ハーヴェイ・ミルクのレビュー・感想・評価
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【マイノリティの為に闘い凶弾に斃れた男の半生を描いた作品。彼を暗殺した同じ市政執行委員だった男に下された軽すぎる判決には苦い思いが募るが、後世に名を残したのはマイノリティの為に戦った男なのである。】
ー ゲイ、レズビアンなどのマイノリティ差別撤廃のための、提案6号可決のために奔走し、同じく市政執行委員だった男に暗殺された政治家の姿を追うドキュメンタリー
■ハーヴェイ・ミルクを主人公にした「ミルク」を以前鑑賞していたので、このドキュメンタリー映画を鑑賞した。
◆感想
・前半は、ハーヴェイ・ミルクが苦労しながらも、サンフランシスコの市政執行委員に当選し、マイノリティのためだけではなく、サンフランシスコを住みやすい街にするために奔走していた事を、彼と関わった多数の人物、特にマイノリティの方々の証言を踏まえて描かれる。
・遺されたハーヴェイ・ミルクの写真は、いつも笑顔であり、多くの人に慕われていたが、少し変わった人だったというコメントも、取り上げられている。
・後半は、市政執行委員だったが、ハーヴェイ・ミルクが僅差で成立させた提案6号に反対していて、自分で委員を辞めたダン・ホワイトにより、ハーヴェイ・ミルクとマスコーンサンフランシスコ市長が銃で殺害されるというショッキングな出来事と、彼に対して陪審員たちが下した余りに軽い懲役5年半という判決に対し、抗議する人たちの姿が描かれている。
<当たり前であるが、自分の意見が通らなかった事に腹を立て(別の要因もプラスであったようだが)、相手を銃で撃ち殺すとは言語同断である。
このドキュメンタリーでは描かれないが、このダン・ホワイトという中流の白人は、出所後、仕事に付けずに(当たり前である。)自殺している。
皮肉な事に、世間ではハーヴェイ・ミルクは英雄として讃えられ、ダン・ホワイトはその、存在すら忘れられつつある。
今作は、ゲイ、レズビアンなどのマイノリティ差別撤廃のために戦い、凶弾に斃れた男がいたという事を後世に残す貴重なドキュメンタリー映画である。>
LGBT
ムーブメントが現代で表立った時気付くべきだった事に
本作鑑賞で至った思いを記載したい。
我が国のある保守系議員は生産性と言う言葉を使用しLGBT属性の人々を差別したようだが、生産性の定義が歪曲かつ狭義であると言う事実に彼女自身若しくは支援者は気付けているのだろうか?と言う事実が横たわっており、正にこのこと自体がLGBTムーブメントが表出してきた本来的問いかけなのだと言うことである◎
性的嗜好は一様ではなく。まさに千差万別であり、偏りある定義付で統一することは叶わず。ある程度の中庸を模索するしかないのである。
つまりは、我々の生きる時代はある一定のスーパーパワーで持って社会を進めてきた時代からあらゆる価値観を抱擁し中庸に立って進めていく必要性を問われる時代に入った。と言うことだ。ハーヴェイが問う中庸時代の始まり◎
差別のない世を切に願う
ドキュメンタリー映画は取っ付きにくい印象があり、ほとんど観たことがなかったが、本作にはすぐに引き込まれた。
重いテーマだが、多くの方々のインタビューなどにより、重くなり過ぎなかったのも良かったと思う。
少数派意見を強く主張する勇気には、本当に感服する。
本当に怒るべきこと。
「人は本当に怒るべきことで怒らず。怒るべき価値もないことでこそ怒る。」
という格言があるが、ミルクのいた時代。サンフランシスコには本当に怒るべきことがあった。
彼は腕っぷしが強いわけでもなく、財力や権力があったわけでもない。
でも本当に怒るべきことから逃げなかった。
ダイバーシティという言葉が飛び交う今こそ見てほしい映画。
この映画をちょうど見た後にサンフランシスコにいったが、あの通りを見ただけで涙が止まらなかった。
ムーア監督も大好きだが、どうしても皮肉屋の一面が強く出る。
対してこの映画は、純粋に「ねえ?まちがってない?」を問いかける真摯さにあふれた映画。
LGBT問題
1930年生まれのハーヴェイ・ミルク。海軍を経て証券マンとなった彼は60年代に入ると前衛的な芝居をも世話したが70年代にはベトナム反戦運動に参加。73年サンフランシスコ執政委員に当選し、市長マスコーニとともにゲイやマイノリティの差別撤回運動を繰り広げた。
本人もゲイであるが、なかなかカミングアウトできない世相を変えた男。初の執行委員という偉業もそうだが、保守派の反発も凄いものだったと想像できる。なにしろ遺言には「暗殺されたら・・・」という言葉から始まるのだ。
暗殺後はカミングアウトする人が逆に増えたりする現象もあったが、評決は誰も納得しないもの。一人の証言者に「市長だけを殺していたら終身刑だったかもしれないが、ゲイを殺しても社会のためになるだけ」という言葉があった。それほど同性愛に拓かれてない時代。民主主義とか銃社会の問題よりも人間の尊厳という問題がずしりとのしかかる。懲役も5年ですむのか・・・ううむ。
映画「ミルク」のホンモノ、ここにあり!
映画「ミルク」は、この作品がなかったら生まれてなかったかもしれない。そう感じるくらいに、「ミルク」以上に「ハーヴェイ・ミルク」は、同性愛者の希望の星となったサンフランシスコ市制委員ミルクの業績を丹念に描いている。さすが、世界的ドキュメンタリー作家ロバート・エプスタイン!、安定した語り口と丹念な取材のたまものだ。
エプスタインはの人物ドキュメンタリーは、関わった人々へのインタビューを細かく積み重ねて、しかも視点がぶれないことで知られているが、この「ハーヴェイ・ミルク」でも同性愛者たちや移民者たちなどのアメリカのマイノリティーたちにたった目線を大事にしている。
それを強く感じさせるのは、ミルクが暗殺された以降、つまり映画「ミルク」のラストシーンのあとのあまり語られていない部分だ。暗殺した犯人の裁判が、いかにもミルクとは反対側の立場の者たちばかりで裁かれ、暗殺者に有利に展開したことを、エプスタインは批判的な目でとらえている。そこには、ミルクが懸命に努力してきた「人権」を守ることができているのか、という国家への疑問があるからだ。
その意味では、この作品が完成してから25年も経過している現在のアメリカ、そして現在の日本で「人権」が守られているのかどうか、この「ミルク」と「ハーヴェイ・ミルク」の両方を観ると心配にもなってくる。アメリカは前政権がキリスト教一派から支援されていたこともあって、同性愛者たちへの理解が薄かったらしい。一方、「ハーヴェイ・ミルク」の裁判の様子を見ると、日本のこれからの裁判員制度で果たして、犯罪の被疑者と被害者の人権が守られるのかどうか、とても不安にも思えてくる。我々は、この両作からもう一度、「人権」についてキチンと考える力をもらうべきではないだろうか。
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