「武満徹、フリードリヒ、写真家・植田正治」ノスタルジア(1983) 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
武満徹、フリードリヒ、写真家・植田正治
タルコフスキーが、1983年作り上げた映像美の極致、キーワードは「水」か。
武満徹の作品に「ノスタルジアーアンドレイ・タルコフスキーの追憶に」がある。1986年、タルコフスキーがパリで客死して後の1987年に作曲された、武満がより聴きやすい音楽に移行してからの作品。武満はタルコフスキー映画の中ではノスタルジアが一番好きだと明言していた。この映画を観ると、逆に彼の音楽がよく判るような気がする。彼の1966年の出世作である「ノヴェンバー・ステップス」は冒頭ハープで始まるが、水を意味しているのだと思う。二人は、きっと同じ感性を共有していたに違いない。
映画を観ていたら、鳥取砂丘の連作で知られている植田正治の写真が思い出された。砂丘に家族をまるでオブジェのように配置して撮った「妻のいる砂丘風景」(III)(1950年)など、特に日本とフランスで評価が高いようだ。
タルコフスキーが、家族を背景のなかにとらえた、植田と全く同じような映像が、この映画の中で出てきた。タルコフスキーは、当時のソ連から初めて離れてイタリアでこの映画を撮影したが、幾つか忘れることのできない故郷ロシアの情景があり、それを「ノスタルジア」として画面に定着させた。武満と言い、植田と言い、私たちの血の中には、僅かだがタルコフスキーと相通ずるものがあるのだろう。それは、なぜだろうか。
最後に、20年くらい前まで、日本ではよく知られていなかった「ガスパー・ダヴィッド・フリードリヒ」の絵画を思わせる廃墟の情景の中で、主人公、アンドレイ・ゴルチャコフが出てきた。忘れることができない映画である。
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この映画のポスターに使われていた情景は、最近、日本でも人気の高いデンマークの画家「ハマスホイ」を思わせる。わたしの希望としては、フリードリヒのような情景から選んで欲しかった。このポスターが極めて魅力的であることは理解する。タルコフスキーの映像の中から切り出されたことも間違いないのだが。彼を代表する映像は、より厳しいものであって欲しいと思う。