ノスタルジア(1983)

ALLTIME BEST

劇場公開日:2024年1月26日

ノスタルジア(1983)

解説・あらすじ

ロシアの巨匠アンドレイ・タルコフスキーが、イタリアで撮りあげた長編劇映画第6作。自殺した音楽家の足跡をたどってイタリアを訪れたロシア人詩人の旅を圧倒的映像美で描き、1983年・第36回カンヌ国際映画祭で監督賞と国際映画批評家連盟賞、エキュメニック審査員賞を受賞した。

18世紀ロシアの音楽家パベル・サスノフスキーの足跡を追う旅を続けるロシアの詩人アンドレイは、通訳の女性エウジェニアを連れてイタリアのトスカーナ地方にやって来る。アンドレイは病に冒されており、旅は間もなく終わりを迎えようとしていた。ある朝アンドレイは、周囲から狂人扱いされている老人ドメニコと出会う。世界の終末を信じるドメニコはアンドレイに1本のロウソクを託し、その火を消さずに広場を渡るよう依頼する。

2024年1月、日本公開40周年を記念して4K修復された「ノスタルジア 4K 修復版」が公開。

1983年製作/126分/G/イタリア・ソ連合作
原題または英題:Nostalgia
配給:ザジフィルムズ
劇場公開日:2024年1月26日

その他の公開日:1984年3月31日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第36回 カンヌ国際映画祭(1983年)

受賞

コンペティション部門
国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞 アンドレイ・タルコフスキー
監督賞 アンドレイ・タルコフスキー

出品

コンペティション部門
出品作品 アンドレイ・タルコフスキー
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(C)1983 RAI-Radiotelevisione Italiana.LICENSED BY RAI COM S.p.A.-Roma-Italy, All Right Reserved.

映画レビュー

4.5 記憶の奥にある赤いノスタルジア。

2024年2月29日
PCから投稿

思い出話で申し訳ないが、この映画は30年くらい前、友だちの四畳半のアパートで友だちが持っていた擦り切れそうなVHSテープで観た。ほとんど何が映ってるか判別できず、タルコフスキーの映画なんでストーリーを追うことも至難の業だったが、奇跡にまつわる哲学的なファンタジーと捉えてやけに感動した。ノイズだらけの画面はすっかり赤っぽく変色しているが、それもまた、霞がかっった神話的な映像美を思わせて、心に焼き付いた。

で、30年を経て、4K修復版を鑑賞することができて、まあ驚いたのなんの、あまりにも鮮明になった画面はまったく赤っぽくないし、ストーリーが明確になった以外、ほとんど別物のように見えた。自分の中での神秘性は減ってしまったが、それでもやはり名作であり、さりとて自分の中ではもっと素晴らしい名作としてあの赤っぽいVHSが残っている。そんな経験も含めて映画だと思うし、誰もが心に自分バージョンを持っていていいのではないかと思う。

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共感した! 5件)
村山章

5.0 タルコフスキーのこと

2024年2月13日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

 『ノスタルジア』が日本公開されたのは1984年の春、初鑑賞から40年の時が過ぎた。再上映や特集などで何度か観ているがその回数は定かではない。母国を離れてイタリアを旅する詩人の“郷愁”をテーマにした『ノスタルジア』は、2020年公開の『サクリファイス』と共に、我が心に深く刻まれた作品だ。今回、イタリアのライシネマに保管されていたオリジナルネガと音声を基にフィルム鮮度のクオリティにレストアされた4K版を観ることができたのは至上の喜びだ。

 この作品には、一切の無駄を許さない純度の高い脚本があり、フレームに対する徹底したこだわりがあり、モノクロとカラーを使った精緻で繊細な感情表現がある。絞りによって色彩を浮き上がらせる撮影の妙、主人公の脳裏をよぎる心象風景は、完璧な配置による故郷の理想的なイメージとなって画面に映し出され、主人公の想いの深さを伝える。美術、情景、小道具、人々の動き、言葉のひとつひとつにまで、作家の強い意志が貫通している。

 1 + 1 = 1
 水滴になぞらえた自然に対峙する姿勢と思想の原理にも大きな影響を受けた。この呈示には、映画は、決して足し算では成立しないという、タルコフスキーの創作に対する原点が宿る。彼の講演を綴った「映像のポエジア:刻印された時間」(ちくま学芸文庫)に拠れば、映画監督には必然しかない。監督の前で、俳優はどこに立ち、何を見つめているのか。その時、心の奥底にはどんな想いがあるのか。映画の時間を生きる時、俳優はもはや彼でも彼女でもなく、映画の時間を生きる固有の存在としてフィルムに定着していく。幾重ものイメージがつなぎ合わされ、ひとつの物語に昇華されたときに映画が生まれる。

 その瞬間を逃すまいとする作家の妥協なき追求によって、綿密に計算された映像が形作られている。カメラアングルはもとより、フレームの中にあるすべてのファクターが、映画監督によって既に定められている。当たり前のことを実践することの苛酷。あくなき探求と思索が、結晶体のように純化した映画となって観る者を凌駕する。素朴でありながらも芳醇、匂い立つような画面には、こうでなければならないという作家の固い決意と、心を研ぎ澄ませれば感じとれるはずだという、観客への絶大な信頼に裏打ちされている。それは決して神々しいものではなく、単純な人間の生理に基づいた感覚を共有しようとする素朴な意志である。

