嘆きの天使(1930)のレビュー・感想・評価
全2件を表示
ディートリヒの退廃的な魅力と名優エミール・ヤニングスの圧倒的な演技の表現力
名匠ジョセフ・フォン・スタンバーグが「モロッコ」の前に監督したドイツ・トーキー映画の最も初期の作品。ドイツの映画会社ウーファの大プロデューサー・エリヒ・ポマー(「アスファルト」「会議は踊る」)に抜擢されて渡独したという。主演はF・W・ムルナウの「最後の人」などで既に世界的名声を得ていた名優エミール・ヤニングスが務め、相手役にはベルリンの舞台に出演していたマレーネ・ディートリヒがキャスティングされました。ディートリヒはこの時、結婚出産を経験した29歳の女優兼歌手として活躍していたものの、無名に近かったようです。しかし、このドイツ映画の大作が公開されてから、スタンバーグ監督とディートリヒの運命は大きく変わることになりました。
題材は、ギムナジウム(中高一貫校)教授である実直で厳格なイマヌエル・ラート博士が、悪ガキ学生が通い詰めるナイトクラブの歌手ローラ・ローラの色香の魅力に取りつかれて我を忘れ夢中になり、終いにはそれまで築いた地位も名誉も自尊心も失う人生流転の転落劇と言えるでしょう。冒頭では、起床から出勤までのルーティンワークが描かれ、教壇に座ってからの鼻をかむ仕草まで決められた手順を繰り返します。身体は貫禄と威厳をそのまま現した巨漢で、口ひげと顎髭を揃えメガネをかけた風貌は知性と頑固さを窺わせます。ただ一つ変わったことは、鳥かごで飼う小鳥が死んで、さえずりが聴こえない出来事があり不安を誘います。エミール・ヤニングスの名優の名に恥じない安定した表現力に感心して観ていると、ナイトクラブの舞台に下着姿で歌うマレーネ・ディートリの退廃的な魅力、そして百万ドルの脚線美がセールスポイントになったのを証明する細く奇麗な脚を強調した仕草が見所になります。興味深いのは、ナイトクラブもしくはキャバレーと説明されるものが、小さい舞台がある芝居小屋のようで、楽屋も幾つか備えていること。この狭い空間の中の人物の動きが面白く、またカメラワークが的確に表現しています。それも座長兼手品師のキーパートや、ローラ・ローラに言い寄りラート博士の怒りを買うコンラッド号の船長も、ラート博士に負けない巨体の体格をしています。舞台では歌手を囲むように半円形に座る踊り子たちも、どちらかと云えば豊満な肢体をしている。ひとり細身のローラ・ローラが引き立つように考慮した人物配置です。またその踊り子や歌手たちが当然のように上演中にビールを飲んでいるのが驚きでした。この1930年頃の時代の数少ない大衆娯楽の様子を知る上で、とても参考になる舞台シーンが記録されています。
しかし、この背景の面白さとディートリヒの魅力以上に感心したのは、後半の展開にあるラート博士の落ちぶれた姿から精神に異常をきたす内面描写の凄みをみせたヤニングスの演技でした。道化師の化粧を自らするシーンから、故郷に錦を飾ると真逆の嘲笑される舞台で演じる鶏の鳴き声で発狂し、そしてラストシーンの教壇で硬直する姿までが、迫真の演技で釘付けにします。嗚咽のような声で博士の心の叫びを表現した、この演出こそトーキー映画の特質を生かした新しい技法であったのでしょう。最初のタイトバックは音楽だけで始まり、教室の窓を開ければ、外から若い女性たちの歌声が爽やかに聞こえてくる。楽屋のドアの開け閉めで、舞台の音楽が聴こえたり静かになったりと、細かい配慮がなされています。そんな音に拘り工夫した演出を感じるのも、この映画の楽しみ方です。家政婦が死んだ小鳥を無慈悲にストーブの火の中に入れて、初めてローラ・ローラと夜を共にした朝食シーンでは、小鳥のさえずりが聞こえる。この小鳥のさえずりが唯一の気休めだったラート博士は、ローラ・ローラが歌う恋の歌に酔いしれるのに変わり、仕事を失い貯えを使い果たし、最後は芸人となり雄鶏が無く芸を仕込まれる。嗚咽するところの何と残酷で厳しい演出と演技であろう。「最後の人」で初めて知ったヤニングスの、舞台やサイレント映画で培ってきた演技力に感服しました。
