尼僧物語のレビュー・感想・評価
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決意の要因は❓
外科医の父のもとで優秀な看護師として働くうちに、
アフリカのコンゴで現地の人たちの医療に携わりたいと願い、当時の手段として修道女となり派遣されて行く道を選んだガブリエル。
優しい父は、何度も念を押す。
「無理なら帰っておいで。」と。
妹や弟とも別れなければならない。
厳しい戒律が待っていた。
夜の礼拝から朝の礼拝まで完全沈黙。
修道女同士仕事以外の会話をしてはいけないし、
必要な言葉も身振りでの意思伝達にする。
食事以外水を飲んではいけない。
謙譲従順でなければならない。
それを達成できたからといって、
自尊心を持ってはいけない。
破れば、ノートに書き、皆の前で、懺悔しなければならない。
修道院の厳しい戒律の生活を過ごし、修道女シスター•ルークとなり、やっとコンゴに赴任できた。
一人しかいない医師のもと主に手術の助手を務めたが、希望ではなく白人の病院勤務だった。
親身な治療や看護は人々から支持された。
合間を縫ってハンセン氏病などの病原菌も調べていた。
が、無理が祟り結核にかかり療養することに。
元気になって勤務するある日、
呪術師の言葉により白人を殺しに来た現地人に
仲の良いシスターが撲殺される事件が起こった。
現地人看護師は、
「怒ってないのですか?俺たちだったら、
魚の餌にする。」と信じられないように言う。
ガブリエルは、「怒ってないわ。神は赦すわ。」
怪我をした神父の付き添いでベルギーに戻ることになったガブリエルの乗る車両には、
花🌸花🌼花💐花🌹はな🌻花🌺花🌷で埋め尽くされていた。住民からの感謝の表れであった。😢
神父や院長がなかなかコンゴに返してくれない。
そんな中、戦争勃発、ドイツ軍によりベルギー制圧のニュース。方々で爆撃の轟音が鳴り響く中での診療。
地下組織と連絡を取るシスター志望のナースに便宜を図る過程で、一通の手紙を受け取る。
弟ピーターからで、
非難民を診察中の父が機銃掃射で亡くなった、と。
ガブリエルの頭にも心にも決断が。
父を殺した敵を許せない❗️
敵を憎むことしかできない❗️
戒律を守ることは不可能になったのだ。
そして、修道院を去る。
大変厳しい戒律の修道院。他にコンゴなどで看護師としての仕事をする道は無かったのか、と。優しいお父さんに会えなかったのは大変辛いことだと思います。やっと決断❗️して良かった
ガブリエルはその後どう生きるのでしょうか。
第二次世界大戦と言えば、オードリーご自身、大変苦労なさっておられます。オーバーラップする箇所もあったかも。
葛藤するヘップバーン
主人公の少女は、憧れのマザー・テレサのようにアフリカのコンゴで看護婦として現地の人々に尽くすことを夢見、そのために父の反対を押し切ってキリスト教の修道院に入る。
修道院では神の下僕になるべく、徹底的に自己を捨て、他を利することを教えられる。(このくだりが厳しすぎて目がテンなってしまった。永平寺より厳しい。知らんけどw。)
生真面目な主人公は周囲も心配するほど必死で教えを守るが、大戦が始まり、愛する父が、負傷者の手当てをしている時にナチス兵に撃たれて亡くなったことを知ると、敵側への憎しみを抑えることができなくなり、修道院を出る。
可憐なヘップバーンが心に深い葛藤を抱えていくのが哀れを誘う。
内なる沈黙
オードリーヘップバーン扮するガブリエルバンダマルは、コンゴへ行きたいと希望して修道女になろうと父親と家を出た。
娘が希望すれば親としては望みをかなえてやりたいと思えど、それが厳しい生活を強いられる修道女とはたまらんだろうね。大切なのは内なる沈黙。沈黙を極めてこそ神との対話が可能だと言う。日々休みなく戒律を守り不完全な自己を磨き生涯従順を貫くなんて凄いね。改めて宗教の力は強い。落第する事すら献上の美徳の様だ。自尊心を現してはいけないってなんか酷いよね。
この時オードリーは30歳かな。修道女姿も素敵だね。
6000人位の子供が教育の元、殺されている。
教会運営の寄宿学校が、カナダ政府の同化政策に協力し、先住民(ネイティブアメリカン)の子供を強制的に移住層させ、そこで虐待していた。と言う事実が報じられ、ローマ法王が謝罪の旅をしているとの事。6000人位の子供が教育の元、殺されている。勿論、尼僧ばかりではないだろうが、同化政策なんてそんなもの。日本でも同じ事をやっているが、宮司がお詫びの旅に出たと言う話は聞かない。
この尼僧の訪れるコンゴは当時ベルギー領で同化政策は必須だった。ましてや、第二次世界大戦が開戦間近。
まぁ、彼女は最初から看護師になれば良いのにと、ガキ(中2)頃思ったが、彼女を『すごいな』と思ったのを覚えている。最後が第三の男のリバースだなぁ。と感動した。
内容は兎も角、傑作にしないわけにはいかない。ガキの僕が泣けたのだから。ここのオードリ・ヘップバーンが一番キレイだが、薄化粧だからだろうな。
脱・尼僧物語だったが…
「山河遙かなり」「地上より永遠に」に続いて
観たが、この映画は
フレッド・ジンネマン監督作品としては
初鑑賞。
長い作品だったが、
服従が絶対とか、
過去を棄てさせるとか、
そんな教義が
今でも生きているのだろうかと考えたり、
そもそも男女同権の現代でも
このような修道院はまだ存在するのだろうか
