ノスタルジア(1983)のレビュー・感想・評価
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水と蝋燭の火
タルコフスキー監督の作品はやはり映像の美しさが段違いだ。
しかし説明的な台詞がほとんどないために、何を描いているのかが予備知識なしでは皆目分からない。
小説でいう余白の多さが特徴的だが、それだけに観ている方は忍耐と集中力を要求される。
そして気がつけば心地よい睡魔に襲われる。
それすらも監督の狙いではなかろうか。
学生時代にこの作品を観た時はとてつもない傑作だと感じたが、今観返してみると難解さだけが際立つ。
当時も内容を理解していたとは全く思えないのだが、それでも感性にビビッと来るものがあったのだろう。
物語はロシアからイタリアに亡命したサスノフスキーという音楽家の軌跡を辿るアンドレイの視点で描かれる。
エウジェニアという通訳が彼に付き添うが、彼女は彼に自分のことを女として見て欲しいと願っているようだ。
しかしアンドレイは彼女には見向きもしない。
モノクロの心象風景が何度も描き出されるが、アンドレイの心はどこかに囚われているようだ。
彼はある温泉地でドメニコという風変わりな老人に出会う。
彼は世界の終末を説き続けており、そのために家族まで犠牲にしてしまったらしい。
アンドレイはこのドメニコに同調する。
ドメニコはアンドレイに蝋燭の火を灯しながら、水の中を渡りきって欲しいと頼む。
それが出来れば世界は救われると。
後にドメニコはローマの広場で世界の終末を人々に訴えかけ、ライターで火をつけて焼身自殺をする。
アンドレイはドメニコの頼みを引き受け、蝋燭の火が何度も消えてしまう中、水の中を歩き続ける。
そして最後に彼は発作なのか、疲れなのか、その場に倒れてしまう。
倒れた彼の姿は映されない。
ラストはまた雪の降りしきるアンドレイの心象風景の描写で終わる。
その余韻は長く美しい。
解説を読むとこれはアンドレイのロシアからイタリアへの亡命の物語であるらしい。
何度も描かれるモノクロの風景は彼が捨て去ってしまった故郷の記憶である。
サスノフスキーは一度は亡命したものの、祖国を忘れられずに帰国し、後に自殺をしてしまったという。
アンドレイはそんなサスノフスキーに自分を重ねたのだろう。
そして家族を捨ててまで信念を貫き通そうとしたドメニコにも自分との繋がりを感じたのだろう。
それを知った上でも理解出来ないシーンは多い。
映像の美しさと画面の構図の素晴らしさはもちろんだが、エウジェニア役のドミツィア・ジョルダーノの美しさも際立っていた。
何百回でも見たい
アンドレイ・タルコフスキーを一言で表すなら、「優しさ」だと思っている。
それは、彼の言葉からは勿論、作品からも伝わる。
どれほど滑稽に思われようと、ひたすら自己を犠牲にして世界を救おうとする。
そういう人を彼は見ていて、映画の中で表現している。
瀕死の主人公ゴルチャコフが懸命に蝋燭を運ぶクライマックスは、その意味に思いを致さなければ、ただの奇行や無駄な努力としか写らない。
しかし、彼はそのために文字通り命を賭けている。
そして、その自己犠牲は我々の生きる世に実際に存在している、と伝えている。
犬や水のシーンは前作の「ストーカー」を踏襲するが、監督の年齢の分だけより洗練されている。
主人公の独白シーンも素晴らしい。
ラストシーンでは、ロシアの「ノスタルジア」を感じられる。
自分の中で最高と言える映画であり、何百回でもこの世界に浸りたい。
その生き様を詩を読み絵画でみつめるような作品
霧に霞むトスカーナ
その美しい光線をエウジェニアは
モスクワに似ていると言う
それを切り捨てたアンドレイ
独り言のただならぬ嫌悪感は
白い羽を羨みながら
故郷を深くみつめている
エウジェニアは
アンドレイの虚な空気の前に佇み
ただ閉じ込められるしかない
閑散としたホテルの
慣れた部屋で
櫛にからむブロンドの毛が
アンドレイをモヤの中に押しやり
