八月のクリスマスのレビュー・感想・評価
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「死と向き合いながら生きる喜びと諦観」
30歳になるジョン・ウォン(ハン・ソッキュ)は、人生これからというときに死を宣告される。そんな時、駐車違反の取り締まりの仕事をしているタリム(シム・ウナ)と出会い、お互い好意をいだいていく。
死の宣告をされたらどのような精神状態になるであろうか。死の怖さ、悔しさ、愛しい人への恋慕、もっと生きていたい未練、すべてを完全喪失してしまう絶望ではないか。
しかしジョン・ウォンは、いつも笑顔を絶やさず、悲痛にならない、明るさを失わず、優しさで人をつつみこんでいる。ただ友達と飲んでもう一軒付き合えと懇願するとき本音も漏らす、完璧な人間ではない。
タリムは、性格がちょっときつく、わがままではあるが、徐々に素直になり、おじさんという呼び方で慕ってくる。おじさんという呼び方が、年上だけで恋愛対象外という言い方ではない、彼への好意を感じる。
お互い、「好き」「愛している」と言わなくても心がつながっている二人。タリムは、ジョン・ウォンの店にわざわざ来て寝る。戻ってくる場所、人がいることの安心感がかもしだされる。またジョン・ウォンがバイクでタリムの横を通り過ぎる。必ずバイクが戻ってくるという確信の表情バイクを待っているタリム。二人で遊園地
で楽し気にぶ姿が二人の結びつきの強さを感じる。
タリムのことを愛しているから、愛を得たから死にたくないというジョン・ウオンの心情は死によって別れざるえない悲劇性が増幅される。ジョン・ウオンの遺書で
「タリムにさよならは言わない。愛したまま死にたいから」心の底からタリムを愛していた。それゆえこの言葉が重く響く。
タリムは、ジョン・ウォンを愛していたことに寸分の間違いもなかった。ジョン・ウォンを愛したことを後悔はない。なぜならジョンウォンはタリムを愛したまま死んだのだから。タリムは死んでも愛される人をえたのだ。
人間の命はいつか絶えるのは当然なことだ。愛する人との別離も当然のことだ。ただこの映画が描写したのは、尊いまさしく死に様だ。誰からも愛されて死ぬ。なんと幸福で尊い死なのか。親しい人が死んでも忘れられないのは、その人が生きたすべてである。それが生き様だ。
まさに韓流ブームの火付け役となった映画で悲劇のラブストーリーだ。ベタな悲劇の純愛ラブストーリーだが、そうなっていない点に注目しなければならない。その要因は、二人の距離感だ。ほどよい距離感を保ち二人でベタベタしていない。それはジョン・ウォンがもう死ぬことがわかっていたから、自ら距離をとっていたことがより悲しさを増す演出になっている。何気ない日常を愛し、恋する人、生きたいという喜びがあるからこそ死が悲しいのだ。
生きる喜びとは、充実し、満足し、希望に満ちた人生を送っている人だ。ただ現実社会において、生きる喜びに満ちている人はそんなにいないように思う。人はどこかで妥協、諦め、義務感、失望、虚無感、ストレス,病等にさらされ生きている人のほうが大多数だ。
ジョンウォンは、生きる喜びと、死が目前に迫っている諦観、両面をまかせもっている。この二つの心情がジョン・ウォンの心を行き来し、死という現実の前に悲劇に終わるのだ。生きる喜びに満ちている人は、この悲劇にさほどの感慨をいだかないだろう。しかし生きる喜びに欠けている人がこの映画を見たなら幸福な思いになるであろう。今はこれしかできないが、ジョン・ウオンのような生き様・死に様をしたいという羨望を持って、前向きに生きていこうという思いにかられるから。
【”様々な記念写真。そして残された日々を淡々と、けれども大切に生きる。”今作は、ホ・ジノ監督の抑制した演出が光る、ラヴ・ストーリーの逸品である。】
ー 今作のリメイクである山崎まさよし氏主演の同名映画は10数年前に鑑賞し、大変に気に入りサントラまで購入したのだが、オリジナルである今作は初鑑賞である。レンタルビデオ屋を幾ら探しても見つからなかったからである。
序でに言うと、リメイク作を鑑賞したレビューは挙げていない・・。-
■簡単な粗筋
小さな写真店を経営する青年、ユ・ジョンウォン(ハン・ソッキュ)。
彼は違法駐車の写真の引き伸ばし現像を依頼された事がきっかけで、素直で純粋でお茶目な駐車取り締まりを生業とする女性、キム・タリム(シム・ウナ)と知り合う。
タリムは次第にジョンウォンに惹かれ、ジョンウォンも彼女の好意に応えようとする。
だが、彼は見かけは元気そうなのだが、余命いくばくもない状態だった・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、ユ・ジョンウォンとキム・タリムのラヴ・ストーリーであるが、二人は近しくなっても腕を組んだりするまでで、キスもしない。
けれども、二人は会うといつも笑顔である。
