ドクトル・ジバゴ(1965)のレビュー・感想・評価
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動乱の狂気と禁断の慕情が、雪氷をも溶かしてゆく
何回か観てるのですが、圧倒的と言う表現も陳腐に感じる壮大なスケールとジュリー・クリスティの美しさにいつも魅了されます。デビッド・リーンは好きな監督で、これぞ映画という贅沢な時間と深い感動を与えてくれます。リアリズムよりも叙情的な側面を強調し、登場人物の心情を第一に色んな形でそれを表現することに腐心している気がします。内容自体は究極言ってしまえば不倫ものですが、凡作になってないのはやはり物語を支える映像表現だったり豪華な舞台設定だったりするわけで。それらがこの作品を唯一無二の次元まで昇華していると思います。 時間を忘れて、銀幕の世界に没入することができる素晴らしい作品です。
時代と集団に「個人」はどう存在意義を見出すのか
ソ連時代を代表する詩人の1人であるボリス・パステルナークの代表作である『ドクトル・ジバゴ』(ドクトル・シヴァゴとも表記する場合がある)を映画化した作品。大河小説の原作は恥ずかしながら、未読のまま。今も書棚に静かに埋もれている。そういうわけで、観たというのも理由だ。御託はこの辺で、感想を述べると、3時間もの大作だったが、時間を感じさせないと言ったら嘘だが、革命の怒涛の波と主人公たちの揺れ動く様は引き込ませる。革命は集団の為政者に対する意思表示であった。より良い世界へ突き進むため革命はけたたましい煙を吐きながら猪突猛進する汽車のようにあらゆる者たちを巻き込んでいく。個人的な心情は革命には似合わない。個人は革命の世界に座席を持たない。愛も同様に。 パステルナークはこうした取り残される個人が革命の時でさえも生きていることを切実に書いて示したのかもしれないと思える。映画における広大無辺なロシアの大地とドラマチックな演出は今の映画と比べると古さを感じさせるが、「古き良き映画」の世界へと誘ってくれるような感じがした。 亡命作家であるナボコフによって原作はこき下ろされたが、映画で観た壮大さは存在しないのだろうか。
思い切り、東側に忖度した作品だと思う。
ロシアの大地とロシアの歴史をバックに描かれる人間の我がままな性を描いた作品だと僕は思った。65年の作品だから、スターリン体制は淘汰されているが、全体主義にはかわりない。しかし、スターリンではないので、思い切り、東側に忖度した作品だと思う。 原作を読んでいないので、なんとも言えないが、ノーベル賞を取れる様な作品だとどうしても思えないが。 1962年がキューバ危機だから、当時はソ連を良く言う人達もいたように記憶する。かくいう、僕もその一人。スターリンは悪いが、フルシチョフや毛沢東は偉人と思っていた。 ちなみに、プーチン大統領を、今は亡き我が父は『プーチンってラスプーチンの子孫だろ』と言っていたのを思い出した。当たらずとも遠からず。
アラビアのロレンスに次ぐデビット・リーンの傑作
壮大なる不倫ドラマである。基本的に不倫ドラマが嫌いであるが、この映画に関してはそれよりも時代に翻弄される主人公や家族、彼を取り巻く人たちのドラマに感動した作品であった。「ひまわり」が三角関係の当事者3人の愛憎劇が中心であったのと大きな違いである。
前半、感情移入してしまったドクトル・ジバゴの性格から、後半の不倫は似つかわしくなく、しかもラーラは天使のような妻(トーニャ)がいるのに不倫をしてしまうほど魅力的な女性とも思えないし、個人的には好きになれない展開だった。
さすがにデビッド・リーンだけあって、冬の過酷さと花が咲き乱れる夏の対比の素晴らしさに圧倒される映像美は驚嘆に値する。それを倍増させる音楽も素晴らしかった。
ただ、エピソードが多く、人間関係も複雑で、追いていくのに疲れた。
また、その後どうなったのか気になる人物の説明がないのは不親切だ。例えば、ジバゴの妻トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)と妻の父と子供二人、ラーラとともに極東に逃げたコマロフスキー(騒乱時にラーラとジバゴの間にできた娘の手を離して、娘は迷子になってしまった。彼女は最初と最後に出てくる)、ラーラの元夫(革命家)との間にできた子供・・・等。
あと、最後の方で、なぜジバゴはラーラとコマロフスキーと一緒に列車に乗って逃げなかったのか?コマロフスキーには助けてもらいたくなかったためか?それとも、ラーラと一緒に逃げると言う事は、逃亡先でラーラと一緒に暮らすことになり、妻を裏切ることになるので、できなかったのか?
