π パイのレビュー・感想・評価
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陰謀論にも通じる孤独な人間の闇を描いたカルトムービー
冒頭、幼い頃に太陽を見るなと母親から言われたが見てしまったと、主人公が語る。これは、カミュの「異邦人」を意識しているのだろう。「異邦人」同様、不条理な出来事が展開していく。カフカ的と言ってもいいかもしれない。
主人公は数学の天才。社会不適合者で他人を避けて生きている。
彼の思想は、「数学は万物の言語であり、すべての実証は数字に置き換えて理解できる。数式化すれば一定の法則が顧みれる。ゆえにすべての事象は法則を持つ」といったもの。
やがて、216桁の数字に隠された法則を見つけ出せば世界のすべてを証明できる、という妄想に憑りつかれていく。
登場人物がありえないアイデアに取り憑かれて破滅していく姿は、「レクイエム・フォー・ドリーム」でも扱っていたテーマだ。このテーマは、現代社会における陰謀論やエコーチェンバーといったネット社会の弊害にも通じている。また、使い古された「都市の孤独」というテーマも見えてくる。
インターネットが今のように発達していない時代に、こういう映画を撮ったのは、アロノフスキーに先見の明があったからというよりは人間の本質が当時とあまり変化していない顕れだろう。彼の才能は未来を予見していたことではなく、本質を的確に掴んで映画に落とし込んだところにある。
本作は制作費940万円。
興行収入はアメリカで5億円。
かなりの大ヒットだ。
1990年代はタランティーノ「レザボア・ドッグス」(1992年)、ロバート・ロドリゲス「エル・マリアッチ」(1993年)、クリストファー・ノーラン「フォロウィング」(1998年)と、今でこそ大御所となっている監督たちが低予算ながら魅力的な作品でデビューした時代だ。
90年代は映画を撮るために知恵を絞り、少ない予算でなんとか面白いものを作る人々がいた。そして、そういう映画がヒットする余裕があった。
現代はインターネットが普及し、誰もが自分の作品を発表できる時代になった。そういう意味では恵まれているとも言えるし、競争が激しくなったとも言える。
それでもやる人はやるし、やらない人はやらない。その点は今も昔も同じだろう。
公開が3/14って!アンダルシアの犬擬きさ!
『アンダルシアの犬』かなぁ?でも、頭よりも目ダネ。
怖いのは。
4年くらい前に『加齢黄斑変性』と言う目の手術をやった。眼球にメスを入れるのである。勿論、麻酔はする。しかしことごとく見えるのだ。
ガキの頃『アンダルシアの犬』の広告写真を見て依頼、そんなめに会うと思っていなかったので、縮み上がる程怖かった。また、
この映画と似たような手術で『真珠腫』と言う手術もした事がある。こちらは手術自体は全身麻酔なので何でもないが、手術前の検査の時に内耳の周辺に麻酔を打たれた。こちらは見えていないから、この映画見たいな感じとしか言いようがないかなぁ?
だから、こんな事は何であっても痛そうなのだある。
だからこそ狂気なのだが、数学の真理を追究して何で痛い目に合わにゃならないの?と感じる。
数学は、特にユダヤの民には錬金術の為の物。つまり、『あんちょこに金稼ぐ』為の道具。
痛い目に合う筋合いなど無いと思う。
僕は高校で教える数学が大嫌いだ。なぜなら、タダのパズルを解く見たいなゲームだからだ。だから、数学は高校3年間は赤点であった。でも、素数とかフィボナッチ数列とか黄金比については大変に興味ある。分からないからと言って、アドレナリン出しまくって人と議論なんかする気にもなれない。果たして、この演出家は数学が好きなのだろうか?
