テスのレビュー・感想・評価
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イギリス版『砂の器』『飢餓海峡』土曜サスペンス劇場
美少女の贅沢な悩み。
イギリス人特有の武士は食わねど高楊枝ってやつだ。
僕はその芸術に個人の志向は関係ないと考えている。従って、演出家の考え方もその作品が完成した段階で、淘汰されていると思って鑑賞している。この作品もそう思って見てみた。しかし、どうしてもそうは思えない。言うまでもなく、この映画はナスターシャ・キンスキーの為だけの映画である。キンスキーもそれを充分に理解して演じている。まるで、個人的な暗室で家族で見る運動会か結婚式の8ミリ映画のようだ。
エンジェル・クレアがどう見てもブ男。僕は男性なので、片りんしか分からないが、我が近親者がこの映画が好きで、見に行ったが『キンスキーには、不釣り合いな男ね』と話してくれた。推測するに、演出家本人にどことなく似ている様な気がする。まぁ、そのくらいキンスキーがきれいなのは認める。
さて、キンスキーのオヤジはあの『殺しが静かやって来る』キンスキーだ。この俳優が地を丸だしにした適役。キンスキーを診ると手塚治虫先生のスカンクを思い出す。勿論、プライベートな事は知っているが、個人的志向は芸術とは無関係だ。
すべての元凶は彼女の不安定さ?
ヒロインのテス自身は、これと言って何か「悪いこと」をしているわけではないのですが、それでも彼女を取り巻く男性は、次々と不幸になってゆく…。
そのからくりはら彼女自身が持っている「不安定さ」にあるのではないかと思いました。評論子は。
しかし、テス自身も意識していない彼女の意識(「想い」というべきなのか?)が不安定で、その不安定さが巻き起こす渦に、彼女と関わる男性たちは次々と、いわば呑み込まれて、それで自身の身を滅ぼしてしまうことになる…そんな印象を拭えませんでした。本作を見終わって。評論子は。
男女の愛憎というものは、当事者それぞれで、簡単に「こうだ」と割り切ることのできないものであることは、評論子も承知しないわけではないのですけれども。
しかし、周囲の男性を凋落に導いてしまうという結論においては、彼女(のようなタイプの女性)も、彼女自身に帰責性があるかどうか、彼女自身に帰責性の意識があるかどうかは、それぞれ別としても、いわゆるファム・ファタール(の亜種?)に属するのかも知れないと思いました。あくまでも、評論子の印象として。
その意味では、ずっしりと重たい一本になりました。評論子には。
久々に堂々たる文芸映画を観た印象。最近こういう映画は作られないもんね。数奇な運命に翻弄される女性という定番ながら、ポランスキーの確かな演出力とナスターシャ・キンスキーの美しさで最後まで飽きさせない。
①(リアルタイムで観ていなくて今回が初めての鑑賞)当時、ナスターシャ・キンスキーは盛んに「イングリッド・バーグマンの再来」と騒がれたけれど(女優としては残念ながらバーグマンほど大成しなかった)、確かに横顔なんかバーグマンにそっくりなショットが何度も出てくる。
②19世紀のヴィクトリア朝のイギリス。金と力とがあれば女性を意のままに出来ると思う男と、当時としては進歩的な考えの持ち主の筈なのにやはり“貞節”という時代の観念から逃れる事が出来ずテスをあるがままに受け入れられなかった男。
両極端のようで、テスを女性という性ではなく、一人の個性ある人間として見れなかったという点では共通しているように思う。
③
忘れられない悲哀のまなざし
純粋なテスの瞳にうつっていたのどかな田園とささやかな家族との暮らし。
それは、あの日までの幸せだった。
下心を持つ大人(美しい娘を奉公に出し経済力を得ようとした両親と欲望の獲物にしようとした男たち)と自分本位だった夫に人生を翻弄されたテスの終末。
警察に追われ疲れ果て、古代の天文台ともいわれたストーンヘンジの石の上に横たわるテスの姿がある。
華麗な美とひきかえになった哀しい運命を日と陰に表したのだろう。
家族を貧しさから助けるためのやさしい気持ちではじまった人生の狂いが辛い。
そして、親がわかっていながらそうする貧しさにまとわりついた断ち切れない負の感情が悲しい。
彼女の最高に輝かしい一瞬は、フルートのやさしい音色をきき彼への恋に落ちたあの時がピークだったとおもう。
ヨーロッパの風景など映像美は印象的なものだったが、ただただ辛いストーリーの余韻が大きく、しばらく心がのまれたままだ。
映画にこれ以上は望めない。
自分が子どもの頃に撮られた映画で、こうしてリバイバルだから見られたのだが、不朽の名作とはこういうのを言うのか、いつ見てもよさそうな映画である。すべての場面が絵画のように美しく、丁寧に撮られている。冒頭の少女たちのダンスから、ずっと退屈せず、長尺でも没入できた。
私は実はポランスキー監督の他の映画はクセがありクドくて余り好きではない。この映画はむしろ適度に描く対象と冷静な距離が取れていて見やすい。ナスターシャ・キンスキーが若いのに品があり、それが貧しい身なりや苦境にあるときに余計に際立つ。限りなく切ないストーリーを根気強く撮ったもので、映画にこれ以上は望めない。都内で見逃し、小山まで来たが、見てよかった。
トマス・ハーディの小説『ダーバヴィル家のテス』の映画化で、初公開時...