止める時間
吹き込む雨音を聞きながら
ベッドに倒れ込むアンドレイに
水の潤いが開放と後悔の狭間を行き来する
涙になって押し出される葛藤の
不快な自覚は積みあがり
床に水溜りをつくる
それを知って
寄り添いにくる犬も
うつらうつら見る夢のひとつ
女たちの視線
薄暗い部屋にみえる苦しみ
そこにも命が宿るのを知りつつ
立ち去ろうとする自分
そんなアンドレイが
世界の終末を信じ家族を7年も閉じ込め
挙げ句の果てに逃げられた男・ドメニコと出会う
その町に湧き出る硫黄の温泉につかり
狂人と呼ばれるドメニコの噂をしている人々は
〝不死〟を求めて
そして、アンドレイはドメニコと同じく
〝生き方〟をただ求めて
エウジェニアからの取材交渉を断ったドメニコが
アンドレイをあばら屋に招き入れたのは
同じものを感じる嗅覚だったのだろう
その木戸をあけると
アンドレイの脳裏にまた広がる故郷
そしてすぐに
ドメニコもエゴと引き換えに閉じ込めた苦しみに
苛まれていることを理解するのだ
1滴に1滴を加えても1滴…
語るドメニコの哲学、強さの裏側
それはアンドレイが己に対峙する時間でもあった
ドメニコは心をゆるし
自分のパンとワインを分け与え
アンドレイに世界を繋ぐための蝋燭を託す
どこか不思議な2人の会話は
内なるものに呼びかけ応じながら
行き止まりの部屋でいつのまにか消え
過去や生き方に共鳴するように
廃れかけたコンクリを雨音がたたく
不安定なようで規則的なリズムは
アンドレイに安息の微笑みをもたらした
蝋燭を託され嬉しそうなアンドレイは
最後の賭けのように彼を待っていたエウジェニアの
心情を逆撫でし
頑なさを「偽善者」だとののしられる
自由がこわい?
ー自由をしらない。
私を閉じ込め満足するあなたは退屈よ。
そう叫び去られた現実は
またアンドレイの夢を呼ぶ
霧の丘でアンドレイを待つ家族たち
怪訝と不安が混じる妻の顔
年老いた母
真っ直ぐなこどもの目
くりかえし
くりかえし
見る故郷の家族の夢を
わだかまりを捨てれず
もがく彼は
澄みきった水の中を歩きながら
足元に浮かぶ白い羽に
やはり誘われる
変わりゆく世界
文明の音
一刻一刻と
老いていく自分
そして
変わらぬ故郷を捨て
本音で生きることを
〝アンドレイ〟
と呼ぶ儚げな声を確かに聞きながら望むのだ
程なくして
ドメニコがモスクワで演説していると知り
アンドレイはついに受け継がれた蝋燭を灯す
きえる火
またきえる火
それでもまた火を灯し
胸の痛みをこらえながら
辿り着くまで歩く
〝上の空では何も起こらないよ〟
〝大切なのは、幸福になることではないよ〟
あの時立ち寄った教会でエウジェニアにそう言った
牧師の言葉が耳の奥を触れていく
〝重要なのは完成ではない 願いを継続することなのだ〟
〝自然を観察すれば人生は単純だと分かる
原点へ戻ろうではないか 単純な原点に〟
広場の観衆の前で真の自由の意味を問い
進化のために原点へ戻ろうと
ドミニコが遺したスピーチがこだまする
〝理解には境界をなくすこと、国境をなくすこと〟
アンドレイがエウジェニアに故郷を語った時の思いが沁みてくる
命をかけた2つの呻き声は大きな1滴の1つになった
アンドレイの魂は故郷にある
水面にうつる蝋燭のような光は
遥かトスカーナから届き揺らぐことはない
静寂のなか
聖母の胸から飛び立つ小鳥の羽のように
ロシアの雪が舞い落ちる
アンドレイを包むこのノスタルジアが
ドメニコにも同じように安らかにあったのだとおもう
母よ、母よ
かぜは軽いものだ
わたしが微笑めば
風もそっと動く
この作品が生まれてから時はずいぶんと流れた
しかし、あまりにも深い問題は永遠のようにあり続ける
濃すぎる霧はこの世から美しい光を遠ざけ
本質を隠してしまう
タルコフスキーは
自由な空の上から眺め
きっと今もそう憂いているのだろう
イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を...
イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を追っているロシアの詩人アンドレイ(オレーグ・ヤンコフスキー)。
同行するのは通訳のエウジェニア(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)。
どうにも伝記をモノにすることのできないアンドレイに去来するのは故郷ロシアのイメージ。
そのモノクロの映像は、実際に体験したのか、それとも虚構なのかは判然としない。
ある日、温泉静養地で、周囲の人々が瘋癲と呼ぶ中年男性ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)と出逢う。
ドメニコが住まう小屋はあばら家で、雨漏りが激しく、床は水浸し。
ドメニコは、終末が真近だと感じて家族を何年も閉じこめた過去を持つ。
が、彼が言うには、まだ世界を救う術がある。
それは、水が流れる村の広場を、ろうそくの火を消さずに往復できたならば・・・ということだった
という物語で、タルコフスキーの前作『鏡』の母及び故郷のオマージュに加えて、ストルガツキー兄弟のSF小説を映画化した『ストーカー』を綯交ぜにしたような内容。
これが成功しているかどうかは観客に委ねるころになろうが、個人的には面白いのか面白くないのかよくわからない。
というのは、モノクロのオマージュ映像が、それ以外のカラー映像と差異が乏しく、『惑星ソラリス』であったような「無機質の中での郷愁」よりも、俗物的。
その分、わかりやすいようで、終盤、都市の広場で演説を打ち、焼身自殺を遂げるドメニコには驚きはあるが、どうにもそれ以上のものを感じない。
彼の演説を無言で見つめる聴衆が不気味だけれど。
ろうそくの火を消さずに水滴る広場を往復するアンドレイの姿を捉えた長い長いワンショットは、観ている側も含めて狂気じみて来る。
ま、それは、この映画から40年経ても、終末は間近いという意識が拭い去らないからなのだが。
なので、40年経て観ると、タルコフスキーの願いや祈りは届かなかったとしか思えず、どこかしら「かなえられなかった未来に対する希望を描いたSF映画」という感がしてならなかった。
あの、モノクロシーンは、郷愁ではなく、未来への希望だったのかもしれません。
『翻訳の詩?それが』ジム・ジャームッシュのパターソンを思い出した
ソ連から制作資本が出ているんだ。
印象に残った会話
『女だけがこれほど神にすがるのはなぜ?』
『女は子供を産むだろう。そして育てる。忍耐と犠牲が必要なんだ』
『女の役目はそれだけ』
『さあな』と答え、続けて
『今まで答えたことは無かった。大切なのは、幸せになることだけじゃないよ』
さて、この作品のテーマ?
なんか違う。
映画のテーマはイタリアに来たロシアの詩人のアイデンティティの消失だ。それ一つに絞れる。『ソラリス』をこの作品で再現している。最後のタルコフスキーの言葉は、ソラリスが母なる地球だと再認識出来た。彼の生涯のテーマだったのだろう。
焼身自殺は『ハイル!』と叫びそうな専制君主像の上。ゆえにムッソリーニに対するアイロニーが含まれていると思う。
兎に角、焚書の場面や言葉の違いは、詩篇の真意が伝わらないとする見方もあり、最後にソ連から亡命するタルコフスキーの本音だったのだろう。この時点で、この様な映画を作っていると言う事は、タルコフスキーの亡命は確信犯で、この時点で見抜けなかったソ連当局の稚拙さが伺える。
焚書は、知を消滅させるのでファシズムだと言う。それは理解する。しかし、例えば、僕が大英帝国図書館(?)に行っても、本を眺めても、残念ながら、ゴミの山。つまり、知の消滅を人間社会から防ぐには 正当な人格と正確な知識の維持だと思う。つまり、多面的な教育だと思う。そして、それは詩篇や文学に限らず、芸術全般に及ぶ事だと思う。
と言いつつ、実はこの映画3回目でちんぷんかんぷんで、『旅芸人の記録』と同様に到達不可能と諦めかけていました。だから、今日は朝の3時から起きて、つまらないアニメを見た後、コーヒーを1リットル飲んでやっと見ました。達成感があります。これでタルコフスキー作品は全部見たと思います。さぁあとは『旅芸人の記録』だ。NET配信してくれないかなぁ。4Kリストアした物を。後『ヨーロッパの解放』とかも4Kリストアしてくれないかなぁ。世情も経済もそれは無理だね今は。
苦行
うろつき回って会話しているだけで、なんの話かさっぱりわからなくて、見終えてから解説で詩人の足跡を辿っていたと知ったのだが、どこがそうだったのかさっぱりわからない。唐突に焼身自殺する場面がすごかったのだが、あの人がその詩人だったのか。とにかく退屈で苦痛だった。
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