「イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を...」ノスタルジア(1983) りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を...
イタリア・トスカーナ地方で、18世紀の音楽家サスノフスキーの足跡を追っているロシアの詩人アンドレイ(オレーグ・ヤンコフスキー)。
同行するのは通訳のエウジェニア(ドミツィアーナ・ジョルダーノ)。
どうにも伝記をモノにすることのできないアンドレイに去来するのは故郷ロシアのイメージ。
そのモノクロの映像は、実際に体験したのか、それとも虚構なのかは判然としない。
ある日、温泉静養地で、周囲の人々が瘋癲と呼ぶ中年男性ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)と出逢う。
ドメニコが住まう小屋はあばら家で、雨漏りが激しく、床は水浸し。
ドメニコは、終末が真近だと感じて家族を何年も閉じこめた過去を持つ。
が、彼が言うには、まだ世界を救う術がある。
それは、水が流れる村の広場を、ろうそくの火を消さずに往復できたならば・・・ということだった
という物語で、タルコフスキーの前作『鏡』の母及び故郷のオマージュに加えて、ストルガツキー兄弟のSF小説を映画化した『ストーカー』を綯交ぜにしたような内容。
これが成功しているかどうかは観客に委ねるころになろうが、個人的には面白いのか面白くないのかよくわからない。
というのは、モノクロのオマージュ映像が、それ以外のカラー映像と差異が乏しく、『惑星ソラリス』であったような「無機質の中での郷愁」よりも、俗物的。
その分、わかりやすいようで、終盤、都市の広場で演説を打ち、焼身自殺を遂げるドメニコには驚きはあるが、どうにもそれ以上のものを感じない。
彼の演説を無言で見つめる聴衆が不気味だけれど。
ろうそくの火を消さずに水滴る広場を往復するアンドレイの姿を捉えた長い長いワンショットは、観ている側も含めて狂気じみて来る。
ま、それは、この映画から40年経ても、終末は間近いという意識が拭い去らないからなのだが。
なので、40年経て観ると、タルコフスキーの願いや祈りは届かなかったとしか思えず、どこかしら「かなえられなかった未来に対する希望を描いたSF映画」という感がしてならなかった。
あの、モノクロシーンは、郷愁ではなく、未来への希望だったのかもしれません。