冬冬(トントン)の夏休みのレビュー・感想・評価
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まるで昔の日本のよう
まるで1970年代の日本の田舎のような風景にノスタルジーを感じてしまう癒し系の映画だ。外の風景だけでなく、主人公の少年が夏休み中に住む祖父の家も日本家屋そのものだ。
肝心のストーリーはまとまりのないちぐはぐ感は否めない。環境映画のようでもあるが、事件は色々と起こる。ただ、結局は何事もなかったように過ぎ去ってしまうので、やや肩透かし感もあるが、あえてドラマチックな展開を避けたのかもしれない。主人公の母親が死ななかったのも、妹が列車にひかれなかったのも、親しくなった田舎の子供が川で溺れなかったのも、その表れだったのかもしれない。
主人公の少年が地元の少年たちと仲良くなるエピソードは面白いが、地元の少年たちの顔のアップが余りないせいか、主人公との親密感がイマイチ感じられない。
また、主人公の妹がかわいそうだ。少年たちの仲間に入れてもらえず、最後は慕っていた冬子に呼びかけても無視されてしまった(聞こえなかったか?)。
【”夕焼け小焼け” 台湾と日本の昭和の少年の夏休みは、似ていたのかな・・】
これは素晴らしいですね
侯孝賢の映画を初めて見た。
子供が主人公だから私の嫌いなファミリードラマとは思ったけど、それほどファミリードラマではなかった。はじめのうち、これは学園祭で見る学生が作った映画と同じ雰囲気でアマチュアチックだなと思った。そしてストーリーも本当にアマチュアライターが書くような感じの素朴なエピソードの積み重ねで。しかしそれが 何か別なことも積み重ねていたようで最後にはとても感動した。単に小さなトーリーの積み重ねで終わるのではなくクライマックスにそれなりに大きなストーリーが入っているのでこれだけ脚本として成功しているのだと思う。お兄ちゃんのエピソードと妹のエピソードのバランスも良かったな。全体に登場人物たちのエピソードのバランスが良かったと思う。そしてファミリードラマファミリードラマしないように工夫がなされていたと思う。親子が直接会話するという場面がとても少ないとか。この映画は作家の魂が入っていて作家としての本質的なメッセージが全て詰まっていると思った。
そしてそのメッセージや全体ストーリー構成が宮崎駿のとなりのトトロにとても似ていると思った。ついでに言うと紅の豚も同じストーリー構成となっている。気になったので調べてみたら冬冬の方がトトロよりも4年も早かった。侯孝賢、えらい。これを見たおかげでトトロの評価が10%~20%ほど下がったな。冬冬が有名な映画だけに。
写真的には古いフィルムカメラの良さがとても出ていて味わいのあるいい映像が撮れてたと思う。またその写真とカメラワークがとても合っていた。
映画監督よ映画はフィルムカメラで撮ってくれ。
当時は当たり前だったことも。
16歳以上22歳以下に
夏休みといえば「冬冬」である。そこで、これまた二十数年ぶりに見た。前回が映画館だったかテレビだったかも思い出せない。そしてまた記憶も断片的だ。いつだってそうだ。
学生の自分と中年の自分とでは、作品を見た感想も違う。おじいさんの諦念は、子どもを持ったいまの自分には即共感だし、津久井やまゆり園の事件の後では、障がいのある人と世間について考える。
まあそれ以上に、汽車の単線が通る山あいの農村小都市の夏の光景、稲穂実る田んぼ、川の流れ、雨、蝉、鳥、バイク、爆竹の音。エドワード・ヤンも影響を受けたんだろうな、きっと。
この作品は16歳以上22歳以内に見るべき映画だな。そんなことを、電車内で「ウザイ」「キモイ」「ヤバイ」を連発する若い女性の横で考えた。おしゃべりは続いている。
幼少期にこんな夏休みを体験したら、今どうなっていただろう。
「特に凄い波乱の展開が起きるわけでもないだろう。平凡でちょっと何かが起きる映画だろう。」という印象のもと鑑賞。
逆に退屈にならないのかな…と思うものの、デジタルリマスター上映するくらいだからそこそこ面白いんだろうなとも思いながらやや期待。
そんな中で観た『冬冬の夏休み』は、いい意味で裏切るものの妙なリアルさを兼ね揃えていて、1980年代の台湾もちょっと垣間見れた。
大人になってから観るこの映画は、他国の子供の夏休みを覗いているようで、新鮮でもありどこか懐かしい。
退屈にはならない日常を切り取った映画。
でもところどころ非日常が散りばめられている。
子供の純粋さ、男女兄弟あるある、威厳ある父の登場等、一見ありきたりだけど飽きない映画。
