トゥルーマン・ショーのレビュー・感想・評価
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新しい世界に踏み出すトゥルーマンと大衆の酷さの対比が秀逸
小さな街で平凡な保険員トゥルーマン。しかし彼の生活の一挙手一投足は全てテレビ放送されていて、彼以外は全て俳優、知らないのは本人だけ。しかし、死んだはずの父親がいきなり現れて・・・と言うストーリー。
サスペンスやアクションを好む私にとって、この手のドラマを鑑賞するのはとても珍しいことです。で結果として、鑑賞して良かったと思える佳作でした。
特異で斬新な設定、その設定に、道化師のように芝居がかった主人公の演技が絶妙にマッチしています。
死んだはずの父親(役)との出会いによる転調から、主人公の動揺や周囲に対する不信。そして、危険もあるが予定調和ではない世界へ踏み出す主人公。
彼を応援する劇中の視聴者同様に私も応援したくなりました。そして、直後に悪びれずにチャンネルをいじる視聴者に、大衆の酷さを感じました。
ただ、秀作というにはやや足りない印象です。本当の両親とか、恋人がショーの世界に侵入するなどがあれば、よりスリリングになったと思いますけど・・・逆に世界観を壊す可能性もあるかもしれませんね。
すごい。これ。最初は人の人生を映すこと、それを楽しみにする視聴者に...
すごい。これ。最初は人の人生を映すこと、それを楽しみにする視聴者に違和感と嫌悪感を抱くのに、いつの間にか視聴者と同じようにトゥルーマンの人生に釘付けになって、最後には視聴者と一緒に感動で涙してしまう。
今まで観てきたどんなホラー映画よりも怖いコメディ映画
もし自分の生活全てが生放送されていたら。自分の周りの人々が全員エキストラで、身の回りの出来事は全てドラマ的な演出だったら。
考えるだけでも恐ろしいストーリーです。
下手なホラー映画よりよっぽど怖いですね。
確かに綺麗な奥さんと不自由しない暮らしが保証されているが、その生活の一部始終が記録され公開され、どこの誰かも知らない人々の笑いの種になる。自分ならば到底耐えられません。
また、作中に登場するトゥルーマンショーを観ている視聴者に対して私は「無自覚な悪意」を感じていました。作り物の人生を送るトゥルーマンを観ていることに何の疑問も罪悪感も感じていないのです。一人の男の人生を支配し、見世物にして楽しんでいるという自覚が全く無いのです。ラストシーンでトゥルーマンが作り物の海を渡り外の世界に出て行くシーンで視聴者たちは「外に出られて良かった」と歓喜に沸くシーンがありますが、そもそもトゥルーマンが作り物の世界に閉じ込められていたのは「視聴者がそれを望んでいたから」であり、それなのにトゥルーマンが外に出られて喜んでるという描写には私は心底恐怖を感じました。この恐怖は、今まで観てきたどんなホラー映画よりも群を抜いて凄まじいものでした。
1998年公開の映画ですが、プライバシーも無くネットに晒される現代のSNS文化にも通じる部分があり、我々も他人事ではないなと感じます。
また、この映画は人によって感じ方が全く異なる作品です。
私はこの作品を「どんなホラー映画よりも怖い」と評しましたが、この映画を観た方の中には「外の世界に出ようとするトゥルーマンを視聴者目線で応援しました」というレビューも少なくなく、「トゥルーマンが閉ざされた世界から羽ばたくまでの物語」と捉えている人もいるようです。私にとっては「悪意の監獄に囚われたトゥルーマンが仮初の世界から抜け出す物語」くらいの印象だったので、色々な物の見方であったり感性の違いが分かる作品ですね。観たことある人たちで語り合うのも面白いですよ。
本当に面白いので、オススメです。
ある異なる視点
仮に60点を付けたとして、そのうちの大半を企画力と設定が占める稀有な作品です。
なぜって、脚本を手掛けたアンドリュー・ニコルは「もしも」設定の天才ですから。
ガタカに95点、タイムに68点、アノンを76点とするならば、トゥルーマン・ショーは私にとって60点が妥当でした。
以下、理由を述べます。
上記3作を見れば分かる通り、良くも悪くも内容を設定に全振りした映画なんですね。これは彼の手法で、つまりアイデア勝負な訳です。
洋画、邦画問わず、様々な映画のレビューを読んでいると、共感できないとか、感動しなかった、とか書いてあるのが目に付きますが、何を軸に見ているのか意味が分からないです。する必要がないですから。むしろ自らとは切り離して考えた方が賢明です。