また、ジバゴが列車に乗り込んでこないと分かった時点で、ラーラは列車が発車する直前に降りるのが、話の流れからいって自然だったのではないか?(そもそも、ラーラはジバコが一緒じゃないと列車に乗って逃げないということになっていたはず)
それにしても、ジバゴは、ラーラとの間にできた子供とは1度も会えず、ラーラもその子とは子供の頃に離れてしまいそれ以来会えず、最後はジバゴはラーラを見かけ、追いかけたが結局追いつけず心臓発作で死んでしまう、何とも切ない3人ではないか。
余談だが、この年、アカデミー賞の作品賞にノミネートされたが、「サウンド・オブ・ミュージック」に持っていかれた。不倫映画より、ナチスの侵攻に苦しむオーストリアを背景に、家族愛を描いたミュージカルのほうに共感を得た人が多かったと言うことだろうか。
ラーラを演じたジュリー・クリスティーより、ジバゴの妻を演じたジェラルディン・チャップリンのほうに魅力を感じたのは私だけか?
2人共、身も心も美しい女性なんだ
二人の女性が健気で素晴らしい女性で男なら選べず揺れ動く気持ちは分かる。映画ひまわりの様だ。音楽も妙に心に響く。楽器の名前は忘れたけれど、音色が聴き慣れないからかも知れないがジーンと来るんだな。正妻さんはチャップリンの娘。確か長い映画だったけれどこれは観るべき映画です。
反共のプロパガンダなのか?
何の予備知識も無く、見始めてしまったが、長い映画で何日もかかって少しずつ見た。 ロシアを舞台にロシア革命前後を描いている。話しも映画も長すぎて、つながりが分からなくなるが、途中からはぐんぐん吸い込まれるように映画に没頭した。 ロシア革命の負の部分、悪い部分をかなり強烈に描いているのではないだろうか?どこの国で作られたかを意識してなかったけど、セリフは英語だし、途中から反共のプロパガンダなんだろうと思うに至った。 もう一度見るとさらに気付けるものが有ると思うが、この長い映画をそんなに何度も見る事は難しい。
時代に翻弄されながらも自分の信念に従って生き抜いた男の人生に心打たれた…
デビッド・リーン作品は長尺が多くて、なかなかテレビでは放映されない。まして、この作品は本当に久々の放映だった。このコロナ禍の中、映画館で映画が観られない状況で、たとえテレビとはいえ、観られたことは望外の喜びだった。彼の作品では『アラビアのロレンス』がベストだろうが、政治的な難しさがあるそれより、私はジバゴの方が好きだ。久しぶりに観直して、自分の記憶と違ったことに気づいた。もっとメロドラマかと思っていたが、第一次世界大戦やロシア革命も背景に描かれている。もちろんラーラとの愛が主軸だが、彼の弱者への優しさに心惹かれた。医学生の時も研究者は目指さず、開業医を志したところにも現れていると思う。ラーラとの出会いは最悪ながら、それでも彼女を愛した彼の懐の深さ。長い作品なので、録画した映像を少しずつ楽しみながら観たが、観終わった後も何日も感動に浸っている。
原作はロシアの小説だから
長いよ、長過ぎる。 まあ、この監督にはいつもの事だし。 描くべきシーンを台詞やナレーションベース、どうでもいい事を長々と見せられた日にはオシッコ我慢できないっちゅの。 真面目な事言えば、全てが綺麗過ぎ何でもかんでも整い過ぎで感情移入できん。登場人物の転落の様が感じられんのです。昔の映画ってユルユルでも良かったんだよね。 また当方、北海道住みのため、雪の表現は全く評価できません。食糧も持たずあんな格好で雪原うろつけば2時間もたずアウトになります。 でも音楽は良いなあ。日本ではララのテーマって言われたけど本当はラーラのテーマなんですね。
見ごたえ抜群、超大作
3時間を越える作品 舞台はロシア革命時のロシア しかし中身はドロドロの恋愛物語 時代の流れに翻弄されるジバゴと、関わる男性全てが惚れるラーラ 悲恋物ですが感動します 名作には名曲が付き物なのか?