そもそも、
1998年と言えば、BASICでプログラミングしていたかなぁ?機械語とかね。
まぁ、こう言った事で悩むくらいだから、愛のないAIなんてとんでもない。ITでもそんなんだから、ロケット飛ばして地球を脱出すると言ったことすらままならない。
派手に花火を打ち上げるのなら、216を研究したら?日本には世界に誇る何とかって言うスーパーコンピューターあるんだから。
しょんぼり、ぐったり
追い求めた先には
イデアへの渇望
数学者の狂気を描く。
初公開時はものすごい衝撃を受けた映画だった。
それまで映画だと思っていた映画とは全然ちがっていて、こんな映画があるんだー、と感動した。
音や映像がとにかくスタイリッシュで、センスの固まりって感じ。
「数学」というより、「真実」にとりつかれた話って感じがする。
「真実」のメアファとして「太陽」が出てくる。
太陽を直視すると失明する。だから太陽を見ることはできない。
人間は直接真実を知ることはできない、しかし人間は狂おしく真実を知りたいと求めてしまう。
これを数学者も感じているし、ある種の宗教者も感じているのかもしれない。
プラトンの「イデア論」も連想した。
イデア論では、我々は牢獄である洞窟に閉じ込められており、我々が現実だと思っているものは、外界からさしこむ光による影だという。「本当の現実(イデア界、真実の世界)」は、洞窟の外にあるのだが、我々は外を見ることができない。
我々の感覚器官(五官)が不完全なものであり、我々の認識力や思考力が不完全なものであり、なにより我々の肉体が物質で構成されていて、四次元(三次元空間と時間軸)に閉じ込められた制約だらけの存在である限り、このイデア論の考え方はおおむね正しいように思える。
しかし数学者や物理学者の一部は、まさにこの我々の肉体的制約の限界を超えて、世の真実に迫ろうという情熱をもっている。それは宗教的熱狂にも近いものだろう。
それは壮絶な苦しみも伴うもので、この映画の主人公が太陽を見て以来脳に巣くってしまった頭痛に象徴される。「真実」にとりつかれてしまい、それを求めずにはいられなくなってしまった執着が頭痛の正体であり、最後、主人公は物理的に脳を破壊することでその執着から逃れる。
でも、今回この映画を観ていて感じたのが、「時代が変わってしまった」ということ。
初公開時は、超ひも理論のような、数学で世界の真実に迫るという話がまだ新鮮で、この映画に対する見方が全然違ったと思う。
オカルト
ちょっとうとうとしちゃったからセリフとか曖昧だけど
『子供(何歳だっけ?6か8だった気がする)のころ太陽を見た』ってセリフが何度も繰り返されてたのって
きっと太陽が重要で
太陽=UFO
株屋=CIA
こめかみの傷=チップ
なんじゃないのかなって思ったら
カルト映画じゃなくてオカルト映画だね。
UFOにアブダクションされて
チップ埋め込まれて天才になって
CIAに追いかけ回される主人公の話。
そう見たらなんか色々納得いく気がする。
『神の器に過ぎない』って事はやっぱり
神=宇宙人に
チップ埋め込まれた
器=ただの人ってことじゃない?
最後にチップ壊して凡人に戻れたって感じだったし
オカルト好きだからそういう風に見えちゃうのかな?
同じ考察してる人いたら嬉しい^ ^
好きもの
妄想力が凄い
1999年の公開当時、今は無き渋谷のシネマライズで本作を鑑賞しました。確か20時とかの遅い時間帯の上映で上映期間も短かった記憶があります。その時の感想が、「監督はジャンキーなのかな?」です。それくらい、ぶっ飛んでいたと感じました。今となっては、私はダーレンのファンなので、この機会に改めて25年振りにデジタルリマスター版をスクリーンで再鑑賞しました。
今観てもカメラも音楽もかっこよく作品の世界観にあっていました。主人公の恐ろしい妄想が初鑑賞の時にジャンキーっぽく感じていたのかもしれません。
ダーレンの作品は、何かに取り憑かれた様なパラノイア的な主人公が多いですが、これはダーレンがユダヤ教徒だからでしょうか。何でこんなに自分を追い詰めるのか、、、これはユダヤ教の教えに起因してるっぽいと後に知りました。確かにユダヤ人監督の作品は、こういう追い詰められ系が多い気がする。