その上で、じゃあお前は何を感じ取ったのか?と問われたら異なる視点が介入した時に浮き彫りになるもの、です。
要は自らの人生を一つの視点でだけ捉えるのではなくて、世界規模に俯瞰した時にどう映るか、という問いではないでしょうか。
つまりグーグルアースの様に、主観を切り離して遥か上空から見つめ直したらどうかということですね。
ただ、いい大人は、とっくにそんな自我は通過しているんですよ。よって、ほぼ得るものがないんですね。ひたすらシュールで荒唐無稽でしかないです。
自分探しをしている様な大学生とか、多感な若者こそ見たらいいと思いますけどね。
いやでもそれだったらイントゥザワイルドを勧めますかね。
イントゥザワイルドは98点の映画です。
『本作に由来する心の病が実在する』
自宅にて鑑賞。究極のリアリティー・ショーをコミカルに描く。時折POVめいた隠し撮り風の映像をインサートしつつ何も知らされていない主人公の日常とこれを見守る視聴者と番組の作り手と云う三点の視点で進行する。日常に突如挟まれるスポンサーのCMを宣う「買い替えるなら“エルク・ロータリー”」 「新製品のこの“モココア”を飲んでみない」等と云う如何にもな科白に吹き出した。ただテンポにバラつきを感じた。特に丁寧に描くそれ迄とは打って変わった中盤~後半にかけては雑な上、急ぎ足気味に思え、バランスを欠いた印象を受けた。65/100点。
・インタビューを受けるE.ハリスの“クリストフ”も云っていた通り、“メリル・バーバンク(ハンナ・ジル)”のL.リニーが“トゥルーマン・バーバンク”のJ.キャリーと仲違いをし、彼の元を去るシーンは観てみたかった。予告されていた新たなロマンスの相手として職場の横の席に配属されてきたH.シャンツの“ヴィヴィアン”との件りにも興味が湧いた。相思相愛でありつつ密かに主人公の解放を目論むN.マケルホーンの“ローレン・ガーランド(シルビア)”の存在や役割が余り活かされておらず、蛇足的で微妙に映ったのは残念。
・近年、SNS等の普及により度々問題視されている認知承認要求、及び行動原理に基づくコマーシャリズム等が盛り込まれている。ただ実際にJ.キャリー演じる“トゥルーマン・バーバンク”の様な言動を繰り返せば、被害妄想に端を発する偏執的な統合失調症か離人症等の診断を受けるであろう。本作以降、精神医学会では日常がカメラ越しに監視されていると云う被害妄想の一種に“トゥルーマン・ショー妄想 "The Truman Show delusion"”、或いは“トゥルーマン症候群 "Truman syndrome"”と云う呼び名が附けられる事となった。
・当初、“クリストフ”の役はD.ホッパーが当てられており、実際に撮影も行われたが、たった一日で自ら降板したらしい。後に本作とよく似たプロットを持つR.ハワード監督作『エドtv('99)』に“ハンク”役として彼は出演を果たした。急遽、E.ハリスが役を引き継いだが、突然の降板だった為、碌な準備期間も無く役に挑んだ。尚、撮影中にE.ハリスは“トゥルーマン・バーバンク”役のJ.キャリーと一度たりとも顔を合わす事が無かったらしい。
・主人公“トゥルーマン・バーバンク”役は当初、R.ウィリアムズが予定されていたが、脚本を書き、監督も予定していたA.ニコルの薦めやC.チャップリンを想起させると云う監督により、J.キャリーへと変更になった。尚、その段階で『ライアー ライアー('97)』の撮影を行っていた為、本作のクランクインは約一年遅れる事になった。
・TV視聴者に“日本人家族”として、ユウジ・ドン・オクモト、キヨコ・ヤマグチ、中村佐恵美の三名がクレジットされているが、壁には「娘/バーバンク メリル/毎日見て/下さい。」 「バーバンク トルーマン/毎日.../二十四時間」と拙い手書きで記されたポスター(掛け軸?)が貼られている。「ラブ・ラブ・ラブ!トルーマン・ショー」と書かれたトレーナーを着て、胸には妖しげなバッジを着け、ショーを見守るこの三人の様は少し某国っぽい印象である。
・設定上、強調されたメタ的な構造を持っている為、エンドロール時のキャストは"TRUMAN'S WORLD"、"CHRISTOF'S WORLD"、"THE VIEWERS"と三つにカテゴライズされ、表記がなされている。本篇上の情報を繋ぎ合わせると、J.キャリー演じる“トゥルーマン・バーバンク”の誕生日は、'66年1月30日となる。物語は'95年に設定されている。
