーアクション映画なんですが、絶対タランティーノ監督も好きだと思う‼️「デスプルーフ」観ればわかりますよね‼️
さすがに時代を感じる
もう半世紀以上前(1971)の、ダッジ・チャレンジャーR/Tを永遠の名車にしたカルト的作品。10代のころTVで観た記憶はあるが劇場では初見。
アメリカンニューシネマとかヒッピームーブメントとかベトナム戦争とかのコンテキストなしだといまの視点では解りにくい箇所があってさすがに時代を感じる。昨今の映画も50年ぐらいして観ると執拗なまでのLGBTQテーマのあつかいに違和感を覚えるかな。
ただ主人公がDJに英雄に祭り上げられて、単なるスピード違反が社会現象化して肥大化するプロセスは現代に通じるものあり。
昔観たラストシーンの記憶だと小山のように巨大なブルドーザーだったのに、再見したら意外なほど小さいドーザーだったんで拍子抜けした。あれ脳内でイメージ創造してたんだ。
アメリカンニューシネマの金字塔
俺たちに明日はないから始まったAmerican newwaveのイージーライダーと並ぶツートップの金字塔です。
高校の時には、この作品の映画史的な意義が良くわかりませんでしたが40年ぶりに再見したら、まさにウッドストックを境にベトナム、ウォーターゲートで下降線をたどり始めた病めるアメリカの風俗、文化がさりげなく取り込まれ、アメリカの文化史を確認する上でも非常に重要な作品と言えましょう。
一台のスポーツカーが、無意味にSFを目指して爆走を続ける広大なアメリカ大陸の乾いた光景の中にヒッピー、コカイン、同性愛、黒人差別などの70年代風俗が効果的に挟み込まれ、単なる暴走映画を虚無的に無機質に描き切っています。
ただし、この時代の空気感に興味が持てない人には退屈に感じるでしょう。
ラストシーン
覚醒剤で眠気を誤魔化しながら猛スピードで走り続ける主人公。
そんな主人公を捕まえようとする警察、反社会的なヒーローへと祭り上げるスーパーソール、砂漠のヒッピー達、そして野次馬。それらは全て主人公が受け入れられない社会の象徴でなのだろう。だからこそ、主人公は納期に関係なく車を疾走させる、社会に取り込まれないようにと。
最後、覚醒剤のせいか薄っすらと笑みを浮かべたまま鉄の壁に突っ込む。その時、主人公は何を見ていたのだろうか。
衝撃的なシーンだが、目撃した野次馬の中には、すぐに立ち去る者もいる。そんな野次馬が今の自分と重なってしまう。まるで、お前はいつから低俗なワイドショーの視聴者に成り下がったのだ、と糾弾された気分になった。
途中から主人公と関わる女性が、ブロンズの長いストーレートヘアーの女性ばかりなのが気になった。ただの流行なのか、死んだ恋人を忘れられずにいることの現れからなのか。
まぁ、2023年にこの映画が見られること、それ自体が貴重。
今年192本目(合計843本目/今月(2023年6月度)17本目)。
実は前にシネマートさんでやっていたようですが見逃したので、少し遠くの映画館までおでかけ。
古い映画のリバイバル版ということで、映画のストーリーそれ自体は変わっていないはずです(そもそも今回のリバイバル上映なだけで、前作が見られるわけではない)。
その観点でいうと、2022~2023年の映画の「一般的なお作法」があるか?というと微妙なところもあるし、結局のところ他の方も触れられていたように、この映画、一見すると、バイクなり車なりを乗り回しする「だけ」の映画のように見えますが、裏では人種差別であるとかLGBTの考え方(その考え方の「はしり」と言えるもの)が見え隠れしています。
換言すれば、それこそ「ポリコレワールド」じゃないのか等といろいろ言われた「ストレンジ・ワールド」他と違い、当時はまだLGBTの論点自体がなかったか、あっても「かろうじて意識されていた」と思われる当時の映画において、これらがどのように描かれていたのか、という「これらの描かれ方の流れ方」(その歴史)という観点で見ました(ストーリーというストーリーは一応ありますが、車なりバイクなりがぐるぐる回るだけに近い)。
こんな時にあってよかったミニシアター、というところです(少しお出かけすれば、大阪市の「大手の」ミニシアター(表現が変?)に少し遅れて「中堅の」ミニシアターが放映してくださるようです)。
映画としては、ストーリーというストーリーが感じられにくい(ただし、2022~2023年基準としてみたときの話)ものの、上述したように人種差別他について、「当時なりの描き方」がされており、それを今のそれらの取り組みと比較できたという「歴史の流れ」を感じとることができた(ただ、これは映画というより、この映画を流してくださった映画館のおかげ、ともいえるが)こともあり、フルスコアにしています。
