「伝説的名作」バック・トゥ・ザ・フューチャー アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
伝説的名作
3部作の1作目。公開当時全米で「フューチャー現象」と呼ばれるブームが生まれるほど大ヒットした。同年のアカデミー賞では音響効果賞を受賞。続編に「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」(1989 年)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」(1990 年)がある。VFX の登場前に作られた作品であるため CG は使われておらず、特殊撮影には光学合成が使われている。
1985 年のカリフォルニア州の架空の都市ヒルバレーに住むマーティ・マクフライは、彼女を愛し、ロックとペプシコーラとスケボーが大好きで、トヨタ・ハイラックスに憧れる高校生で、冴えない家庭の事情や中々上手く行かないバンドマンへの夢に押し潰されそうになりながらも、それなりに前向きにごく普通の人生を過ごしていた。ある日、科学者であり歳の離れた親友でもあるエメット・ブラウン博士(通称ドク)から、長年の宿願だったタイムマシンがついに完成した事を聞かされ、成り行きで実験の手伝いをすることになる。
深夜のショッピングモールの駐車場で、スポーツタイプの乗用車デロリアン DMC-12 を改造してドクが開発したタイムマシンの実験を、まず1分後に設定して成功した二人は、タイムマシンの燃料であるプルトニウムを調達するためにドクが騙したリビアの過激派の襲撃に遭い、マーティはとっさにタイムマシンに乗ってモールの駐車場内を逃走するが、シフトレバーを動かす際に肘で次元転移装置のスイッチを入れてしまったため、はからずも 30 年前の 1955 年11月5日にタイムスリップしてしまう。若い頃のドクに会い、自分の両親のデートに協力するなど、愉快な展開が非常に面白い作品である。
以下、トリビアである。
・最初はタイムマシンは箱型で、冷蔵庫が想定されていたが、子供が真似して閉じ込められるとまずいという意見があり、移動するものがいいというゼメキスのアイディアでデロリアンになった。
・ジョニー・デップもマーティ役のオーディションを受けている。
・実際にバンド経験もあるマイケルだが、パーティの演奏シーンでは歌もギターも吹き替えられている。ただし、指の動きは正確である。
・映画の中でネタにされている当時のロナルド・レーガン大統領だが、官邸で映画を見て、自分の名前が出た場面を巻き戻させて見るほど気に入って、翌年には映画のセリフをスピーチで引用している。
・クライマックスは核実験場で核爆発のエネルギーを利用して現代に戻る設定だったが、あまりに費用がかかりすぎるので現行のように変えられた。
・現在、この映画の脚本は映画学校の教科書になるほど評価されているが、映画化が実現したのは、脚本が優れていたからではなく、ロバート・ゼメキスが「ロマンシング・ストーン秘宝の谷」をヒットさせて監督として認められたからである。
・過去から現在に戻るために、エネルギーとして雷の電力を使うという説明において、英文台本にあった「GW(ギガ・ワット)」という単位を知らなかった字幕誤訳家の戸田奈津子は、「ジゴ・ワット」という存在しない単位を作り出した。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
シリーズ3部作で主人公のマーティを演じてスターとなったマイケル・J・フォックスは、日本でも 1990 年前後にホンダやキリンの CM に起用されるなど、高い人気を誇った。1990 年代前半まではコメディを中心に主演映画が相次いだが、1991 年に診断されたパーキンソン病の影響により、1990 年半ばの「アメリカン・プレジデント」や「マーズ・アタック!」あたりから脇役に回ったり声優をすることが増えていく。1996 年より政治コメディドラマ「スピン・シティ」に主演するも、病状の悪化を受けてシリーズ途中にレギュラーを降板している。それでも演技を続け、近年は「グッド・ワイフ」「サバイバー:宿命の大統領」といった人気ドラマのゲストを務めたほか、2013 年には自らの人生をモデルにした「マイケル・J・フォックス・ショウ」をスタートさせた。
マイケルは 1991 年に 29 歳でパーキンソン病と診断されていたことを 1998 年に公表し、2000 年には同病の治療法を見つけるための基金を設立し、2010 年にはその貢献が認められて栄誉学位を取得している。2007 年には TIME 誌の「最も影響力がある 100 人」にも選ばれた。さらに 2000 年には母国カナダ版のウォーク・オブ・フェーム入り、その2年後にはハリウッドのウォーク・オブ・フェーム入りを果たしている。また、2010 年のバンクーバーオリンピック閉会式にウィリアム・シャトナー、キャサリン・オハラとともに登場した。
私生活では、1980 年代に大ヒットしたファミリードラマ「ファミリータイズ」と映画「再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ」で共演したトレイシー・リードと 1988 年に結婚。30 年以上連れ添う彼女との間に4人の子どもがいる。
もともと話術が巧みだったことで知られるマイケルは執筆活動も行っており、日本でもベストセラーとなった 2002 年の自伝「ラッキーマン」をはじめ、4冊の本を執筆しており、2020 年11月に出版した最新作「No Time Like the Future: An Optimist Considers Mortality(原題)」は「自分にすべてを与えてくれた妻へのラブレター」とと述べており、さらにその最新作の中で、病気の進行を受けて俳優業から引退するつもりだと明かしている。
ドク役を演じたクリストファー・ロイドは俳優として約 60 年のキャリアを誇り、これまでに出演した作品は 200 本以上に及ぶ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで演じたドク役以降も、1990 年代のホラーコメディ「アダムス・ファミリー」シリーズのフェスター役、1998 年の SF コメディ「ブラボー火星人 2000」の火星人役など、個性的な外見を生かした役が多い。出演作の多くはコメディだが、近年は「シン・シティ 復讐の女神」や「キリング・タウン 殺人鬼が潜む町」のようなシリアスな作品にも挑んでいる。2020 年10月で 82 歳となったが、今でも精力的に活動しており、アクションスリラー「Nobody(原題)」ほか5本以上の新作映画が待機中である。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の世界には映画3部作以外にも関わっており、1991 年から2シーズン続いたアニメ版や、マイケル・J・フォックス基金のチャリティ活動のために製作された短編「Back for the Future(原題)」、アニメ「Robot Chicken(原題)」でもドクとして続投した。2010 年のゲーム版にもマーティ役のマイケル・J・フォックスとともに加わっている。マイケルとはその後も懇意にしており、彼の主演ドラマ「スピン・シティ」「マイケル・J・フォックス・ショウ」にゲスト出演するなど、スクリーンでも再会を果たしている。
私生活では5度結婚しており、お相手は女優、脚本家、不動産エージェントなど様々である。甥のサム・ロイド(「scrubs ~恋のお騒がせ病棟」「デスパレートな妻たち」などに出演)も俳優だったが、2020 年4月に 56 歳で亡くなっている。