ディートリヒは、まだスターの輝きは無いものの、洗練されていない素朴な魅力に溢れています。それが同年にハリウッドに引き抜かれたパラマウント映画の「モロッコ」では、ゲーリー・クーパーより扱いが上になります。アメリカ映画界でもっとも都会的なセンスのお洒落な作品を制作していたパラマウントが、ディートリヒの美しさと個性を磨きました。「モロッコ」「間諜X27」「上海特急」のディートリヒと比較して観てみるのも、面白いと思います。
女性の色香の虜になって自滅する男の話では、サマセット・モーム原作、ルイス・マイルストン監督の「雨」(1932年)が思い出されます。こちらは牧師が主人公で、威厳のある地位の高い職業が共通します。この時代では、教訓劇として珍しくない題材でありました。
また、この映画に関わった俳優の経歴を調べてみると、結果論だが偶然にしても映画の内容と一致していて、創作と現実が絡み合い不思議な想いになります。アカデミー賞の第一回の主演男優賞を受賞したエミール・ヤニングスは、英語の発音にドイツなまりがありトーキーなってドイツに帰り、この映画が最大のヒット作となりました。劇中では英語教師役で生徒に『ハムレット』の有名な台詞の発音を叱責しているのが可笑しいですね。しかし、その後ナチスの熱烈な支持者となり、連合軍のブラックリストに載ったという。晩年の戦後はその為かつての名優としての活躍は無かったようです。ディートリヒは暫く映画で主演を続け、戦中は有名な(リリー・マルレーン)を歌う慰問活動でフランスまで行き、その後は歌手でも俳優でも名声を維持します。後半にローラ・ローラの浮気相手として登場する座長マゼッパを演じたハンス・アルバースという人は、ドイツで最も人気を博した俳優兼歌手で有名だそうです。そして、監督のスタンバーグは、この映画の5年後にディートリヒとの公私の関係を解消してから作品に恵まれず、1950年代初めにハリウッドで会った淀川長治さんの印象では、名監督の威厳は感じなかったと述べています。ローラ・ローラもディートリヒも、出会った男たちの運命には大きな差があるのです。ディートリヒ自身が、ファム・ファタール(運命の女)の資質をもった女性であり、色々な男性を虜にした魅力を永く持ち続けたと言えるでしょう。
最後に役名のローラ・ローラについて、このリフレインには何か意味があるのか、劇中からは分からず仕舞いでした。2005年のイギリス映画「キンキー・ブーツ」のドラァグ・クィーンのローラの名前は、この「嘆きの天使」から来ているのだろうか。当時ディートリヒの歌う姿が衝撃的であったのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「地獄に堕ちた勇者ども」で、ヘルムート・バーガーがローラ・ローラの下着姿を真似て登場するシーンで偲ばれます。
水商売の女に惚れるな!
コミカルな中にも教授の一途な想いが伝わってくる。50過ぎまでずっと独身を通していた教授はお世辞にもいい男とは言えないが、学校をくびになり、思い立ってローラにプロポーズして彼女は見事に受け入れた。旅の一座と行動を共にするようになったが、すでにヒモ生活をするようになったラート。ようやくピエロとして舞台に立つ決心をするが、次の目的地は故郷の“嘆きの天使”だった・・・
退廃的な魅力満載のナイトクラブ。舞台裏でのやりとりが多かったが、表舞台での魅力もたっぷり。真面目一筋だった男の末路は見事に表現されているのだ。結婚できたのはいいけど、まるで彼女の奴隷。愛するがゆえに嫉妬心も激しい。再起をかけてピエロとなる道を選んだのに、ローラを口説く男が現れたため気が気でならない。そして生徒たちが多数観客としてあふれているクラブで、仁王立ちになったラート元教授。手品師の助手としてだったが、とても楽しめるものではない。舞台裏へと暴れはじめたラートだったが、やがて放浪の末、元いた学校へと向かい教壇に突っ伏して死んでしまう・・・
恋多き女の歌が彼女の人生を表していて、まじめな男が水商売の女に惚れるなよ!という教訓でもあるかもしれない。虚しい・・・
全2件を表示