「その生き様を詩を読み絵画でみつめるような作品」ノスタルジア(1983) humさんの映画レビュー(感想・評価)
その生き様を詩を読み絵画でみつめるような作品
霧に霞むトスカーナ
その美しい光線をエウジェニアは
モスクワに似ていると言う
それを切り捨てたアンドレイ
独り言のただならぬ嫌悪感は
白い羽を羨みながら
故郷を深くみつめている
エウジェニアは
アンドレイの虚な空気の前に佇み
ただ閉じ込められるしかない
閑散としたホテルの
慣れた部屋で
櫛にからむブロンドの毛が
アンドレイをモヤの中に押しやり
止める時間
吹き込む雨音を聞きながら
ベッドに倒れ込むアンドレイに
水の潤いが開放と後悔の狭間を行き来する
涙になって押し出される葛藤の
不快な自覚は積みあがり
床に水溜りをつくる
それを知って
寄り添いにくる犬も
うつらうつら見る夢のひとつ
女たちの視線
薄暗い部屋にみえる苦しみ
そこにも命が宿るのを知りつつ
立ち去ろうとする自分
そんなアンドレイが
世界の終末を信じ家族を7年も閉じ込め
挙げ句の果てに逃げられた男・ドメニコと出会う
その町に湧き出る硫黄の温泉につかり
狂人と呼ばれるドメニコの噂をしている人々は
〝不死〟を求めて
そして、アンドレイはドメニコと同じく
〝生き方〟をただ求めて
エウジェニアからの取材交渉を断ったドメニコが
アンドレイをあばら屋に招き入れたのは
同じものを感じる嗅覚だったのだろう
その木戸をあけると
アンドレイの脳裏にまた広がる故郷
そしてすぐに
ドメニコもエゴと引き換えに閉じ込めた苦しみに
苛まれていることを理解するのだ
1滴に1滴を加えても1滴…
語るドメニコの哲学、強さの裏側
それはアンドレイが己に対峙する時間でもあった
ドメニコは心をゆるし
自分のパンとワインを分け与え
アンドレイに世界を繋ぐための蝋燭を託す
どこか不思議な2人の会話は
内なるものに呼びかけ応じながら
行き止まりの部屋でいつのまにか消え
過去や生き方に共鳴するように
廃れかけたコンクリを雨音がたたく
不安定なようで規則的なリズムは
アンドレイに安息の微笑みをもたらした
蝋燭を託され嬉しそうなアンドレイは
最後の賭けのように彼を待っていたエウジェニアの
心情を逆撫でし
頑なさを「偽善者」だとののしられる
自由がこわい?
ー自由をしらない。
私を閉じ込め満足するあなたは退屈よ。
そう叫び去られた現実は
またアンドレイの夢を呼ぶ
霧の丘でアンドレイを待つ家族たち
怪訝と不安が混じる妻の顔
年老いた母
真っ直ぐなこどもの目
くりかえし
くりかえし
見る故郷の家族の夢を
わだかまりを捨てれず
もがく彼は
澄みきった水の中を歩きながら
足元に浮かぶ白い羽に
やはり誘われる
変わりゆく世界
文明の音
一刻一刻と
老いていく自分
そして
変わらぬ故郷を捨て
本音で生きることを
〝アンドレイ〟
と呼ぶ儚げな声を確かに聞きながら望むのだ
程なくして
ドメニコがモスクワで演説していると知り
アンドレイはついに受け継がれた蝋燭を灯す
きえる火
またきえる火
それでもまた火を灯し
胸の痛みをこらえながら
辿り着くまで歩く
〝上の空では何も起こらないよ〟
〝大切なのは、幸福になることではないよ〟
あの時立ち寄った教会でエウジェニアにそう言った
牧師の言葉が耳の奥を触れていく
〝重要なのは完成ではない 願いを継続することなのだ〟
〝自然を観察すれば人生は単純だと分かる
原点へ戻ろうではないか 単純な原点に〟
広場の観衆の前で真の自由の意味を問い
進化のために原点へ戻ろうと
ドミニコが遺したスピーチがこだまする
〝理解には境界をなくすこと、国境をなくすこと〟
アンドレイがエウジェニアに故郷を語った時の思いが沁みてくる
命をかけた2つの呻き声は大きな1滴の1つになった
アンドレイの魂は故郷にある
水面にうつる蝋燭のような光は
遥かトスカーナから届き揺らぐことはない
静寂のなか
聖母の胸から飛び立つ小鳥の羽のように
ロシアの雪が舞い落ちる
アンドレイを包むこのノスタルジアが
ドメニコにも同じように安らかにあったのだとおもう
母よ、母よ
かぜは軽いものだ
わたしが微笑めば
風もそっと動く
この作品が生まれてから時はずいぶんと流れた
しかし、あまりにも深い問題は永遠のようにあり続ける
濃すぎる霧はこの世から美しい光を遠ざけ
本質を隠してしまう
タルコフスキーは
自由な空の上から眺め
きっと今もそう憂いているのだろう