特に、キム・タリムがジョンウォンが営む写真展の茶色の古びたソファーで、彼が仕事をする姿を見ている笑顔が素敵である。
・ユ・ジョンウォンは、写真館で様々な人の記念写真を撮る。家族写真、親友チョルグを含めた友人達との写真、キム・タリムの写真。
家族写真を撮った後に一人夜にやって来るチマ・チョゴリを着たお婆さんの遺影に使うという写真を撮るシーンが特に良い。
彼は、いつでも笑顔で様々な人の写真を撮ってあげるのである。
・キム・タリムとジョンウォンは、茶色のソファーで一緒にアイスクリームを食べたり、キム・タリムが友人から貰ったという券で遊園地に行ったりする。
そして、又ソフトクリームを一緒に食べるのである。
二人はいつも笑顔である。
・だが、劇中、ジョンウォンは雷鳴轟く夜に父の寝る布団にもぐり込んだり、父にリモコン操作を教えても覚えないので操作手順を紙に書いたり、写真店の機械の操作手順を記したりする。
そして、一人布団の中で号泣する姿を、カメラは固定のローアングルで遠方から撮影する。
ー 今作では、ホ・ジノ監督の徹底した抑制した演出が光っているのである。-
■ジョンウォンは、ある日病院に担ぎこまれ、彼の写真店の戸は閉じられる。季節が流れる中、その写真店にキム・タリムは立ち寄り、戸の間に手紙を差し込む。
だが、一向に写真館は開かない。キム・タリムはある日、写真店のガラスに石を投げつけて割ってしまう。
又、季節は流れジョンウォンは写真店に戻って来る。
そして、多くの人を撮った写真機で、自ら笑顔を浮かべた”遺影”写真を撮るのである。
ジョンウォン亡きあとに、その事を知らずに写真店を訪れたキム・タリムはガラス越しにジョンウォンが撮ってくれた、自分の笑顔の写真を見て微笑んで去るのである。
<今作は、ホ・ジノ監督の静かで抑制した演出が、優しく温かく、そして気品ある趣を醸し出す一級のラヴ・ストーリーである。
鑑賞後の余韻が、心に残る作品でもある。>
ゆっくり心に広がるよう
遺されし人たちへのメッセージ
セリフがほとんどないのに伝わってくるもの
死を考えた時の事は忘れたりしない。
小学生の低学年の頃だったと思う。隣の犬が死んだ。人なっこい雑種犬だった。
不思議なくらいに哀しかった。そして、ふっつと思った。僕もやがて死ぬ。とてつもなく恐ろしくなった。
若くして死を意識し始めるのは至極当たり前の事だけど、実感することはほとんどない。しかし、この映画は確実に死ぬことが判ってしまった若者の数か月間の生きようを丁寧に描き切っていた。驚いた。実は、この映画は数年まえに観た。きっかけは幼いころから付き合っていた彼女が薦めてくれて仕方なしに観た。その時、僕は今夜のような気分にはなっていなかった。屈託のない笑顔や、心を許した友達の前で泥酔する彼の姿に生きていることのやるせなさが滲んでいた。それでも笑顔を絶やすことはない。そして何よりも恋した女には自分自身の病について語らない。若さゆえにできることなのだ。そして、僕は、この映画を観る様に薦めてくれた彼女のことを思い浮かべた。彼女の顔を思い浮かべようとしたけれど、どうしても頭の中で彼女の顔は描けなかった。
それが"死"と言うことなのだ。
淡々と静かなお話
静かな物語
家族写真
台詞も少なく、淡々とした展開にやられてしまった。観ているうちにアレコレ考えさせられ、主人公ジョンウォンの全ての行動が意味あるものに昇華してしまう。
いかにもおじさんの笑い方だと思ったが、30そこそこ。幽霊のおならという笑える怪談話もいい。同僚とひとつベッドで寝るタミルもいいなぁ・・・女の子同士で寝るということは韓国では多いのかな?
獅子座、20代後半とタミルに言い当てられ、30歳になる人生の節目の意味を考える。冒頭の葬式、家族写真を撮りにきた客のおばあちゃんの行動によって、死期が近づいてきている彼の気持ちがひしひしと伝わってくるのです。突如入院した彼の行動(実際には、彼女に何も知らせなかったという、何もしない行為)が理解でき、両サイドから見る者にとっては悲しくてしょうがなくなる。写真=思い出という単純なものにしたくなかったタミルへの愛情は、最後には彼女に伝わったのでしょうか。店頭に飾ってあった自分の写真を見たタミルの微笑がずっと印象に残ってしまいます・・・
写真館の青年と一人の少女の切ない LOVE STORY。だけど…
こんな韓国映画で切ないLOVE STORYを感じたのは初めてです。
特に最後の青年(ハン・ソッキュ)の撮った写真がそのまま遺影になるとは心に打たれました。彼はもっと生きたいだけじゃなく、彼女と一緒にいたかっただろうか。
※この映画は日本でもドラマ化したらもっと泣けるだろうか…
ちなみに僕の予想キャスト(勝手に)ですが
写真館の青年役・・・向井理or松本潤
駐車取り締まりの少女役・・・川口春奈or二階堂ふみ
しみじみと、ほのぼのと・・・
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