囚われの美女のレビュー・感想・評価
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事実は一つだが、真実は見た人の数だけある
ロブ=グリエって監督もしてたとは知らなんだ。
『去年、マリエンバートで』に続いて、彼に関連する作品を見たのは2本目。
「事実は一つ、しかし真実は見た人の数だけある」とでもいうべき方法論は別に面白くもおかしくもないのだが、『マリエンバート』はアラン・レネの美学でリリシズムと不気味さの混交した不可思議な映画になっていた。
ところが本作のように貧弱な映像で、あの方法論をマグリットの騙し絵的な絵画にはめ込んでやられては、さすがに「眠るな」という方が無理だろう。
知的好奇心の旺盛な方はご覧ください。小生はちょっと…w
☆☆☆★★ 私は映画の中で使われるスクリーンプロセスの場面が好きだ...
☆☆☆★★
私は映画の中で使われるスクリーンプロセスの場面が好きだ。
映画にアクセントが出るだけでなく。作り手の苦労や、そのシーンから活動屋魂が垣間見れるからだ。
だが、若い映画ファンにはスクリーンプロセスは馬鹿にされがちで。今ではあまり使用されないのもあってか?たまに「ロケする金も無いのかよ!」…とのレビューを見掛ける事が有る。
本当はロケするより、数倍の手間暇を掛けているのに…。
この作品のファーストシーンは、謎の美女が乗るオートバイのスクリーンプロセス。
以後、このショットが何度も登場し、観客に謎を突き付ける。
場末のバーなのか?違う美女と眼が合う男。女の挑発に乗ってしまう。
この時の女の登場の場面で一瞬。『バンドワゴン』のセクシーダイナマイトこと、シド・チャリースへのオマージュを勝手に感じてしまう。この時の舞台設定等も含めて。
やがて始まる謎の女。謎の組織。そして謎の美女の肢体を巡る話。
ある屋敷に到着するが。ここから先は、この監督独特の世界観が延々と続いて行く。
まるで吸血鬼に噛まれたかの様な首筋の傷や、絶えず登場する美女の倒錯的なショットに、砂浜の赤い幕の前で繰り返される謎の寸劇?等。
最早、意味を理解しようとすると訳が分からなくなるのを理解し。ひたすら身を任せての鑑賞こそが望ましいからこそ、何とか楽しく観てはいられる…と言ったところか(何だそれ)
終盤の砂浜の場面。毎度お馴染みの様に登場する、ナチ党を想像させる組織に捕まる男。
『時計じかけのオレンジ』のアレックスを彷彿とさせる人体実験の姿。謎の組織は、ビデオ(当時としては最先端の技術と言える。)を駆使して男の脳内の記憶を盗もうとする。
思えば、この作品と。ダグラス・トランブルが『ブレインストーム』を製作したのが同じ年なのは、単なる偶然とすると出来過ぎとしか思えない。
クリストファー・ノーランが『インセプション』を製作する27年も前なのか〜!
尤も、映画史的には。他人の脳内の記憶を盗む…って発想の作品は、それ以前にも有ったのでしょうけど。(ちなみに、『瞳の中の訪問者』はこの作品よりも6年前で。手塚治虫によるアイデアは更に前)
映画の中で横たわる美女の肢体。
道端で、砂浜で、ベッドの中で。
そして最後も!
男の前に立ちはだかる謎の組織。謎の美女!
この謎の美女の謎かけで映画は締められる。
あんた◯神だったん?
以上、またしても適当に解釈したレビューとなっております。
2019年2月22日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
ウォッカにトマトジュース=ブラッディマリー
勿論、監督は初めましてだし、フランス映画自体それ程鑑賞経験はないけど、今作のアバンギャルドさ、しかしきちっと収斂される物語性はわざわざ東京迄観に行った甲斐を強く感じさせられた。多分、今作の成分が沢山『世にも奇妙な物語』に影響を与えている筈な作りである。そして何よりも女優陣の美しさ、素敵な裸体、堂々とした演技力に目を奪われたりもする。
日本の作家だと、江戸川乱歩に通ずる倒錯の世界観を存分に醸し出している。
勉強無しで初見で鑑賞したのだが、ストーリーの冒頭は丸っきり想像が出来ない展開である。段々と進むにつれ、監督の催眠術に掛かるかの如く、どんどんと深い霧の中に誘われる。繰り返し流される同じようなシチュエーションと、色々な小道具。頭がクラクラしてくるのがはっきりと自覚できる同一シーンの使い回しと、これでもかの繰り返される砂や靴、そして血糊等のメタファーだ。その女はサキュバスなのか、それとも幽霊なのか。そもそも今の主人公は夢の中なのか、それとも現実か。その虚と実の移ろい、曖昧さにやられてしまう。夢を観る機械も、昔のフランケンシュタイン的レトロフューチャーなイメージで、益々サスペンスフルな仕上がりに一役買っている。マグリットの“美しい囚人”がモチーフになっているとはっきりわかる程、作品中に登場されるので正にシュールレアリズムを映画にしたらこういうことなんだろうと、難しくは感じない万人に理解出来るのではないだろうか。“夢オチ”とみせかけて、でもそれもまた夢か現実か、永遠に続く頭がクラクラする脳内ゲシュタルト崩壊的作品である。劇伴である、タンゴやクラシックも、上品と下品さを併せ持つ境界線ギリギリの危うさを演出している。ストーリー、俳優、そしてループの多用編集と、高度に洗練された実力がないと生まれないであろう、秀逸な作品であった。
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