「コッポラ監督のテーマ「愛」」ドラキュラ(1992) R41さんの映画レビュー(感想・評価)
コッポラ監督のテーマ「愛」
ゴシック世界の映像美、豪華キャスト、怪物の表現… どこをとっても完璧だ。
コッポラ監督が手掛けたモンスター作品にあるテーマは「愛」
愛という言葉は、我々日本人には多少難しい。
かつて歌手たちが使っていた愛という言葉はパートナーに対する想いという限定的な表現だったからだ。
親の決めたいいなずけが当然のごとくあった昨今の日本、若者たちは学生運動が広がるように自由恋愛を求め始めた。愛という言葉は日本人にとっては後付けだ。
この作品に描かれる愛は、ドラキュラ公による強い思い込みが転じ、愛とは真逆の位置に立つことで彼自身を貶めることになる。
敬虔なクリスチャンだったドラキュラ公は、劣勢となった戦局を一転すべく自ら先頭に立って軍を指揮する決断をした。
彼の目論見は成功し、軍は劣勢から優勢になった。しかし、ドラキュラ公に対する心理作戦を展開した敵軍は嘘の書簡をお妃あてに送還する。「ドラキュラ公は戦死した」
これによって妃は自害し、それを知ったドラキュラ公は神に対し全身全霊で呪いの言葉を言う。作品では彼の要望を神が叶えたことになる。これがモンスター誕生となる。
コッポラ監督は「怪物が先ではない、愛が先にあった」ことを示唆している。
人間的な二元性コントラストによって、神を信じていれば救われるという勝手な思い込みによって起きた真逆の出来事が、人間を怪物に変えたのだ。
そしてその怪物さえも最期は神の愛によって救われる。
この世界は二元性のコントラストという機軸に立つ。
ここがもし光だけ、つまり愛だけの世界なら、どうやって愛を感じることができるのだろう? そう問いかけるコッポラ監督の声が聞こえてくるようだ。
私が何者であるかを理解すれば、少しは謎が解けるだろう
私は神である 私は女神である 私は至高の存在である
私は存在する全てである 始まりであり終わりである
アルファでありオメガである 私は太陽であり物質である
問いであり答えである 上昇であり下降である 左であり右
現在であり過去、未来である
私は光であり、光を創造し光を可能にする闇である
私は限りない善であり、善たらしめる悪である
私はその全てであり、存在する全てである
そして私は自分のすべてを経験せずに一部だけを経験することは出来ない
そこがあなた(ドラキュラ公)にはわからない
あなたは私をひとつに決めたがり、別のものではないと思う
高いのであって低くない 善であって悪でないと
しかし私の半分を否定すれば、あなたの半分をも否定することになる
それでは決して本当の自分にはなれない
私は光であり、光を創造し光を可能にする闇である
ドラキュラ公に神から届いた言葉が、バシャールの言った言葉とともに聞こえてくる。
これによって我々はドラキュラ公と同じく、愛が何か初めて知りえるのだ。