とか、疑問を持ちながらだったので、
一応集中を切らさず鑑賞はしたものの、
約2時間半の上映時間の
特に前半のほとんどが、
修道女の厳しい戒律の世界が
描かれ続けたのにはさすがに閉口した。
ジンネマン監督はこの作品で
何を描きたかったのか。
閉ざされた修道院の非人間的環境なのか、
植民地における支配国民と被支配国民の
格差だったのか。
しかし、徐々に主人公の
信仰と看護の間での葛藤色が強くなり、
終いには世俗的な医師の影響もあって、
最終的に、脱・尼僧の決断を下す。
ナチスによるベルギー侵攻や
父の死を前提とすると、
レジスタンスの看護スタッフとして
信仰よりも大切なことを見出す一人の女性の
生き様を描いた作品なのだろう。
しかし、全体としては切れ味の悪い
冗長なイメージで、長い割には、
先にコンゴに行った同僚との再会や、
彼女の本質を見抜いたコンゴの医師の元に
戻りたいとの想いをどうしたのか、
との描写が無く、
「地上より永遠に」で見せた
各要素を上手く絡ませる構成が欠けており、
重層感が不足してしまった印象だった。
ところで、晩年はユネスコの特使として
活躍したヘップバーンだが、
この作品での経験が大きかったのだろうか。
それにしても、
こんなに笑顔のほぼ無いヘップバーンの
映画もほとんど無かったように思うのだが。
さて、
修道院の戒律が前面に出たこの手の作品は
私にとって苦手の部類だろうが、
たまたま一つ前に観た同じジンネマン監督の
「地上より永遠に」でのデボラ・カーが主演の
「黒水仙」という作品もあるし、
「尼僧ヨアンナ」という
名高いポーランド映画もあり、
観るか観ないか迷ってしまった。
心が洗われる映画、 ルークは、マザーテレサのような、崇高な感じ
1959年製作でカラー映画と言うのは、素晴らしい
当時の、コンゴ民主共和国の映像が、カラーで観れたので良かった
→ 村落・住民・ジャングル等
45分迄は、私語禁止・外出禁止等の厳しい戒律の中で、尼僧になるための研修
46~66分=ベルギー国内で、尼僧だが看護婦としての初期インターン
67~120分=コンゴで、尼僧、兼、看護婦として素晴らしい活躍
121~135分=ベルギーに帰国し、尼僧として生活
136~150分=父が殺されたため、ドイツを恨み、尼僧を辞める話
正直、135分迄は、ルーク(オードリー・ヘップバーン)の禁欲的な生活、
仲間の尼僧が殺されても、人を恨まない言動は、マザーテレサを感じた
とても、感激しながら観ていた
→ マザーテレサ(1910.8~1997.9:87才)修道女
1948年:院外活動開始、 1979年:ノーベル平和賞、他
それが、135分、「父がドイツ兵に殺された」と知り、
自分の心を騙し続けることは出来ないとして、尼僧を辞めた
→ 世俗臭・イデオロギーが感じられて、少しがっかり
それ以外は、心が洗われる、とても良い映画だった
オードリー作品の中でも一番の力作かな
ブレッド・ジンネマンらしい重厚な演出。それに応えたオードリーの熱演。演技的にはオードリー作品中一番かも。最後、尼僧の衣装を脱いでレジスタンスに加わる道を選んだヒロインに大いに共感したのかも知れない。
崇高な目的をもって生きる女性
総合80点 ( ストーリー:80点|キャスト:80点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
尼さんといえば、厳格で禁欲的で慎ましい生活をしているという印象で、とかく堅苦しい。そのような主題の映画だということで、これはもしかすると観ていてかなり暇をもてあそぶのではないかと危惧したが、とりあえずオードリー出演作ということで観てみた。しかし実際はそんな心配も無用だった。
確かに修道院での生活は厳しい。私語すら許されず、常に修行と自己反省の日々で研鑽を積むだけの日々を、記録映像に近い演出で描いていく。だがそれは退屈なものではなく、コンゴで人道的支援のために尽くすという強い意志をもって修道院に入りながらも、厳しい生活に戸惑い、それでも目的のために敬虔でありながら質素な毎日に耐え忍ぶ姿は興味深かった。
彼女の生き方はマザー・テレサを思い起こさせる。仏教の修行ならばまだ多少の知識はあるものの、俗世に住んでいるとこのような生活にどうしても疎いので、修道院を描いた前半は新鮮な経験だった。
修道院を出てからの病棟勤務とコンゴでの支援活動と、実務に移っても彼女の献身は続く。だがコンゴの様子はあっさりと表面的なことを取り上げていただけなので、ここは激務の様子や環境のことをもっと生々しく現実的に映してもいいのではないかと思う。病気で苦しむ人々のことも休むことなく続く支援のことも、直接的な表現が無くて説明的な科白だけで済まされてしまっている。これではそこで生活をしながら毎日の支援活動をしているというよりも、数日間の視察に来ましたくらいの捉え方のようだった。
そして自分のしたい人道支援と敬虔さの狭間に揺れる彼女の決断が、このような道を選んだ一人の女性の生き方を、真摯に映し出していた。主人公の崇高な目的と生き様を観て、今後さらに彼女の歩む厳しい道を想像し、またそれが悲惨な結末になるかもしれないと思いながらも、何となく彼女の下した決断に納得させられる。
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