「はまり役」飛べないアヒル 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
はまり役
弱小アイスホッケーチームを勝利へみちびくコーチをエミリオエステベスが演じている。さわやかなスポ根ドラマで2(1994)と3(1996)もつくられTVドラマ(2021~2022)にもなっている。じぶんが見たのは1作目で初見はたぶんVHSレンタルだったと思う。
Disney+にあったので久々に見た。
2も3もアニメもあったが直近のTVドラマはなかった。
今更だが気づいたことがあったので書いておこうと思った。
ゴードン(エステベス)は少年時代にアイスホッケーをやっていて重要な試合で監督にプレッシャーをかけられる。
『ゴードン、かならず(ゴールを)決めろ、みんなの期待を裏切るな、おまえがミスればチームの面目はまるつぶれだ』
結局ゴールは決められず監督からもチームからも失望されたことが大人になったゴードンのトラウマになっている。
このトラウマが反面教師となってThe Mighty Ducksシリーズのモラルを形成している。子供にプレッシャーをかけることなく、仲間意識やフェアプレーへ訓育しながら勝利をめざすのがシリーズの醍醐味だ。ディズニーらしい風教値と、あまねくスポ根ドラマと共有しうる爽快さを目指している。──といえる。
今回気づいたのはブレックファストクラブのエステベスとリンクすること。
ブレックファストクラブ(1985)でエステベス演じるアンドリューはレスリングをやっているがそれは父親の希望だ。むしろ父親の希望のほうが大きい。父親は勝利と男らしさに執着している男で、息子にもそれを強いていた。
父親の理想に副った人間になろうとして、それが強迫意識となり、アンドリューは弱いやつをいじめて尻にバンデージを貼ってそいつの尻の皮を剥がすという愚行を犯す。
『奇妙なことに僕はオヤジのためにそれをやったんだ。あのラリーレスターを辱めたのはオヤジに僕がクールだと思わせたかったからだ。オヤジはいつも学生時代のことや、当時よくやっていたワイルドなことを自慢するんだ。だから僕が誰にも手を出さないことに失望しているように感じたんだ。ロッカールームで膝にテーピングをしているとラリーが2つ隣のロッカーで服を脱いでいた。ラリーはちょっと痩せていてね、弱かった。それで僕はオヤジのことを考え始めたんだ。オヤジの弱さに対する態度をね。そして次の瞬間、僕はラリーの上に飛び乗って、彼を殴り始めた。友人たちは、ただ笑って僕を囃し立てたよ。その後バーノンのオフィスに座っているとき、ラリーの父親のこと、そしてラリーが家に帰って彼に何が起こったかを説明しなければならないこと、そればかり考えていた。そして屈辱・・・彼が感じたに違いない屈辱を考えた。とうてい受け容れられないことだったに違いない。いまさらラリーにどうやって謝るんだ?方法はない。全部、僕とオヤジのせいだ。オヤジが憎い。』
そこからエステベスが握りしめた拳を振って苦悶に満ちた涙目で述懐するシーンはブレックファストクラブの白眉だった。
『(オヤジの口まねで)アンドリュー!お前がナンバーワンだ!おれの息子に負け犬はいらん!おまえは馬車馬だ!勝て!勝て!勝て!
・・・クソッ。時々膝が折れてくれたらって思うよ。そうしたらもうレスリングはできない。そうすればオヤジは僕のことをすべて忘れることができる。・・・。』
子はしばしば熱心あるいは固執した親に従属してしまうことがある。家庭ドラマの汎用パラメータともいえる。
「父さんおれは医者になんかなりたくない!」とか「母さんわたしはヴァイオリンなんか弾かないわよ!」とか、先日見た(リトルマーメードの)アリエルも「おとうさまわたしはにんげんになりたいの!」と叫んだ。
しかしBCは主張のグサリ度が格違いだから世界のオールタイムベストと化しているわけである。親との確執とスクールカーストが誰にでも刺さる普遍性で表現されたほとんど初めての学園ドラマだった。
あのエステベスを思い出してThe Mighty DucksのゴードンはBCのアンドリューを踏襲していることに気づいた──のだった。
『みんなの期待を裏切るな、おまえがミスればチームの面目はまるつぶれだ』
誰もそんな脅迫めいたことを言われたくない。若年ならなおさらで、そんなことを言われて失敗したら生涯覚えているにちがいない。
それはアンドリューの境遇と重なる。
『Your intensity is for shit! Win! Win! Win!』はミームになりアンドリュー役は役に過ぎないとわかっていてもエステベス自身の分身ように思えてくるのだ。エステベスはBCのアンドリューでありマイティダックスのゴードンなのだった。だから痛みを知っている気配があるしそのことは星の旅人たちやパブリックなど監督作品のヒューマニズムにも繋がっていると思ったのだった。