「感想が2つに分かれる映画(主に私の中で)」トゥルーマン・ショー 閑さんの映画レビュー(感想・評価)
感想が2つに分かれる映画(主に私の中で)
この世界は実は作り物だった…というシミュレーション仮説的な世界観はこの映画の数年前に作られたマトリックスや最近だとフリー・ガイとか古くはSF小説とか割と手垢のついたネタで、私的には結論も出てて「作り物だったとしてもその世界で精一杯頑張るしかないよね」派。
ストーリーは感動話として王道な感じで予測から外れるような展開はあまりなくて、まあそういう流れになるよね的な。もっとトゥルーマンがプロデューサーが嫌がるような「あからさまな演技」をするシーンとかあってもよかった気がするけど。最後のプロデューサーの自分を神と思ってんのか的セリフももうちょっとドロッとした感じに捻ってくれた(例えばトゥルーマンを心底自分の子と思ってるからこその毒親的保護欲をみせたセリフにするとか)ほうが自分的には好みだけど、ラストの爽快感を重視するならこの演出なのかな。
最後は感動的なラストに拍手喝さいを送る(つつさあ次の番組見ようとすぐ切り替える)テレビ視聴者と自分自身が重なり、実のところもっとも醜悪なのはプロデューサーよりも自分たちだったというオチなわけだけど、数十年前の未来日記や最近ネトフリに多いリアリティ・ショー、としまえんのクロちゃんしかりエンターテインメントを求めて視聴者が醜悪な行動をとる・視聴者を満足させるため過激になっていくみたいなのを思い起こすと実際ちょっと気分が悪くなる部分も(もっとドロドロした演出の方が良かったと書いてる自分は完全にテレビ視聴者だ)。
こんなこと思いつつもやっぱり映画見てる最中はトゥルーマンに感情移入してて応援していて、やっぱり最後嵐の中ヨットを進めるシーンはトゥルーマンを応援する気持ちがむくむくと湧いてくる。ヨットが壁にぶちあった時の「ついにやった!」感と、それまでのリアルさがある風景からあからさまに作り物感ある風景へ切り替わりその先に外の世界へと続く「空に描かれた階段」という画が強く印象に残る。
扉の向こうは真っ暗で必ずしも彼が選んだ先が幸福に満ちているかはわからないことを象徴してるようにも思えるけど、最後にお決まりのせりふを吐いて皮肉を利かせつつ作り物としての「トゥルーマン」を最後に演じ切り扉の向こうに消えていくのはやはり爽快感がある。すべてはジム・キャリーの迫真の演技があってこそ。あ、親友役の人の演技も好きです(顔を引きつらせつつの『絶対に嘘はつかない』とか、結構マジに心配して捜そうとしてるとことか)。
友人・彼女と一緒に見た場合に言うべき社会的に正しい(?)感想は「安全な場所、守られたかごの中にとどまっていてばかりでは真実には出会えない、勇気をもって一歩踏み出すことの大切さを伝えてくれる素晴らしい映画だった」なんだけど(笑)、それは醜悪なテレビ視聴者的感想でありその感想・感情を嫌いつつ捨てきれないのをどうしたもんかともんもんとしてしまうそんな読後感だった。