・物語の舞台となる“シーヘブン”の撮影は主にフロリダ州シーサイドにて行われ、エキストラは連日約300人規模で執り行われた。ショー内への闖入者として、クリスマス・プレゼントの大きな箱から飛び出した視聴者(ファン)の男はM.ルーベンであり、彼は本作のアシスタント・アートディレクターを務めている。
・脚本のA.ニコルによれば、本作はP.K.ディックの著作「時は乱れて('59)」にインスパイアされ、多くのアイデアを引用したと云う。更に具体的にM.ジャクソンの日常を想像し、物語を固めたらしい。当初は自らがメガホンを執ろうとし、G.オールドマンを出演させようと構想していた。尚、決定稿に至る迄、少なくとも12回は書き直しを重ねたとインタビューで答えている。亦、劇中劇の『トゥルーマン・ショー』が「シーズン1のサブタイトルは"Bringing Up Baby"」 「エイミー賞を何度も受賞している」等と云った本篇で触れられないバックストーリーも10本は書いた(当初のシナリオでは“トゥルーマン・バーバンク”のJ.キャリーはフィジーではなく、オーストラリアに行きたがる設定だった)と云う。
・ネタバレとして本作は、前述の『エドtv('99)』に酷似しているが、そもそものアイデア自体は『新・世にも不思議なアメージング・ストーリー2('88)』に収録されているP.バーテル監督の『シークレット・シネマ "Secret Cinema('86年4月6日米国TVにて初放送)"』とソックリである。管理された環境下での日常生活としては『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー('84)』や『ダークシティ('98)』、『シグナル('14)』等にも似ている。
・脚本がA.ニコルの手を離れた後、監督としてS.ライミやB.デ・パルマ、T.バートン、T.ギリアム、B.ソネンフェルド、S.スピルバーグ等、様々な候補を経て、P.ウィアーに落ち着いたと云う。中でもD.クローネンバーグはテスト迄撮ったが、最終的には辞退したと伝えられている。
奇抜な設定とコメディとジムきゃりーの演技力
面白い設定で、ゴールは見えているのに、見ていた飽きる場面が一度もありませんでした。
一貫してアメリカンなコメディという感じで笑いを取りつつ、人の奥底にある疑惑や良心などに訴えかけてくるような映画です
壮大なドッキリみたいw
『トゥルーマン・ショー』字幕版
*主演*
ジム・キャリー
*感想*
こんな斬新な映画は初めて。何故なら主人公の人生が生中継されてるからだ。
主人公が住む町、全ての住人がエキストラ。出来事も全て演出であり、トゥルーマンという人生が番組になっているんです。ちなみに海や空、天候も全部演出!
まさか自分の人生が生中継されてるとは知らずにずーっと生きてたトゥルーマンは、次第に周囲で奇妙な出来事が起こる。
ヒューマンドラマのようなんだけど、コメディ要素もあって、設定が非常に面白かった。(^^)
エレベーターの壁がなくて、休憩中のスタッフがチラッと見えたり、ハプニングがちょいちょい挟むところも面白いw
エキストラは、決められた配置があって、カメラもずっとトゥルーマンに向けています。
今までの人生が嘘なのは極めて残酷で、途中からトゥルーマンが可哀想に思っちゃったんだけど、最後はほっこりするし、ちょっと感動した。
ユニークな設定で、とても見易かった!
壮大なドッキリ番組を見せられてるみたいww
ジムキャリーの演技も素晴らしかったです!\(^^)/
すげぇ内容 考えるな 作家や漫画家 脚本家とか物語を考える奴はマジ...
すげぇ内容 考えるな
作家や漫画家 脚本家とか物語を考える奴はマジすげー
ジムキャリー マスクのイカれたキャラクターのイメージがこびりついてるから普通のセリフでも笑顔でなんだか狂気的
2度観ることをお勧めします!
ある男性の生涯が、テレビの人気連続ドラマとして24時間ノンストップ生中継されていた・・という斬新な設定!!
なんか見たことある男性だな~って思ったらジム・キャリー!!
【MASK】ぐらいしか知らなくってコメディ要素の強い俳優のイメージでしたが
この作品で、また見方が変わった気がします。
■スポンサーの為の広告が面白い!
日常生活で使っている飲み物や服装などが全てスポンサーの商品。
宣伝ちょいちょい挟むとこにユーモアを感じます(・∀・)
■台所にあるビタミンD剤
常にドームで生活しているトゥルーマン。本物の太陽の光を浴びていないのでビタミンD不足になります。
細かい所にも拘っているとこにも注目!
