ティファニーで朝食をのレビュー・感想・評価
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誰かに“飼われ”ないと生きていけない
ホリーは名もなき子犬のように誰かに”飼われ”ないと生きていけない。そんなホリーを主人公たらしめ、人生の物語を与えるのがポールなんだ。
これぞ恋愛映画って感じで観てよかった。オードリーヘップバーンは美しい。
オードリー絶頂期の流れるような動きに注目!
1960年代、まだニューヨークに拠点を置く宝石店に過ぎなかった"ティファニー"が、この映画によって世界的なジュエラーへとステップアップしていった。高級で粋なイメージを形作ったのは、もちろん主演のオードリー・ヘプバーンだ。撮影当時31歳のオードリーは人気、実力共に最高潮で、特に、ジョージ・ペパード扮する無名の作家、ポールに叩き起こされて、その日がシンシン刑務所を訪問して意味不明の天気予報を伝えるだけでお駄賃がもらえる木曜日と知って、急いで歯を磨き、メイクを施し、着替えて靴を履き、大きなハットを被って玄関まで降りていき、郵便受けに入れてあるコロンを耳元に吹きかけ、エイローキャブに乗って行先のグランドセントラル駅を告げるまでの約15分間は秀逸だ。その間、何度もリテイクしているはずなのに、オードリーの演技と動きがあまりにもスムーズだから、分かっていても繋ぎ目を感じさせないのだ。根無草のコールガール役はそもそもオードリーの個性と真逆だが、"ティファニー"のハイジュエリーや、ジバンシーがカスタマイズしたブラックドレスにも助けられ、カポーティの原作とは異なるエンディングへと突っ走る物語は、結果的に他のどの作品よりもオードリー的。60年代ニューヨークのかなり下世話なパーティシーンも見ものだ。
日本人差別でぶち壊し
オードリーヘップバーンは綺麗だよ、ティファニー素敵だよ、だけどね、「クニヨシ」って何だ「クニヨシ」!このキャラは完璧に日本人差別からきています。後でどこかでこの映画の制作関係者が「日本のみなさんゴメンナサイ」と言ったのを見ましたが、遅い!当時白人が日本人をどう思っていたのか垣間見えます。今もそうだろうけど。だからこの映画はオススメできないね。
ムーン・リバー+ヘプバーンにグッときた
「午前十時の映画祭」で鑑賞。
『ムーン・リバー』とヘプバーン。それだけでグッとくる。なんでか知らんけど。
やはり不世出の女優だと思います。
作品じたいは期待したほどでもなかったなぁ。
追記
それにしても「ユニオシ」という名前はなんなんだ? と思い、もしやアメリカで活躍した日本人画家、国吉康雄から来ているのではないか?
――と調べてみたらWikipediaにそのようなことが書いてあったのでうれしかったです😊
原作を不朽の名作にしたのはオードリー
原作者のカポーティはオードリー・ヘプバーンは適役でないと言ったらしいのだが、細身のオードリーが泣くと観客に切なさが募る。どのシーンも忘れなくしてしまうのはオードリーあってこそ。原作は読んだことがないのに、こういうのは変だが、どんなによく書けた本でも、この映画以上の再現は望めない気がする。不安定な身分の中で自分を探す全ての人に優しく語りかけている。
オードリー・ヘップバーンの品の良さを感じた作品
BSで録画視聴。
ラブコメの要素もあるラブストーリーの印象を受けた。
オードリー・ヘップバーンは昨年観たローマの休日でも、同じことを感じたが、ラブストーリーの作品での演技は上手いなと改めて再認識。彼女の演技には品がある。
映画音楽ファンなら必聴のムーン・リバーも作品の余韻を味わうのにふさわしい。
最近の洋画で犬がポイントになる作品が増えている。今回は猫。動物に注目して映画を観るのもいい。
オードリーが可愛すぎる
あまり感情移入できる登場人物はいなかったけれど、オードリーの美貌だけで観る価値あり。同じ女性として何から何まで憧れる。
どのシーンも画になっていて綺麗だし、クスッと笑いもあり飽きずに最後まで観られました。本当の愛に気付く?みたいな結末はまあよくあるものかな、、、人のものになりあうことだけが幸福への道、本当かなあ。
ムーン・リバーを歌うオードリーは美しく、茶トラのキャットが可愛い。...