数式、経済、株式はユダヤ人の得意分野ですし、この数式が分かったら人生勝ちですが、最終的には破滅してしまったのが《レスラー》《ブラックスワン》と似ていますね。天才が破滅するまで追い詰められる物悲しさが私の好みでした。
これがデビュー作ってどんな頭してんだよー‼️
想像してたより分かりやすく面白かった♪
知っている方いると思いますが、世紀末の1999年ごろ渋谷の路上に“π”の文字が200ぐらい大量にペイントされる事件?があり、少し騒動に…
実は、それ、この映画に絡んで起きた事だったらしいのです。
それが、ずーっと心に残っていて、前から観ようと思いつつも観れてなかった作品、やっと観れた(笑)
なかなか手が伸びなかったのは、難しくて眠くなりそうなイメージかつ、あまり面白くなさそうに思えたから(笑)
実際に観てみたら、デジタルサウンドのクールなオープニングから、すぐに引き込まれ、ソワソワする独特な不穏な雰囲気に魅了されました。
なんか、すごく『鉄男』っぽいな…と、全体的な雰囲気や差し込まれるカットなどなど、明らかに寄せてるよな…と、既視感を感じながら観てたけど、
終わってから調べたら、やっぱり『鉄男』を意識しての事らしい(笑)
この監督って『パーフェクトブルー』も好きなんですよね。
“日本人”ってワードも出てくるし、チャイナタウンが舞台で、太極拳を行う人々など、アジア人が印象的。
僕が1番好きなのは、のぞき穴からアパートの廊下を確認するシーンで、数回だけどインパクト大。
カルト映画だけど、観てない方はオススメです。
75点ぐらい。
理屈人間
夜勤明けで鑑賞したせいか、映画の演出が特殊なせいか、多分始まる前におにぎりを食べたせいで←ソレダヨ!、終始睡魔との戦いに⤵️
別に寝落ちしてもいいのだが、イビキを掻いたら他の人に迷惑なので必死に抗う!ウォー❗
映画の主人公も必死に何かと戦っている!ガンバレ~
どうやら数学の天才の主人公は、世の中の道理を数式で証明したいらしい
いかにも男が考えそうなことだ(男って何でも理屈で納得しようとする◯◯ダカラ…)
私Sも昔似たようなことがあり、十年以上前、競馬が絶好調な年があり、これもっとレースを細かく分析すれば、スゴイことになるかも⤴️(・∀・)ヒョー
それから、週明けに先週の全レースをノートにスクラップして、ひたすら反省、分析、データ収集をやった結果💨
前より全然勝てなくなるという、悲惨な結果が( ゚д゚)オーマイガッ!
それからは地道にシコシコ遊びでやっております🐴
さて映画の主人公は果たして…
乞うご期待!オワリ!
求められる知識が広すぎるが…(補足入れてます)。
今年113本目(合計1,205本目/今月(2024年3月度)31本目)。
(前の作品 「12日の殺人」、次の作品「四月になれば彼女は」)
私、行政書士の資格持ちで日本映画を中心に法律的に気になる描写ほかは突っ込むので、法学部かそれに準じるところを出ているかと思われるかもしれませんが、数学科(同大学院)卒です。
…といったことはさておき。
まぁマニアックな作品を復刻上映したなぁ…という印象です。復刻上映の日は3月14日で、日本ではだいたい慣習として映画館のスケジュールは金曜日始まりの木曜日終わりで組んでいるところが多いですが(ミニシアター中心に土曜日始まりの金曜日終わりもある)、木曜公開のこの映画がそうであるのは、3/14が「円周率の日」であることはまぁわかります。
リマスターといってもモノクロ映画だし、製作当時や映画で示される時代背景(あのパソコンからすると戦後間もないころ?)ほかも現在と一部違うところはありますが、円周率πをめぐって主人公がいろいろ思考を巡らせたり、株価と関係があるんじゃないかとかと考えたりという、なかなか数学科卒というかそうした属性をくすぐるタイプの映画です。