結局は車なりバイクなりがどんどん走るタイプの映画で、今の(2022~2023)のような技術は使われていないため、「疑似車酔い」が生じる類型は考えにくいですが(一応、ちょっと酔うかな…というところも1か所だけあり)、気になったら後ろ側で見るなり目をそらすなりがおすすめです。
まあまあだった
90年代にプライマルスクリームがこの映画に感銘を受けて同じタイトルのアルバムを作って、その時レンタルビデオで見て以来だ。そのアルバムはずっと聴いているんだけど、さっぱり結びつかない。何度聴いてもぴんと来ないアルバムだ。
当時はバイクしか運転していなかったけど、今は毎日車に乗っているのでさぞグッとくるだろうと思ったら、そうでもなくてぼんやりとした魅力しか感じない。けっこうだらだらした展開で、スリルが特にない。あんな荒れ地をFR車が走ってスタックしないのかとか、ほらパンクしたぞ、とかガソリンは2回しか給油してないけど大丈夫かとか、変なスリルは感じた。全裸でバイクに乗ってマフラーでやけどするぞとか、車体の下をこすってるとか、蛇に嚙まれないかとか。そもそも車の陸運なのに、ぶつけていいのか。
プライマルスクリームはツアーバスでドラッグをしながらこの映画を見ていると最高だみたいなことを言っていて、確かにそうかもしれないけどこっちは酒くらいしかない。ジョンレノンが『エルトポ』はLSDを決めながら見るのが最高だと言ったとか、『2001年宇宙の旅』はLSDを決めてみるのが最高だとか、そういうの本当に知るかと思う。
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バ...
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バリー・ニューマン)。
今回の「白のダッジ・チャレンジャーの陸送、コロラド州デンバーからサンフランシスコまでの2000キロを15時間で」という賭けを行きつけのバーの店主と行う。
出発早々、スピード違反で追いかけてきた警官を振り切ったコワルスキーだったが、警察無線を傍受していた地方ラジオ局KOWの盲目の黒人DJ・スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)は、それを痛快に電波に乗せて応援する。
白のチャレンジャーで疾走するコワルスキーの脳裏に、過去の出来事がフラッシュバックのように過っていくが・・・
といった物語で、巻頭はエンディングの少し前からはじまる。2台のブルドーザーが道路をふさぎ、警官が立ち並ぶ中、やじ馬たちが三々五々やって来る。
ここが「バニシング・ポイント」、雲散霧消、すべてが消えてしまう場所というわけだ。
子どもの頃にテレビで観た記憶があるが、ここから始まっていたのね。
ラストは憶えている。
が、疾走するコワルスキーの脳裏を過る過去のエピソードは、すっかり忘れていました。
映画に登場する順ではなく、時系列順に整理すると、
1. ベトナム戦争からの帰還兵だったこと(戦闘シーンなどはない)
2. 警察官だったこと
3. 同僚警官が逮捕した少女に乱暴を働くのを阻止して失職したこと
4. カーレーサーで事故に遭ったこと
5. 恋人がいたが、死んでしまったこと
となり、現在は、ヤク中といってもいいほど荒れている。
初期のベトナム帰還兵物語だったわけですね。
翌1972年に同じく二十世紀FOXで製作された『ソルジャー・ボーイ』(リチャード・コンプトン監督、ジョー・ドン・ベイカー主演)に雰囲気は似ています。
さて、コワルスキーは、自己の存在証明を賭けてチャレンジャーで疾走しているわけにすぎないが、いつしかスーパー・ソウルの放送によって民衆から英雄視されてくる。
しかし・・・
自分は英雄でもなんでもない。
英雄だというのなら、ベトナムから帰還した際に、そういって讃えてほしかった。
讃えてくれたかもしれないが、あれは見せかけだった。
その上、国に殉じようと警官に転じ、正義を貫こうとしたが石持って追われてしまった・・・
俺はただのくたばり損ないだ。
こんなことならベトナムで死んだ方がましだった。
事故で死んだほうがましだった。
警察に盾突いてんじゃないんだよ、権力に盾突いてるわけじゃないんだよ。
そうだよ。
みんなは何が見たいんだ。
ほんとに見たいのは何なんだ。
権力に盾突く姿じゃないだろ。
戦争で戦う姿か?