ムーン・リバーを歌うオードリーは美しく、茶トラのキャットが可愛い。ミッキー・ルーニー演じる日系人ユニオシの描写はかなり微妙…。マンシーニがアカデミー賞主題歌賞と作曲賞を受賞。
「映画館で」
今年68本目。
両親がオードリー・ヘプバーン好きで世界で一番美しい女優だと言っていました。自分もそうだと。パーティでバーボン作る、お酒の描写が凄くいい。男性は女性を食事に誘えば女性が喜ぶと当たり前のように思っている、自分もそう思っていました反省。誘う勇気は持っていて当然いいと感じます。
彼女が部屋の窓ごしにギターで「ムーン・リバー」の歌詞の歌。ここが一番好き。「ムーン・リバー」はタイトルなのかなご存じの方は多いかなと思います。
最後が良過ぎる。最後に2時間"映画"見たと感じました。
気分をレッドにさせるもの
午前十時の映画祭にて鑑賞。
オードリーの表情のズームの度に顔がキラキラ輝いており、その美しさに惹かれるのも無理はない。しかし可愛げのある悪女ほど怖いものはない。
パパ活女子と間男のラブロマンスはどこかモヤモヤする。
オードリー・ヘプバーンさんの美貌と不朽の名曲に酔いしれる
午前十時の映画祭14にて鑑賞
何十年ぶりかに観たんだと思いますが、自分の中で美化しすぎていたようで、あまりパッとしませんでした(昨年秋の「ローマの休日 リバイバル」はすごく良かったんですけどね)
オードリ・ヘップバーンさん演じる主人公ホリーは突き抜けて自由奔放な女性、常にタバコをふかし、時にワガママ過ぎたり、意味不明に自暴自棄に振る舞ったりとかなりの情緒不安定さを抱えた女性、過去のオードリーさんの演じた女性像と違いすぎて少々面食らいました、視聴者の勝手な言い分ですが、こんな女性は相手にしたくないなと思えすぎちゃって、正直全然のれなかった
でもオードリーさんは相変わらず、とても綺麗で時折見せる表情がすごくキュート、私はリアル世代ではないですが、この魅力にノックアウトされた男性が世界中にごまんといるのも納得です
ちょっと細すぎるかなとは思いました、劇中でも元夫にガリガリだなあと何度か言われたましたよね、本当にそう思いました
1961年のオスカーも受賞した映画史に残る不朽の名曲“ムーン・リバー”、本当にいい曲で、本作の空気観にもピッタリの曲、劇場の大画面で本作・本曲を堪能できて、それだけで最高に幸せな体験でした
あとは何故このタイトルなのか?がずっと頭の片隅にあって、すごく気になりました
オープニングにホリーが早朝に開いていないティファニーの前でクロワッサンをほおばってましたね、それと中盤にもう一回ティファニーが出てきますが、それ以外全く筋と関係ないですね、原作を読むともっとティファニーの存在感が前面に出てるんでしょうか
そしてもっと謎だったのが何とも摩訶不思議な謎のパーティシーン、しかも会場はホリーの家、名もなきマダムの頭に誰かのタバコがくっついて、燃えて炎が上がっているのに周りの人が全く気づかずお喋りに夢中、誰かの持っていた水がかかって消火されるという面白すぎるくだり、思わず声出して笑ってしまいました、あれホントに何だったんでしょうか・・・
懐かしの変な日本人も出てきます、昔はよくこういう“間違っちゃった日本人キャラ”がよく出てきましたよね、しかも出っ歯な所が「Mr.BOO! シリーズ」のマイケル・ホイさんを思い出しました
とまあ、何だかんだ言って、いろんな所が楽しめました
時代を彩ったオードリーのおしゃれな映画でした
ローマの休日などと共にオードリー・ヘプバーンの代表作の一つですよね。