ただ、それと裏腹に、字幕内では「フィボナッチ数列」程度の字幕しか出ませんが、裏側ではカオス理論の先駆けや偏微分方程式論の初歩の理論なども登場し(表立っては出ないが、気が付く人はいる)、なかなかマニアックというかカオスな映画です。かなり理解が難しいのでは…と思います。ほか、ユダヤ人の祖国であるイスラエルのヘブライ文字に関すること(このことは多少関係があるので後述)など無関係なことも出ますが、たいていは数学ネタに落ち着きます。ただ、一部を除いてそれらが数学ネタに落ち着くというのは学部レベルの数学を知っていないとまず無理ではないかといったところです。
日本では本映画がVODで見られるかどうかは不明ですが(探した限りではなかった。ただ、DVDにせよビデオカセットにせよ持っている人はいる?)、いわゆる配信サービスほかで見ることが想定できるのであまりあれこれ書かずさっそく採点入りましょうか。
採点としては明確に以下が気になったところです。
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(減点0.2/「整数論を専攻している」)
ここでいう「整数論」の「整数」は、普通にいう意味ではなく、数をより抽象化した意味での抽象代数学のひとつ、「数論」のことです(原作の英語版は number theory になっていると思われます。それを翻訳するときに気を付けないとこうなる)。
※ ただし、数論で提示される問題の多くは、「初等整数論」(普通に「整数論」といった場合はこれを指す)で「意味だけは分かる」ケースが大半で、そのきわめて代表的な例が、フェルマーの最終定理(当時)でした。中学3年の三平方の定理からちょっと応用すれば中学数学程度でも理解ができるのに対し、最終的に定理が証明されたときには初等整数論をはるかにこえ、現代代数学、数論ほかの最先端の知識が駆使されています。
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(減点なし/参考/ラストで公園にいる女の子が 748÷238 の暗算を求めるシーン)
これは、外国では普通にVOD配信が普通なので、このシーンが何を意味するかは、このサイトのような映画の評価サイトでは質問が多く実際に見られますが、これはその値の円周率の値の近似値になるもの( 3.1428…) を示唆しています(正確な値は 3.1415…)。
(減点なし/参考/ヘブライ語のアルファベットと集合のお話)
たとえば、0から9までの1桁の数の集合といえば、10個の要素を持ちます。AからZまでの大文字アルファベットの集合といえば26個の要素を持ちます。つまり、それぞれの集合を考えると、後者のほうが「大きい集合」になります。しかし、「数全体の集合」のように無限集合を考えると、「数えようがない」ので「大きい小さい」を考えることができません。
そこで、上記の「大きい小さい」という概念は、さらに拡張されて「濃度」という概念に拡張されます(学部2年程度)。実数全体の集合の濃度を「アレフ」といいますが、この「アレフ」は映画内でも出るように、ヘブライ語の最初の文字です(英語の「A」に相当)。
そして、0,1,2…と数えられる自然数全体の集合の濃度を「アレフ0」といいますが、その濃度の濃さを考えると、実数集合のほうが「濃い濃度である」ことがわかります(学部2年程度)。このように数学の一部の分野とヘブライ語という「一見何の関連もない分野」は実はかぶりがあり、映画内でちらっと出てくるヘブライ語のアルファベットの話も、最終的にはこの話を裏でこっそりしているわけです。
(※) 自然数全体の集合の濃度を「アレフ0」といいますが(上述)、その濃度よりも「より濃い」濃度である「アレフ」(実数全体の集合の濃度)が、実は「アレフ1」で、「アレフ0とアレフ1の間にある濃度は他にはないのでは?」という考えもあります。これを「連続体仮説」といい、現在の数学の公理系では、「正しいとも正しくないとも証明ができない」(←何らかの新しい仮定を置かないと真偽が確定しない)ことが知られています。
数式
π〈パイ〉 デジタルリマスター ブラックスワンが好きで鑑賞。 ブラ...