個人的には冬冬の妹が知り合いのお子さんに似ていて、妙に感情移入して観てしまった。
日本版でリメイクしたら、やっぱり井上陽水の『少年時代』が当てはまりそうな映画。
台湾版「北の国から」
映画は、小学校の卒業式の場面で始まる。いきなり「仰げば尊し」が流れて来る。{そうか、日本の統治時代が長かったからかな}と勝手に納得。
さらに、卒業式の場面だけど皆半袖である。{そうか、台湾は亜熱帯にあるからな}と、また一人で納得する。
作中、田圃が一度稲刈り後の風景になるのだが、少し時間が経ったはずの次の場面でまた田植え後になる。{そうか、二期作だからな}と、いちいち注釈を自分でつけながら観る。
画面からは蝉の声や鳥の声が絶えない。いつも列車が走っている。
日本で言えば昭和40年代後半ごろの感じを想起させる情景だ。懐かしい。
エンディングで流れる曲は、童謡「赤とんぼ」のメロディである。彼の地の人々にとって、日本の唱歌や童謡がどんなふうに受け止められているのか、とても興味を抱かせる。
【余談】
主人公冬冬(トントン)の妹は、お笑いコンビ中川家の礼二に似てる。
『ぼくの夏休み』。
強烈なノスタルジーで、上映中終止涙が流れ続けた一本。
1984年の作品、当然ヨーヨーチャンピオンとイーグルサムに夢中だった自分がオンタイムで観た訳は無いのだが…
「あの日、あの時、あの空気、そしてあの時代」がここにあった。
「ハーフパンツ」じゃなくて「半ズボン」、雑で乱暴だけどたくましかった時代。
作品自体の持つ魅力、メッセージは色褪せる事は無いけれど。
今は失ったものが沢山スクリーンに映し出されていた。
嗚呼、せみの声がいつの間にかうるさく感じるようになってしまっていた自分・・・
冬冬がちょうど自分と大きく変わらない世代だというのも、また凶悪。
冬冬役の方も、妹役の方も、今は結婚して子供を持って、いわゆる生き物としての普通の暮らしをしているのだろうな。
あの田園風景とは無縁のところで。
それを思うと劇中のハンズに、涙が止まらなくなるのだよ・・・
「大人になる」ということがどういうことなのか、この歳で改めて思わされた作品。
ラストシーン
夏休みが終わり、トンローから台北へ。兄弟を乗せたセダンが走り去るエンディング。そのままエンドロール。全てがワンシーンのロングショット。まるで自分がその場に入り込んだように自然。ミニシアターに完璧。
懐かしさと幸福に満ちている
侯孝賢の映画にはよく鉄道が出てくる。本作もまた、鉄道での移動が欠かすことの出来ないシナリオとなっている。
母親が入院をするために、面倒を見る者のいない小学生の兄妹は、夏休み祖父の家で過ごすことになる。子供だけの長旅は不安であるため、若い叔父とその恋人が台北から故郷へ帰るタイミングに合わせて、彼らと一緒に列車で祖父の住む町へと向かうのだった。
列車に乗るや、新しく買い求めた服へ着替えることで頭が一杯の恋人。その恋人の些末なわがままに振り回される叔父。この二人が幼い子供を引率する責任を全うする若者ではないことが、旅が始まると同時に観客に知れる。
そのような未熟な若者をよそに、主人公のトントンは妹の面倒を見てやる。さらにトントンは、途中駅で列車に乗り遅れるという叔父の失態が、祖父に知れることのないように慮るという、思慮の深さを見せる。
さて、不思議なことに、トントンたち兄妹が台北に帰るとき、列車ではなく父親が運転してきた自動車に乗っていくのだ。
母親の容態も安定し、夏休みも終わり近くになったので台北へ帰る話しになるのだが、はじめはあの頼りない叔父が再び列車で二人を連れていくことになる。
だが、いよいよトントンたちが祖父の家を出発する日、彼らの父親が自動車で迎えに来ている。
映画の中では、台北へ戻る手段が変更された理由についての説明はないように思う。
ただ、父親が迎えに来なければ、トントンがこの夏出会った人々を知ることにはならない。ほんの一瞥程度でも、その人々との邂逅を通して彼が洞察しているのは、自分の息子がひと夏に様々な幸福な出会いを経験してきたということである。
この経験をしたトントン本人と同じくらいに、この父親もまた、幸せを感じているのではないだろうか。
この幸福な父親への眼差しを映画の最後にもってきたかったために、叔父が列車で連れ帰るシナリオを変更したのだろうか?
そのために不自然なシークエンスの繋がりになっていたとしても、その綻びを補って余りある幸福感に包まれた。
唯一無二。
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