トマス・ハーディの小説『ダーバヴィル家のテス』の映画化で、初公開時にも観ています。
原作も10~15年ほど前に読みました。
19世紀末、英国東北部ドーセット地方のマーロット村。
子だくさんの貧しい行商人ジョン・ダービフィールドは、新任の牧師に「サー・ジョン」と挨拶される。
連日の「サー」敬称に不審に思ったジョンが尋ねると、「君は由緒ある貴族ダーバヴィル家の末裔だ。滅んでしまったが・・・」と答えた。
離れた土地にダーバヴィルという邸があることを聞きつけた母親は、少しばかりの援助を頼もうと、長姉テス(ナスターシャ・キンスキー)を使いに出す。
いやいやだったテスだが、邸の女主人から「養鶏場の使用人としてなら雇いたい」との返事が来、家計を助ける意味からテスは邸勤めを決意する・・・
といったところから始まる物語で、溝口健二監督の西鶴『好色一代女』と同じで、美貌ゆえに不幸になってしまう女性の話。
テスはもともと気位が高い性質で、冒頭描かれる野で集団ダンスに余所者が加わってきたときに、相手にしない。
(このひとりが、のちのテスの運命の男性エンジェルである)
そんなもともとの性質に加えて、貴族の血脈というものを信じたゆえに、気位はますます高くなってしまい、放浪の身となった際、ダーバヴィルの息子が援助の手を差し伸べても固辞してしまう。
(ダーバヴィルの息子に手籠めにされ、私生児を産み、すぐに喪ってしまうという過去はあるが)
と二重三重ともいうべき不幸の連鎖は観ていて楽しいわけはない。
が、80年代くらいまでは、この手の悲劇も堂々とした映画として映画化され、一般劇場で大々的に公開されたものだ。
ナスターシャ・キンスキーの美しさはとりもなおさず、フィリップ・サルドの音楽、ジェフリー・アンスワースとギスラン・クロケによる撮影、衣装、美術とどれをとっても一級品。
製作は、この後しばらくして『愛と宿命の泉』という文芸大作を監督するクロード・ベリ。
文芸大作を堪能するとともに、文芸大作がつくられた時代を懐かしく思いました。
文芸大作なのに飽きさせない
シャロンに捧ぐの献辞からも明らかなように、R.ポランスキーが力を抜かずに作っているのでダレがほとんどない。N.キンスキーの美しさも特筆もの。音楽と衣装も素晴らしいです。公開当時、日本でもかなりヒットしました。いま見返してもやっぱり良かった。今の日本じゃヒットしないだろうなー。
ポランスキーが本格的に挑んだトーマス・ハーディー文学の古典的な美しさ
ナスターシャ・キンスキー主演のクラシック映画復活のドラマ。ポランスキーにしては微妙に奇麗事過ぎる映画作法だが、それだけに正統派も熟せる映画人の自負心を感じる。それがキンスキーの個性的な美しさと相まって、滋味豊かな愛のロマンが展開される。見所はキンスキーと並んで、ジェフリー・アンスワースとギスラン・クロケの撮影が、兎に角美しい。フィリップ・サルドの音楽も的確だ。
ただし、ポランスキーが本格的にトーマス・ハーディー文学に取り組んだ演出力は見事なのだが、これまでのポランスキーらしいアクの強さが感じられないのが惜しい。そのポランスキーは、アメリカを追われたことに対する謝罪のつもりで、このイギリス文学の純粋な男女の愛を描きたかったのだろう。舞台背景の良さ、古典ドラマの美点、役者の演技レベルの高さ、これらに対するポランスキーの演出に個性不足を感じてしまった。
1980年 12月16日 みゆき座
クズ男たちに…
運命を翻弄される美しき儚げなテス。第一の男ダーバヴィルはもっての外だが、第二の男エンジェルもかなり酷い。テスが悪いわけではないのに、辛い過去を許すことができない男の小ささ。ラストも今更戻ってくるのおせーよと。こいつのせいで殺人まで犯してしまい、絞首刑となってしまうテスはあまりにも辛すぎる。当時の封建社会、男女の身分差が暗い影を落とす。ハッピーエンドが望ましかった。ナスターシャ・キンスキーの美しさ、寂しげな表情は圧巻。
美女と取り巻く身勝手な奴ら
美しいが故に要らぬ不幸を背負ってしまった。娘に頼り働かずに済ませようとする両親、弱みにつけこむ男、自分の許しを請いながら人は許せない身勝手な男。
特に、この婚約者は、今更のように会いに来て混乱させて、結果身を滅ぼさせる。最後まで助ける、といいながら、即物的な欲望に負け、救おうともしない。男として許せない。