π〈パイ〉 デジタルリマスター
ブラックスワンが好きで鑑賞。
ブラックスワンに通ずる狂気さは確かにあり、自分に置き換えてもこの作品の様な数字や宗教観に囚われる経験はないにしても似たような自分自身で勝手に追い込んでしまう枷なんかは浅かれ深かれ誰しもが経験あるのではないか。
その経験がなにか蘇りながら良くも悪くも狂気さを体感するような感じで楽しめる作品ではあったが。
個人的な2024年洋画新作鑑賞ランキング
1 ネクスト・ゴール・ウィンズ 4.8
2 Firebird ファイアバード 4.8
3 コット、はじまりの夏 4.7
4 ARGYLLE/アーガイル 4.7
5 アリバイ・ドット・コム2 ウェディング・ミッション4.5
6 デューン 砂の惑星 PART2 4.5
7 ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ 4.5
8 アクアマン/失われた王国 4.5
9 ニューヨーク・オールド・アパートメント4.3
10 異人たち 3.7
11 ミツバチと私 3.6
12 コヴェナント/約束の救出 3.0
13 僕らの世界が交わるまで3.0
14 ストリートダンサー 3.0
15 カラーパープル 2.9
16 弟は僕のヒーロー 2.8
17 関心領域 2.6
18 ジャンプ、ダーリン 2.5
19 エクスペンダブルズ ニューブラッド 2.3
20 マダム・ウェブ 2.3
21 落下の解剖学 2.3
22 ダム・マネー ウォール街を狙え! 2.3
23 哀れなるものたち 2.3
24 DOGMAN ドッグマン 2.2
25 パスト ライブス/再会 2.2
26 ボーはおそれている 2.2
27 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人 2.2
28 瞳をとじて 2.2
29 ゴースト・トロピック 2.2
30 葬送のカーネーション 2.2
31 Here ヒア 2.1
32 ハンテッド 狩られる夜 2.0
33 サウンド・オブ・サイレンス 2.0
34 ポーカー・フェイス/裏切りのカード 1.9
35 アバウト・ライフ 幸せの選択肢 1.8
36 サン・セバスチャンへ、ようこそ 1.8
37 VESPER/ヴェスパー 1.5
38 フィスト・オブ・ザ・コンドル 0.5
番外
QUEEN ROCK MONTREAL 5.0
π〈パイ〉 デジタルリマスター 2.0
信念を追い求め、妄想に憑りつかれる者
ダーレン・アロノフスキーの作品はそこそこ観ているが、長編デビュー作のこれを観るのは、今回のデジタルリマスター版が初見。数字に憑りつかれた男の妄想を、エッジの効いた前衛的な映像で描いているが、本人も語っていたが塚本晋也の『鉄男』へのオマージュがビンビンに炸裂している。それよりも何よりも、彼のその後のフィルモグラフィとダブる描写が詰まっている。
それは、信念と追い求めるうちに、次第にそれが妄想となり憑りつかれていく人間が主人公という点。『レクイエム・フォー・ドリーム』では若いカップルが麻薬に溺れ、『ノア 約束の舟』では民や動物を救う方舟作りに男が執着し、『ブラック・スワン』では完璧な踊りを求めるバレリーナが黒鳥と同化していく。
個人的にはこの監督の作品は当たり外れが多い。『レスラー』、『マザー!』は好きだが『レクイエム・フォー・ドリーム』、『ノア 約束の舟』は苦手だった。本作も正直言ってあんまりノレなかったけど、『ノア』を作った理由も『レスラー』のランディがキリストと重ねられているのも、ようやく納得できた。「デビュー作には作家の全てが詰まっている」法則はここでも発動していたのだ。
dizzy dizzy dizzy
頭痛シーンがすごい良い
音と映像を受け手の感覚と接続するのがすごい上手いなあと思った。主人公が頭痛に見舞われると画面がぐわんぐわん揺れたり不快な音が周期的に鳴ったりするんだけど、その周期がちょうど実際の頭痛のときに感じるそれと同じだった。
画面も音もいじればいじるほど作為性ばかりが強調されて実感覚からは乖離していくんだけど、本作はそのへんのバランスがよかった。表現そのものは誇張的なんだけど、根底で実像を捉えている、的な。
アロノフスキー監督の『ブラックスワン』が今敏の『パーフェクトブルー』を範型としていたというエピソードは有名だが、本作も日本アニメの影響がモロに出ていた。映像的混沌が臨界点を超えた次の瞬間に真っ白な無音空間が立ち現れる、みたいなの、まさに90年代末のアニメだ。
高等数学を扱っているという割には物語はわりと単純だし、引用される人名だの概念だのもサブカル系まとめサイトでよく見るようなありふれたものばかりだった。まあ、そのおかげで最後まで見られたんだけども。
好奇心に駆られ、目が焼けるのも厭わず太陽を見つめてしまったことのある主人公が、数字という魔性に惹きつけられるのは論理的必然だ。主人公は飽くなき探究の果てに太陽の実像を視ることができたのか。3桁の乗算に「わからないよ」と微笑む彼の表情はひどく寂しげだった。
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