「楽しめた。」バック・トゥ・ザ・フューチャー 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
楽しめた。
日本で初公開されたのは1985/12/7。自分が生まれる前の作品。評判は腐るほど聞いてきたが子供の頃に真剣に観た記憶はなく(おそらく部分的にでも観ているが、デロリアンの印象しか無い)、大人になってからも観てこなかった。そんな作品を今回何気なく見てみることとした。
端的に言って面白かった。自分と世代が違う古い作品は、当時のフィーリングに自分の気持ちがついていかず作品に没入できない事もままあるのだが、この作品は違った。4.0~4.5点ではなく3.5点にした理由は、この作品がSFのギミックに長けており続きが気になる展開が最後まで途切れず、コメディ要素が楽しい娯楽作品ではあるが、『主人公の成長』や『深いテーマ性』を持っていないからだ。主人公マーティ・マクフライは物語の中で多くの勇敢な決断や選択を行っていくが、それは物語の始まりから彼が持っていた力であり、成長に起因するものではない。
彼の父親は未来から来た息子に促される形で未来に母親となる予定の女性に対してアタックし、母親を助けるために一発殴ってみせたという意味で主人公の父親が成長したのは確かだが、作中での彼の見せ方は視聴者を勇気づけるに足りるフォーカスの仕方では無かった(と少なくとも自分は考える)。
『深いテーマ性』というのは主人公と視聴者に内省を引き起こすテーマ(人権、生きる意味、社会的問題、病気と生き方、罪と罰等)の事で、この作品での登場人物は皆、そのようなものに真剣に悩んであがいて決断するというような人の生き様は見られなかった。それがこの作品がそのようなことを目的にしたものでないためにしょうが無いことではある。今更気づいたのは、この作品にはこの作品によって言いたい主張がないのだと思う(あるのかもしれないが、今の自分は気づいていない)。もしかしたらタイムループとしての物語のギミックと伏線の回収を尺の中で展開させるのに時間をさかれ、各人物の内面に迫る余裕が無かったのも原因かもしれない。
自分が書いた事を読んで創作における理想について考えてみると、主人公は完成されていてはならない(物語で成長を見せるため)という事と、物語にはジャンルのギミックによる知的なエンターメント体験の提供だけでは、作品にテーマ=主張を求める視聴者には物足りなさを感じさせてしまうという点に気づかされた(すでにどこかで感じたはずのことだが)。
最後に見ていて印象に残った点は、物語の最初に時計を多数並べて見せ、この作品が『時』にかかわるものであることを暗示させている表現はいいなと思ったし、ロレイン(主人公の母親)の若かりし日は彫りの深い顔ながら清楚な可愛さがあった。