ネバダ・スミスのレビュー・感想・評価
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おなじみ、復讐譚。 当時30代のマックィーンをガキ扱いするのはやは...
おなじみ、復讐譚。 当時30代のマックィーンをガキ扱いするのはやはり違和感。しかし、この主人公の復讐法はガキよりアホです。最初のうちはそのアホさに笑えるが、いっこうに成長しないのでだんだん腹立たしくなって来る(笑) 挙げ句ラストは、「なんでやねん」あれだけ暴言浴びせられてるのに… また信仰かよ。もうええわ(笑)
かっこいいスティーブ・マックイーン
スティーブ・マックイーン演じる主人公マックスは、父母を三人組に殺される。マックスの父が金を独り占めしていると勘繰って犯した身勝手な犯行だった。マックスは無惨な死体を見て復讐を決意。死体と家を焼き払い、復讐の旅に出る。復讐劇を中心に据えながらも、その過程で国語を学び、キリスト教を学び、主人公が成長していく姿を描いている。古臭さは否めないが、いわゆるドンパチ物の西部劇とは異なる人間劇である。銃のイロハを教える銃商人が渋くてカッコいい。
両親を殺された若者が、無法者に復讐する事により いろんな人に会い人...
両親を殺された若者が、無法者に復讐する事により いろんな人に会い人として成長する話。 今の映画と違いしっかりと話を見せてくれる映画だと思う。
西部劇の標準
演出もお話も画面も全てオーソドックスで良心的。砂漠、山並み、沼地、インディアン、保安官、監獄、カウボーイ、牛の群れ、友情、裏切り、ガンさばきなどおよそ西部劇に必要な要素が全て網羅されてますので、この映画を基準にして他の西部劇を評価できると思います。
映画の見方
昨今の輩の映画の見方は、伏線の回収がどうしたとか、監督の主張がちゃんと表現されていたかどうかとか、起承転結の見事さとか様々言われるが、それは若い世代が古い映画を見る時、後世に残るような名作だけを見て、知ったふりをして、そういう名作の凄さを追い求める悪い癖だ。「ネバダスミス」映画全盛期の後世に残らない作品。そこに内容がどうしたとかを求めるのは素人の野暮というものだ。映画全盛期、映画とはこういうものだった。銀幕のスター、スティーヴマックィーンがスクリーンに映る姿のカッコ良さを、ひたすら男も女も憧れて見続ける2時間。男のかっよこさの究極。泥に濡れた体、涼しげな目つき、贅肉のない体、自分を優先しない無私の心、権力に立ち向かう姿勢、顔が小さくて腹筋が割れていて敏捷に動く。ただただ、この世に無い理想の男性像を見て、そうはなれない自分の日常を忘れる。それが映画というものだった。 インディアンの娘、年上の娼婦、田んぼの田舎の娘、15分おきにマックィーンに惚れる美しい女性が現れ、マックィーンはその娘の気持ちを知ってか知らずか別れていく。完全に男が夢想する憧れだけの世界。 早死にしたマックィーンはそういう夢だけを見せて世界中の人々の記憶に残った。ある時はカウボーイ、ある時は脱獄を繰り返す男、ある時は冷血な刑事、ある時はハングリーなギャンブラー、ある時は華麗な犯罪者、ある時は孤独なレーサー。いつも苦虫を噛み潰したような何を考えているか分からない顔で、身軽に動き、クールに決めて去っていった。 ブラピやトムクルーズだって、その美しさを見るだけの映画はさすがにないよね。 それがマックィーンが真のスターである証。深い意味は無い、ただ男として美しかっただけ。 マックィーンの映画は、たまにお酒を飲みながら、その動く姿に見とれる。そういう風に鑑賞すべき大スターです。 だから今どきの、映画の脚本や演出などを、マックィーン作品に求めて、イマイチとか言っちゃう人は、あと1500本映画を見てから言おうね、と思いました。
その名はマックス・サンド
昔の西部劇なんてドンパチやって馬に乗って走り回って悪い奴をやっつけて馬に乗って去ってゆく 子供の頃に見ていた印象なんてそんなものです ただそれだけでカッコイーって思って早撃ちのまねごとなんてやってましたよ 1966年の作品ですよ、私の生まれた年ですよ 真っ直ぐにしっかりと作品と向かい合うと西部劇ではなく人間ドラマなんですね 何も知らない青年が人に出会いしっかりと前へ進む方向を学んで行く 今、マックイーンが生きていたら90歳ですね イーストウッドさんより2ヶ月先輩なんですね って、おいっ! クリント・イーストウッドさん90歳なんですか? マジかよ〜 あらためて彼の凄さが… あっ、スティーブ・マックイーンさんの映画でした 彼の演技ってわざとらしくないっていうか普通にそこにいる人みたいな感じが好きです もっともっとたくさんの作品を見たかった 若者達にも彼の魅力を知ってもらいたいです
子どもの頃にTVで見た