忘れられない人
淡く憧れた初恋の人、学生時代に付き合った人、もう一度あってみたい気もする。その時、家族があっても主人公と同じように、愛せてしまうのだろうか? この反問がわだかまり、主人公への共感を拒否する。
そうはいっても、全編の流れ、映像ー自然の美しさ・厳しさ、音楽。アラビアのロレンスといい、長編を手際よくまとめる才能はデビッド・リーンの得意。やっぱり名匠だね。
祖国を愛する「詩人の魂」
長いと思われる(読んでいない)原作を 手際よく 映画に仕上げていると思う
大味になりがちな 大河ドラマを 監督の細部へのこだわりが救っている
また「アラビアのロレンス」などで成功した監督のもとに 名優が集まり、原作者の国では決して製作されない映画を 完成させた
原作者パステルナークの心情は主人公ジバコに投影されている
(彼の詩集を読んでみたい)
時代の変革(動乱)期の 手法の残虐さと庶民の苦労に胸が詰まる
また、この時の 男達の生きざまが 興味を引く
医者と詩人の兼務で 生き延びる ジバコ
時代の変化を 嗅ぎわけ、実利を得ながら 生きる コマロフスキー
変革を目指す冷徹な イエブグラフ と純粋さが冷酷さに変化し、殺されるパーシャ
ラーラとトーニャだけでなく、ジバコ(ジバコの詩集)が 人々の心を捉えるのが判る
悪党 コマロフスキーさえも…
まさに「人はパンのみにて生くるものに非ず」である
俳優陣では
オマー・シャリフ(ジバコ) 育ちの良さと繊細
アレック・ギネス(イエブグラフ)
ラルフ・リチャードソン(父親) 上手い
トム・コートネイ(パーシャ)
ロッド・スタイガー(コマロフスキー)が 印象に残った
特に、スタイガーは複雑な悪党を 上手く演じていて、俳優としての凄味(熟成)みたいなものを感じる
クリスティとの絡みで、監督を怒らせたらしいが
(今だったらセクハラだよん、しれっと自白してるけど… 気の毒な クリスティ)
揺れるコマロフスキー、物語最後に やっぱり悪党に回帰 本質を再認識させる
大人になった ラーラの心の底からの「拒絶と不服従」が そうさせるのか?
