「何度見ても最高だ」バック・トゥ・ザ・フューチャー 古泉智浩さんの映画レビュー(感想・評価)
何度見ても最高だ
公開当時高校生で映画館で見て、その後レンタルでシリーズを通して見て、午前十時の映画祭で久しぶりに見た。映画が始まった途端、字幕の文字が上三分の一しか見えず、画面サイズに合っていないことに気づき、スタッフに言いに行く。しばらくすると一瞬画面が真っ暗になって、サイズが直った。何度も見ているのでいいかなとは思うんだけど、まだ開始五分も経っていなかったので始めから上映し直して欲しかった。そんなもやもやした気持ちで見ていたのだが、映画があまりに楽しくてすごく幸せな気分になって、見終わると廊下でスタッフさんが招待券をお詫びで配っていたのでむしろ得した気分になった。ただ、オレが言わなかったら最後まで字幕が読めないままだったかもしれないので、観客の皆さんはオレに感謝して欲しい。
マーティやドク、お父さん、お母さん、登場人物が若々しく可愛らしく、ビフすらキュートの思えるほどだった。特にお母さんが恋にどきめいている感じがたまらなく可愛らしかった。
八〇年代の浮かれた雰囲気で五〇年代を描いているせいだろうか、何から何まで楽しい映画であった。後にマイケル・J・フォックスは難病を患い、お父さん役のクリスピン・グローヴァーはカナザワ映画祭で大傑作『it is fine,everything is fine!』を上映することになる。そんな公開当時は思いもしなかった大河ドラマがこの映画に今は意味付けされている。また、深海パーティの場面で演奏される音楽は『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』のネタコーナーで散々使われていたため、それを思い出さずにはいられなかった。ラジオが終わってからすっかりアルコ&ピースのことを忘れていた。
伏線回収の鬼っぷりがすごい。しかも全部が全部面白さに機能している。プルトニウムの扱いが雑で、一回のタイムトラベルで消費しすぎなのではないか、高校生を近づけてはいけないだろうなど今にして気になるがそんな乱暴な表現も楽しさに紛れてしまう。また、マーティは映画の中では冴えない風に描かれているのだが、実際いたらウォークマンでヘッドホンしながらスケボーを乗り回し、バンドでギターボーカルで、超絶にうまいし、きれいな彼女もいるスーパー高校生だった。
デロリアンがマニュアル車だった。
ずっと気になっていたのだが、雷が落ちる時間が分かっているのが、分までで、秒が指定されておらず、それに合わせて140キロで調度電線の下を通過するのはあまりに無理がある。1秒にも満たない一瞬を1分の間のどこに置くのかまったく不明だ。彼らに当てずっぽうで一か八かでやろうとしている節はなく、観客にはその表現には目をつぶってもらうしかない。木が倒れて電線が外れてドクが時計台に上がって、足の置き場が割れて落ちそうになって、やっとの思いで接続しようとしたらまた下のコンセントが外れて、その間にデロリアンがエンストして、ドクが電線を滑り落ちてやっとの思いで今度こそ接続して、デロリアンのハンドルをマーティが叩いてエンジンが掛かって、その間刻々と雷の時間が迫る、といったサスペンスはそんなちょっと無理がある展開を誤魔化すために頑張ったのかもしれない。