惨殺された4日後に見つけた3人組は全くの別人。その後、食う物もなく放浪するマックス。やがて拳銃を売っているジョナス・コード(ブライアン・キース)に出会い、拳銃やその他男の生き方を習う。
父親の馬と首の傷だけでジェシー(マーティン・ランドー)を見つけることができた。ナイフだけで戦ったが、何とか復讐を果たすことができた。娼婦ニサ(ジャネット・マーゴリン)もマックスの母親と同じアイオワ族だとわかり、彼の傷を癒してくれた。また娼館に戻り、ジェシーの妻から仲間の名前を聞くが、その男ビル・ボウドリーは銀行強盗をやって刑務所の中だった・・・
ニューオーリンズへと渡り、自ら銀行強盗の真似をして同じ刑務所へと服役するマックス。逃亡の罪で鞭打ちの刑を受けていたの目撃し、ここで死なれると復讐にならないと思ったマックスは1人かけよりボウドリーを助けるのだった・・・所長やビッグフットから睨まれる存在となってしまったが、ボウドリーは彼を友だちのように親しく接してきた。沼地に囲まれたプリズン・キャンプ。塀はないが、まわりは方角もわからぬ沼地で、毒蛇や蚊に悩まされる地。ただ、田を耕す女たちが毎週土曜日に囚人たちの相手をしてくれる・・・そこで知り合ったピラー(プレシェット)にボートを用意してもらい、ボウドリーと共に脱走するマックスだった。ピラーは毒蛇に咬まれ、大切な案内人を失ったが、仇の1人をそこで殺す。残る1人の名前を聞き出したものの、女性を死なせてしまったことでマックスの心が揺れる。
最後の1人トム・フィンチ(マルデン)の名前を語り、またもや捕まるマックス。フィンチの名により彼を脱獄させる仲間。偽者だと気づかれ、馬に引きずらせる拷問を受けるが一人の神父によって助けられる。神父は復讐を止めるように説教する。彼もまたヨーロッパから入植したが、インディアンに両親、兄妹を殺された経緯があったのだ・・・
フィンチは、マックスがジェシーを殺し、わざわざ監獄に入ってボウドリーを殺してお尋ね者になっていたことに恐怖した。マックスの顔を覚えてはいなかったが、新たに加わったネバダ・スミスという男を疑っていた。何度か「マックス・サンド!」と呼びかけるが、知らんぷりするのが上手かったマックス。ここがジェシーと対峙したときの教訓だったのか、見事なプロットだ。そして金塊を運ぶ馬車襲撃計画の前日に偶然ジョナス・コードが彼らの中にマックスをみつけ、彼の名を呼ぶ・・・最後には見事復讐達成か?!と思われたが、手と両膝を撃っただけにとどめておいたネバダ・スミス=マックス。偽名の妙と復讐未完結という点が面白い映画だな。
憧れのマックイーン
憧れたスターを懐かしむ。冒頭の父母の死を直接見せず、怒りを押し殺す主人公に共感して展開する。このストーリ展開、ハサウェイ監督が見事。 怒り・憎しみに固まった主人公が、色々な経験を経て、人間的に大人になっていく。ラストのマックイーンが粋だったね。
16歳という設定に無理やり主演してしまうところさえ目をつむれば名作です
さすがに撮影時36歳のマックイーンが16歳の設定の主人公を演じるのは無理があります 彼も懸命に少年らしく演じようと努力していはいるのですが、無理なものは無理です しかし、お話が進むに従って主人公が成長し凄みのある復讐者になってからは16歳という設定はどこへやら、もう本来のマックイーンの映画になりす 単なる復讐譚にとどまらない深みがあります インディアンとの混血であるという設定、恩人コードや牧師との出会い この二人のそれぞれの教えがクライマックスに活かされます またインディアンの娼婦やタピオカなどの女との出会いと別れも花を添えるだけでない切なさがあります ルイジアナの沼地の囚人キャンプもサザンコンフォートの源流を彷彿とさせます とまあこのように盛りだくさんです 両親を惨殺した三人組への復讐の物語ですから、構成は、発端と一人づつの復讐で都合4部構成となります 最後のトム・フィッチが名優カール・マルデンです もう流石としか言い様のない素晴らしい演技を見せてくれます カメラも西部やルイジアナの美しい光景を感嘆する程の色彩と深みのある映像で撮っています 16歳という設定に無理やり主演してしまうところさえ目をつむれば名作です
マックィーンが渋い
親殺しに復讐する定番ストーリーだが三部構成の流れで中盤、囚人になってからの場面が西部劇っぽく無くて違うジャンルの雰囲気。 復讐心に燃える若者を演じるマックィーンだが犯人を憎む描写が薄いのと渋さ全開なので無知な若者役に違和感もあるし二人殺しといて最後の一人は殺さない中途半端な終わり方に復讐心の弱さが窺える。 無難に乗り越えて行く事柄と周りに助けられ過ぎな感じに平静とただ鑑賞。
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