■妻メリルの懺悔
結婚式の写真で指をクロスしている意味あいがキリスト教を信仰していない人には分かりません。
『神に謝罪』しているという意味あいだそうで・・
嘘ついてごめんなさい・・なのでしょう。
■偽物の夕日を見ても疑問を持たないトゥルーマン
生まれた時からドームで育っているので本物の夕日を知らないトゥルーマン。
その光景は偽物だとは言え、とても美しくて切ない。。
■全てのプライバシーを侵害してはいない
妻メリルに「子供を作りましょう」と誘われてベッドへ・・
しかし、さすがにそのシーンを視聴者には見せられないので
放送はしていない様子。
しかし奥さん役の人もギャラを貰っているとはいえ好きでもない相手とよくデキますねぇ(;´∀`)
したかどうかは謎ですがw
■クリストフ監督には悪意が感じられない
一つの作品作りとしての情熱を強く持っており、
自分はこの世界を作った神だと慢心しています。。
トゥルーマンが生まれる前から見守ってきたクリストフには悪意が感じられません。
ずっと見守って芽生えた母性があったのでしょうが、歪んだ愛情ですね。
■親友までも嘘をついている
子供の頃から一緒だったマーロンでさえも・・演技をしている。
情が湧いててもおかしくないし、真実を伝えても良かったのに
完璧にコントロールされてるのはクリストフがマインドコントロールしていたのかも知れない・・。
最後のシーンは鳥肌が立ちました。
「会えない時の為に、こんにちは!こんばんは!おやすみ!」
全てが作られた世界(ドーム)で約30年間育ったトゥルーマンが
視聴者に見せた精一杯の最初で最後の本当の演技を見て涙が出ました。
ラストが泣きそうになった
最初はある男(ジムキャリー)の1日の生中継番組で何処で誰が撮られているかのストーカーみたいな撮影でヤバッと思ったが最後の辺りで真実を知ったときでも最後はいつもの挨拶で返してくれるんだと思いました。
世界とは
「自分が世界の中心なんじゃないか」みたいなセリフがあったけど、究極的には自分で観測したものしかその人の世界には存在しえないのだから、強ち間違いではないのかもしれない。
とりあえず全力で笑うジムキャリーが好き。
結構斬新。 展開が読めないから面白かった。 所々できちんとスポンサ...
結構斬新。
展開が読めないから面白かった。
所々できちんとスポンサーアピールしている辺りも芸が細かくてリアルでよかったな。
最後もう少しだけその後があれば良かったんだけど。
考えさせられ心に残る映画です。
トゥルーマンという一人の男の創られた人生を観るエンターテイメント。
コメディタッチでありながらとても考えさせられるメッセージ性の強い映画。この映画を観てトゥルーマンの行末に釘付けになってしまった。まさに映画の中の視聴者と同じように…。
創られた世界シーヘブンはトゥルーマンにとって幸せな場所だったのかもしれない。囚人として演出された人生の方が楽で幸せ。真の世界は醜く残酷だ。でもそこには自由がある。本当の自分の人生がある。そして今その世界を創り生きているのは視聴者である我々なのだ。
実際に人の人生を騙し世界へ放送するエンタメ作品が作られたら人はどう思うのだろう?最低だと批難するだろうか?それとも熱狂するだろうか。正論を言えば当然実際にはあってはならない番組だ。しかし新しい刺激を求めコンテンツを乱暴に消費していると実現してしまうかもしれない。1人の人生が変わる瞬間を観ておきながらすぐ新しい刺激を求める映画の中の視聴者と同じように…。
世界中から愛されるジム・キャリーの演技
個人評価:4.1
公開当時に話題になっていた映画を20年ぶりにようやく見ました。
当時、ジム・キャリーはあまり好きではなく、この作品も愚かながら敬遠してましたが、とても愛着がもてる演技で、この主人公が世界中から愛されたように、愛すべき俳優ジム・キャリーでした。
生まれた時から番組が始まり、成長の過程を世界が見守る。全ての視聴者が彼を自分の息子のように感じていたのだと思わせる演出は、ほんとに素晴らしい。
長年見てた「北の国から」の純が他人とは思えない様に見てしまう感覚とはスケールがまるで違う。
全てが作られた嘘の世界で君だけが本物。
実際の世界を形成する社会でも当てはまるフレーズ。作品性が高い映画でした。
立つ鳥跡を濁さず
世界観は非常ににイかれてる
イかれてるとしか思えないが、
実際みんな釘付けになる。
彼を束縛する世界に批判する人間、
それを観て楽しんでいる人、
皆彼に釘付けになっている。
それくらい彼のスター性、
ただ一人の本物という環境に
惹かれたり、哀れんだり、
感動したりしているからである。
そしてちょっとした綻びから疑問に、
自分が見られているという
そんな世界を父親の役者をもってして疑問から確信に変わる。
そんな異常な世界に即座に対応した主人公もまた異常なのであろう。
最後にその世界から脱出する時の
彼の最期の台詞と、表情にも注目である。
立つ鳥跡を濁さずという言葉は正に当てはまり、
彼の表情は産まれながらのスターそのものを
表していると言える。
一度観て理解してから、
もう一度観るとまた変わった観点から観れると思います。
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