 映画は常に開かれている。だから躊躇する必要はない。難しく考えるのもやめよう。映画館の大画面でこの類い希なる傑作『ノスタルジア』に向き合い、心が感じるがままに楽しもうではないか。

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共感した! 4件)
髙橋直樹

5.0 巡礼とも呼びたくなるほどの幻想的で荘厳なひととき

2024年1月29日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

新たに生まれ変わった4K修復版を観た。が、本当に「観た」「理解した」と言い切れるのか。その答えに窮してしまうほど、私は相変わらず本作の空気、朝靄、魂、水の滴に包まれながら目の前を過ぎ去っていった荘厳体験についてうまく言葉にすることができずにいる。83年、祖国ソ連の土をもう二度と踏まぬと決めたタルコフスキーが放った、幻想と陶酔と狂気と寂寥の映像世界。私は初鑑賞時(学生時代、VTRにて)に灯した心の蝋燭を今なお携えながらこれからも126分の永遠と一瞬の往復を何度となく繰り返すのだろう。それはある意味、人生を賭けた巡礼であり、はたまた鏡の中の己を覗き込むような所業とさえ言える。人は誰もがアンドレイとドメニコという二つの側面を抱えながら生きている。自分が冷静かあるいは気が触れているのかなんて紙一重だ。だからこそ、ただただひたすら祈り続ける。その姿や絶えざる過程にこそ、生は色濃く迸るのかもしれない。

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牛津厚信

5.0 世界の救済への祈り

2025年9月25日
PCから投稿

 私の中で唯一、死ぬまでにもう一度観ようと決めていた映画です。

 それは、当時の彼(タルコフスキー)の年齢に達したならきっと、この映画の意味が解るかもしれないとずっと思っていたからです。昔、映画館の三本立の最後に観たとき、その美しく観念的な内容に疲れも忘れ、ただそんな気持ちでスクリーンを見つめていた記憶があります。

 近年、自分なりに解禁し再び観る機会に恵まれ、今回私には、彼が決してただの耽美主義ではなく祖国を捨てる覚悟でこの作品の制作に臨んだのではと感じられ、また新たな発見がありました。

 常人には理解することのできない、ソビエト連邦という共産主義独裁国家に生まれた彼の人生を思い、私なりの解釈なのですがレビューを書かせていただこうと思います。

 タルコフスキーはイタリアで撮ったこの映画のあと、旧ソ連に帰ることを拒み亡命してしまいます。(家族は軟禁され監視下に置かれたと聞いています)

 でも、それはきっと「彼自身」というよりも、欧米に対して映像作りに後れを取っていた『彼の才能』がそうさせたのだと私は思います。(キューブリックの「2001年宇宙の旅」と彼の「惑星ソラリス」の差のように)

 結果、イタリア亡命後の彼の仕事は「映像の詩人」とよばれる彼にふさわしいものになったと強く感じます。

 作品中の霧に覆われたようなモノクローム的な映像が、当時の旧ソ連の状況を表しているかのようです。

 そしてその映像が何度もフラッシュバックするたび、残してしまう家族への彼の自責の念を痛切に感じます。通訳の女性とのやりとりも、自分は映像の自由を求めても、精神的に自由にはなってはいけないのだと言っているようです。

 そして、当時の自由を失くした圧政下の祖国に対する彼の、亡命前の絶望ともいえる気持ちが「狂人扱い」されたドメニコの言動によって(少々間の抜けた言動も、当時のソ連の権力者にわざと分からないようカモフラージュしているかのように)語られているのではと私には感じられました。

 「自分が健全(正しいの)だと言う者が世を支配している…
 しかし実際は、人類(国民)全てが崖っぷちにいて破滅に直面している・・・」

 「神は言っている。お前たちが存在するのではない。私が存在するのだ・・・」
 (特定の人間を神格化し、いいかげんなことをしている者にだまされるな・・・)

 「虫の声(=神の声)をきけ、水を(自然=神を)けがすな...道を間違えたなら原点に戻るのだ・・・」

 ドメニコが、賢帝と呼ばれたマルクス・アウレリウスの像の上でアジテーションをしたのも、世界のリーダー達へのタルコフスキーの命を懸けるほどのメッセージがきっと込められていると思います。

 一国に限らず、人類にとって希望の灯が必要になった時、その灯が消えても消えてもあきらめず復活するように、そしてその時、分断された世界の気持ちが1と1が2のままでなく1つになる時がくるように。きっとそれが、この映画を撮って数年後に、二度と祖国の土を踏むことなくソ連邦の崩壊を見ずして亡くなった彼の気持ちなのではと私は感じました。(もしかしたら彼は死期を感じていたのかもしれません)

 最後に、
 彼は亡命を決意してもなお、祖国を愛していたと思います。
 印象的なラストシーンは、肉体はイタリアにあろうとも、魂は雪の降るロシアの地にあるのだと暗示していると私は思います。

 『ノスタルジア』というこの作品名も。

 この映画は、観る人それぞれに感じ方を変えてくれる作品だと思います。
 そして私自身もまた歳月とともに感じ方も変わるかもしれません。
 いつかもう一度、その時が来たらスクリーンに足を運びたいと思います。

 その時、世界が平和でありますように...

 読んでいただきありがとうございました。
 そして皆さん、良き映画ライフを!

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AKIRA