レースで突っ走る姿か?
違うだろ。違うだろ。
見たいのは、英雄が戦って死ぬところだろ。
レースで爆走する車がクラッシュするところだろ。
見せてやろうじゃないか、見たいものを・・・
それが、バニシング・ポイントへ突っ込むコワルスキーの胸の内だったのではありますまいか。
だから、最後にニヤリと笑うのでしょう。
監督はリチャード・C・サラフィアン。
原案のマルコム・ハート、脚本のギレルモ・ケインともに、本作ぐらいしか作品がありません。
<追記>
「疾走だけが存在証明」というのは、後に『激走! 5000キロ』などのカーアクション映画に能天気な形で引き継がれます。
ここまで振り切っていると逆にわかりやすい
どんな映画かはなんとなくわかっていたが、
ただ走って警察から振り切る映画。
理由もよくわからないが、いろいろなしがらみから逃げ出したい気持ち。
アメリカンニューシネマというものをシンプルに表していてわかりやすい。
シンプルながらも、ラストシーン、ヘビなど、印象的なシーンが多く、忘れられない作品である。
2023年劇場鑑賞51本目
砂埃を巻き上げ疾走するダッジチャージャーの格好良さ半端ねえ 時系列...
砂埃を巻き上げ疾走するダッジチャージャーの格好良さ半端ねえ
時系列がちょっとわかりにくかった。特に最初と最後、何故交差したのかとか
走馬灯のごとくよみがえる記憶
やっぱり何かに夢中になっている時が自由で幸せ
瞬間に於ける永遠なる自由
素晴らしい作品だ。半世紀経っても色褪せない名作。マッスル・カーの全面的な魅力もあるが、アメリカン・ニューシネマの持つ未来もなく、希望もない世界に於ける胸のすくような自由の素晴らしさを垣間見せるカッコ良さは、この時代の空気感を完全に作品の中に現れている。胸がキュッと締め付けられるような切なさと憧れと解放感にこの作品の全てが存在する。人は必ず死ぬ。死に至るまでの人生は辛かったり、悲しかったり、やり切れなかったりと悲観的な要素の方が多いように見えるが、一瞬の爽快さの中に永遠なる真実があると思えば、人生は底光りする。マッスルカーで走り抜けるその時が永遠であり、真実てあるからこそ、この作品は時を越えて生き続けるのである。詰まらぬ人生と思う前に、一瞬の中にある永遠を垣間見ることで私たちの人生は美しいものとなる。要はそこに気付くだけのことなのだ。メチャクチャに破壊されたダッジ・チャレンジャーの残骸に悲しみよりも、喜びを見出すの私だけなのか?
やっぱりコワルスキーといえば1970年式チャレンジャー!
若いころにDVDを買って何度となく観返している本作。
4Kリマスターということで劇場で鑑賞しました。
昔から好きな作品ではあったけど、大人になってから観ると意味合いが変わってきますね。変わらないのはただ一つ、チャレンジャーは70年式が一番カッコいいということです笑
これこそ「なう」な作品ですね。レイシスト、宗教観、ジェンダーバイアス、そしてセックスドラッグロックンロール。
コワルスキーはただ一人、バニシング・ポイント(消失点)のその先へ!
ぜひ劇場で!
OA5599
70年型ダッジ・チャレンジャーで爆走する独りの男が走り続ける理由に明確な答えがあるとは思えない、何を諦めたのか、何に納得出来たのか、最後の選択肢が衝撃的で呆気ない結末として、断片的に映し込むコワルスキーの過去から想像しうる人物像と呑み込まれそうになる広大なアメリカの景色に自由を狭められる歯痒さ。
ドキュメンタリーとして捉えられる年老いた男から若いカウボーイの面構え、HONDAのバイクに跨がる全裸の女、チョッパーを荒馬の如くコントロールが定まらない助っ人、ゲイのカップルは本作と同じ71年のモンテ・ヘルマン監督作『断絶』でハリー・ディーン・スタントンが演じた役柄を思い出したり、本作の象徴的キャラクターでもあるDJスーパー・ソウルがファンキーでハイテンションな喋りを爆走するように畳み掛ける!!
黒い車とすれ違うコワルスキーのダッチ・チャレンジャーが消失する10時02分と衝撃的なラストの10時04分が異様なファンタジーにも思えてきて時間軸が歪んでいる、単に最高で格好良くて憧れてしまう世界観にデカいスクリーンで浸れる多幸感だけで万歳!?
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