典型的な周囲の悪状況で、健気に生きるナターシャ・キンスキーの無邪気すぎる姿と美しさが際立つ。風景の美しさと相まって心に残る。
ファムファタルを体現した美しさ
ナスターシャ・キンスキー、本作撮影時18歳
その美貌は3時間近い長い物語を飽きさせずに画面に目を釘付けにするほどのもの
ふっくらととした女性らしい柔らかい身体の線は胸にも腰にもない
だからセクシャルな官能的な美しさではない
両手を彼女の腰に回せば、左右の指が触れそうなほどに細い
そして背筋は後ろに反った美しい湾曲したラインを描いている
硬い果実のような処女を映像にするならば彼女がそのものだ
しかし、それはロリータとはまた違う
男を翻弄するような小悪魔的でもないし、子どもでもない
テスは自分を持った分別のある大人の女性だ
アレックに襲われてしまったのはまだ男の怖さを知らなかった、経験値が足らなかっただけのこと
ファムファタルという言葉がある
運命の女とも宿命の女とも、魔性の女とも訳される
クリムトの絵画にも描かれている
その絵画はもう少し柔らかい線の女性だが
ナスターシャ・キンスキーはもっと硬いまだ少女のラインを持つ身体であるが、疑いもなくファムファタルそのひとだ
ファムファタルとして有名なギュスターブ・モローの絵画サロメよりも、彼女はまださらに細く硬い
男は彼女を一目みれば運命を変えられてしまう
迂闊に近づけば心を奪われ身の破滅を招く女性だ
賢明ならば自分には関係のない女性だと、想いを抱いてしまう前に頭から追い出さないといけない
そんな美人のこと
本作のナスターシャ・キンスキーの画面に写る姿は、そのレベルの美しさを体現している
果たして、本作に登場する二人の男性は身の破滅に至るのだ
テス自身は異性に対して奥手であり、慎み深い女性であることは冒頭の草原でのクラブダンスのシーンで最初に語られる
しかしエンジェルは別れ際に二度見どころか三度見して去っていく
彼女の美貌は磁力の様に男を引き寄せてしまうのだ
彼女は普通のどちらかといえば奥手の貧しい農家の娘にすぎないのにそうなってしまうのだ
美しい、ただそれだけで得する女性もいる
しかし美女もあるレベルを超えると却って不幸になってしまうのだ
それが彼女だ
普通の男性は危険を感じて避ける様になる
近寄って来るのは、美女をモノにする事だけに関心のある碌でもない男
またはその美しさを女神の様に清純そのものの存在として崇めて、生身の女性として見れない一点の汚れも許せなくなる男
この二種類の男しか寄って来なくなるのだ
正に本作の二人の男だ
テスは何一つ悪くはない
ただその美しさが勝手に男を狂わせてしまうのだ
本作はこのファムファタルの美しい魔力の有り様を見事に映像にしてみせている
ナスターシャ・キンスキーでなければできなかっただろう
そしてポランスキー監督が彼女のその美しさ、そしてそれがもたらす恐ろしい力を見事に描ききっている
美人なのに、良い彼氏ができない、近寄ってくるのは碌でもない男ばかりとお嘆きの貴方に、ぜひ観て頂きたい作品です
普通の誠実な男性を望むなら、貴方が逃げ腰の彼を積極的に引き寄せて、逃げてしまわないように、あきらめてしまわないようにむしろ積極的になる努力が普通の女性以上に必要なのです
そして早い段階で本当の貴方をさらけ出さないといけないのです
それなりのあなたには、普通で良かったと安堵できる作品ではないでしょうか
ナスターシャ・キンスキーの美しさをただただ堪能。 物語自体はさほど...
ナスターシャ・キンスキーの美しさをただただ堪能。
物語自体はさほど面白いものではなかった。えー、そんな結論になるの?って感じ。当時の歴史的知識が若干必要かも。そしてあまりに長い。
やはり本作はナスターシャ。ただなぜだろう、綺麗とは思うのだが、熱烈なファンにはなりきれない。綺麗すぎるのか?不思議だ(笑)
生贄
貴族の末裔?なのかな…ある意味気高い
貞操観念は低いとされるが、仕方のない家庭環境と運命
生まれ持った美しい顔姿が仇となる
本当に美しいねナスターシャ・キンスキー♡
景色も衣装もシチュエーションも撮影も本当にため息の出る美しさ
野良仕事も乳しぼりも美しい19世紀
(ドレス着て働くのねこの時代)
ロマン・ポランスキーの芸術性の高さも認めざるを得ません
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