彼女がフランス系というのも納得させられる
激動期に 複雑に絡みあう人々の心
階段から 降りてくる鼠にも、演技をつけたと言われる リーン監督
ベリキノ屋敷へ向かう 馬車の周りを 駆け回る 子馬の演技も、しばしの歓びを表し 詩的で愛らしい
間違って2002年のリメイク版を観てしまった
大河ドラマのような雰囲気。ロシア革命と男女の悲恋が絡められている。ただ、ストーリーとしては作り込まれ過ぎていて、ありえないだろ、となかなか感情移入できなかった。私には純粋さが足りないのかもしれない。ドラマだから仕方ないのかもしれないけど、急に画面が暗くなって、いきなりシーンが飛ぶのはなんだか重要なところをすっ飛ばされたようで気に入らない。そのくせ、性的描写はじっくり時間をとってるのには頭にくる。たぶん二度と観ないと思う。
物語の省略が多い
総合80点 ( ストーリー:80点|キャスト:80点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:75点 )
若い頃に初めて観た時は、ロシア文学原作らしい重々しさに少々辟易したし退屈もした。しかし年齢を重ねて改めて観てみると、なかなか良い作品だと思えた。ロシア革命という激動の時代の中で、詩を愛し女を愛した医師の生涯が綴られる。
貧困に苦しむ人々がいて贅沢を謳歌する貴族階級がいて、両者の間には解消が出来ない対立が生じている。支配の反動の革命で行き過ぎた抑圧が行われ社会が混乱する中で、1人の男と彼の家族も時代のうねりに巻き込まれていく。反体制運動・圧制・逃避行・パルチザンによる拉致と、時代の厳しい変遷が描かれる。ただし制作当時の背景もあって、虐殺の直接的な残虐描写は控え目でありそこは緩めで不満が残る。
その中には革命のためには無実の人の命を含む他の全てを犠牲にする狂信的な活動家・高い地位を使って好き放題する者・共産主義に染まって体制の価値観のままに人の権利を奪う者・山賊のように好き勝手をするパルチザン等、当時の時代が生んだ人々の行動は興味深い。
ロシアの大地に当時の社会を再現した映像も上出来。だが建物内部まで凍りついた美術は質感がちょっとわざとらしい。
物語の結末には不満が残った。モンゴルに逃げたララはどういう生活をしたのか。何故彼女は娘とはぐれモスクワにいるのか。パリに逃げたジバゴの家族はどうなったのか。ジバゴは何故モスクワに戻りそこでララも家族も探そうとはしなかったのか。最後のほうは重要なことが一気に省かれた気がした。他にも色々と省かれているのか説明不足な場面があるように思える。
またジバゴの詩についてどんなものなのかを詠んでもいいのではないか。彼の詩が彼を詩人として激動の時代の物語に重要な役割を果たしているのに、ただ良い詩だったとだけ言われてもこれでは実感がわかない。
そんなわけで物語の省略が多いので減点。それでも時代の流れに翻弄されながら生きた人々と、当時の時代のことが面白い作品だった。
芸術の結晶
すげぇ…の一言。
ロシアの激動の時代を背景に、変わらぬ愛情を描いた大河ドラマ。
丁寧な人物描写、テンポ良く運ぶストーリー、Yuriの感嘆と共に映される四季折々の自然の美しさ、迫力のクラシック音楽…により、長さを感じさせない大作でした。
凄すぎて大変な原作を、潔く省いたり変えたりと、ここまで上手くまとめたことも凄いです。(3人目の内縁の妻はバッサリ省略。)
毎年見られる季節の変化のように、
人の一生の浮き沈みのように、
ロシアの大きな、大きな歴史のうねりを観れた気がしました。
Yuriの詩を知りたいと思いましたが、彼の純粋な感性は言葉で語られることなく映像で伝わって来ました。これぞ映画ですよね。
Laraの人格面として、Yuriが惚れたLaraの看護ぶりというのを撮っても良かったかなとは思いました。
激動の時代を生き抜くには、愛だけでは心許ないのかも知れませんが、いかなる革命も武器も、愛だけは奪えないのです。
(そのまま使ったという有名な?事故シーンの叫び声…真の叫び声ってことですね…(゚д゚lll))
紛うことなき、大人の名作です。
