劇場公開日 2018年7月21日

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「回想するに足りる人生が、きっと良い人生なのでしょう。」野いちご talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0回想するに足りる人生が、きっと良い人生なのでしょう。

2024年11月18日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「私たちは夫婦じゃないぞ。」
「そのことを、毎晩、神に感謝していますわ。」

人づきあいの煩わしさから、意図して社会的な孤立を選びとってきたイサク教授―。
たしかに、人づきあいを省略することで、一時的な安息を得、学究に勤(いそ)しむ時間も産み出すことができたのでしょうから、ある意味、本望だったのかも知れません。

しかし、その反面、内心では人との交際を絶つことの不安や、自らの学究の成果について、潜在意識には常に不安がつきまとい、それがイサク教授の悪夢の根源だったことは、疑いようもないことでしょう。

世上、社会的な孤独は認知症発症の重大なリスク要因ともいわれますけれども。
そして、人づきあいは、確かに「ややこやしい」という一面はありますけれども、そういう煩わしさをなんとか解決していくことが、結局は「生きる」ということにつながる
のでしょう。
人間が「社会的な動物」ともいわれる所以(ゆえん)だとも思います。

ただ、評論子は、本作のイサク教授のような生き様を、アタマから否定するものではありません。

現に、もしイサク教授がただの変わり者の偏屈に過ぎなかったとしたら、家政婦のアグダは、あんなにも献身的にはボイル教授には仕えてはいなかっただろうと思うのです。
授賞式に向かう旅の途中、ヒッチハイカーの若者を拒むふうでもなく、(うまくはいってないのかもしれないけれども、同乗を拒むわけでもないという意味では)長男の嫁とも、これと言って折り合いは悪くなさそう―。
そんなこんなの事情に照らしても、イサク教授が偏屈で、取っ付きづらい人柄と断ずる要素は見当たらないと、評論子には思われます。
(上掲の映画のことばも、冗談めかして言われているものなのですけれども、その裏には、イサク教授への畏敬の念が隠されていたと思いますし、高い業績をあげたのであろう老教授の身の回りの世話を、妻亡きあとは一身に、彼の身近で焼くことに、ある種の誇りすら持っていたのかも知れません。)

要は、自身として満足のいく、得心のいく、つまり後悔のない一生を、自分として送ってきたかという「主観的な納得」こそが、その人の人生の価値を決めるものだと思うの
で。

そして、こういうふうに回想することのできる人生というものは、若い頃の婚約者をめぐる出来事を含めて、むしろ価値の高いものなのかも知れません。それに足りるのが(その人にとっては)「良い人生」だったとも言えることでしょう。
(邦題の野いちごは、その出来事をにまつわる大切なアイテムということなのだとも思います。)

本作は、私が入っている映画サークルの「映画についての評を語る会」というような集まりで、話題にする作品として選ばれたことから鑑賞したものでしたけれども。
さすがに映画サークルのメンバーお題作品として選ぶに足りる佳作でもあったと思います。
評論子は。

(追記)
まったくの余談ですけれども。
聖名祝日のパーティの席で、アーロンおじ様が使っていた補聴器は、いいなぁと思いました。
最近とみに加齢に伴う「聞こえの悪さ」を切実に実感している評論子としては。
あの補聴器なら、電池が切れることもないでしょうから省エネでしょうし、映画館で使えば、皆の注目を集めることは必定と思います(評論子は人気者だ!)。

唯一の難が、どこで売っているか、いくらくらいで売っているかが分からないこと。
レビュアーの皆さんで、もし、どこか店頭で見かけた方がいらしたら、是非とも評論子まで御一報をお願いいたします。(薄謝進呈)

talkie