「午前10時の映画祭」でのリバイバル上映を観に行きました。これは「アラビアのロレンス」とともに、絶対にスクリーンで観るべき映画です。 わたしが選んだキーワードは、愛と情熱と信念。人間が造り上げていくものにも関わらず、抗えない時代の流れ。人間が選ぶものであるにも関わらず、抗えない情熱…情熱は恋愛だけではなく、政治思想などの信念にも激しく表れます。 一般に信念を持ち理想に邁進することは大切と言われますが、その強い信念や高邁な理想のために他人をも巻き込む悲劇をも生み出すことは稀ではありません。かたや表裏比興(老獪な食わせ物、やや嘲りを込めた言葉)と陰に日向に罵られようとも、人生は生きることにある、と悟ったように世を渡る生き方もあります。心の中は激しく揺さぶられながらも。 西側の制作による映画なので多少なりとも強烈な描かれ方がなされているとは思いますが、血の通わぬ雪と氷の地に起こった冷徹なロシア革命の動乱と混迷は、現代に生きる者にとっては大変恐ろしく感じます。 しかしその中でも人は生きているのです。殊に主人公ジバゴの感性はとても人間味があります。医師としての勤勉、詩の数々、そして運命の恋への情熱。冷厳なる社会の流れの中にも埋もれきらない、登場人物たちの人間味が表れています。 信念に生きようとする男でもなく、上手に世を渡る男でもないジバゴ。正直で純な男です。どっちつかずな、一生懸命な男です。 考えてみれば、医師という職業がそもそも「どっちつかず」なのかもしれません。人命を助けるという希有な働きができるため、敵味方の両方から重宝され、また利用もされやすい。彼が底意地を張ったのは、あの決断だけ…女であるわたしからすれば馬鹿みたいな男の意地で、彼は大切なものをすべて失います。 だけどそれが完全に間違った選択であったかどうかは、神の視点に立ったわたしたちにも断じることは出来ません。なぜなら同じ人間だからです。 ひとつ言えるとしたら。 動乱や政治に打ち克つことができるのは、連綿とつづく血脈だけなのかもしれません。夢半ばで倒れても、その子、その子孫が社会を生き抜き、生き続けてゆくことは何にも勝る抵抗だと思うのです。 畏怖するほど美しい映像の中に「人間」を描ききったこの作品は、3時間20分という長尺にもかかわらず冗漫でも情報過多でもありません。流行の映画などでは途中寝てしまうこともあるわたしですが、この映画には即座に引き込まれ、200分という時間が充実して流れました。 大人による大人の映画です。 ※おまけです…「銀河鉄道999」のメーテルは、ロシア美女にしかマネが出来ないなぁと思いました。
とてもよかった
ジバゴも奥さんも愛人もみんな人柄がよく、出来過ぎた話ではないかと思うのであるが、羨ましい。あんな魅力的な人に囲まれて過ごしたい。
最もクズだったのは、愛人をレイプしたおじさんではなく、妻子をほったらかして革命にうつつを抜かした旦那だと思う。
愛人となる彼女が、おじさんに誘われてセクシーなドレスを着ている場面に揺れる複雑な女の気持ちが現れていた。また、旦那の赤い列車が異様にかっこよかった。
これまでこの映画を見ようと思った事は一度もなかったのだが、勉強のつもりで見に行って本当によかった。スケール感のあるリアルな描写に圧倒された。すごい映画体験だった。
ただ、ジバゴが詩人としてすごく才能豊かであるとされていたのに、詩の内容が一切描かれていなかった。どんな詩を書いていたのかとても気になった。
個人から見たロシア革命と内戦
どんな理由があれば、戦争が正当化されるのだろう? 革命は泥棒、戦争を正当化できるのか? 個人として誠実な生き方を貫く事は、時には大切な人を裏切る事に繋がってしまう。そういう不幸な時代だったという事かな? 原作は大昔に読んだので、ほとんど忘れていたが、自然描写の詩のような美しさに感動した。この映画も冬の厚い雲の向こうから差す太陽、朝焼け、森、雪の平原など風景がすばらしかった。 誰もが、自分なりに誠実に精一杯生きている、生き抜いている、幸せとは程遠くても… 生き抜く決意の中にしか希望はない。
名作
上映時間は約3時間半と、非常に長い。 しかし、それを苦に感じないほどのテンポの良さ、内容の濃さ。 ロシア革命を背景とした民衆の生活に焦点を当てており、当時の情景が事細かく描かれていた。 普通に歴史の勉強にもなると思う。 また、個人的には、「ちゃんとした家がある」ということのありがたさを実感できた映画でもあった。 共産主義下のロシアでは、自分の家に他人が入り込み、さも当然かのように生活し、その私物ですら公共物とみなす。 画面を通して、そうした状況下で生活することの息苦しが鮮明に伝わってきて、やり切れなかった。 映画でこれほどの臨場感を醸し出している作品は稀。
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