テレビでも何度も放送されていたので一度だけ見た事はありました。
正直その時は何だか良く分からない映画だなと言うのが素直な感想でした。で今度は劇場で。
そしてこう思いました。
もうこれはオードリー・ヘプバーンを見るための映画なんだと。
1961年公開というからもう60年以上前の映画です。公開当時からすれば、ティファニーの前でコーヒー片手にクロワッサンを食べたり、古き良きニューヨークの街並、自由奔放な女性を演じたオードリーが着こなすファッションなど、恐らくとてつもなくオシャレな映画だったんだろうなと思うのです
物語は魅力あふれるホリーが男達を翻弄しながらも、そんなホリーに惹かれて行く作家のポールとのラブストーリーなんだろうけど、でもそんな事よりもこの作品の最大の見どころはオードリー・ヘプバーンそのものだと思うのです。
笑うオードリー、泣くオードリー、歌うオードリー、怒るオードリー、スクリーンはキュートな魅力あふれるオードリーでいっぱいです。
その時この映画を見た女性達はオードリーに憧れ、そして男達はオードリーを守ってあげたいときっと思ったに違いないと思うのです。
映画館で見るティファニーで朝食をは、ムーンリバーと共に色褪せないオードリー・ヘプバーンに魅了される素敵な映画でした。
クラッカージャック!
ヘンリー・マンシーニの音楽を聴きながら、劇場の大きなスクリーンで、オードリー・ヘプバーンを観る。
至福の2時間。
午前十時の映画祭ありがとう!
ファーストシーンとラストシーンは何度も見ているのに、字幕で、劇場で、通して観たのはこれが初めて。
クラッカージャック懐かしかった。
ホリーがティファニーのウインドウ見てるように、スクリーンのオードリー観てるだけでうっとり。幸せ。
まさに銀幕のスター。
思いのほか、ジョージ・ペパードが良かった。
ブレーク・エドワーズ監督、ジュリー・アンドリュースと結婚する前はオードリーの作品撮ってたんだ。なんか不思議。
ザ妖精
オードリーは好きだけど、そしてこれは代表作だけど、今回初見。
ん?ティファニーって食べるとこ併設されてた?
しかも朝からやってるの?なんて思って観てみたら。
あらら、こんなお話。
昔のお話ですからこんなのもありかな〜と私は思いました。ちょっといっちゃってる系の女の子?ホントは10代で卒業して欲しい。(笑)
でも14で結婚しちゃったらこうなっちゃうかも?
虹の向こうに何かがある。と信じてる。
オードリーだからこんな破天荒なキャラも清潔感を保って成立したような気がする。本当に素晴らしく綺麗。
みなさん、気にされてる出っ歯さん。
あれはおそ松くんのイヤミにしか見えなかった。
化粧室の50ドル
「バカな娘とお思いでしょう」
午前十時の映画祭14異例の夜間上映に参加。
もう今更言うまでもない、オードリー・ヘップバーンの代表作のひとつ。トルーマン・カポーティの短編小説をブレイク・エドワーズ監督が映像化した。
だが、本作がカポーティの本意だったかはよく分からない。原作を読んだわけではないが、カポーティにしては甘ったるい感じが漂うし、本来ならばホリーはマリリン・モンローが相応しいのだろう。試写を観たカポーティがひっくり返ったという噂を真とするならば、大分原作蹂躙されたことは想像に難くない。
そういった経緯もあり、僕は本作をオードリーのNo.1の作品には持ってきたくない。だが、ビジュアル面ではあらゆるオードリーの中で最も好きだ。盛り上がった髪、小さな顔を埋め尽くさんばかりの大きなサングラス、そして煙草…ジバンシィが素材本来の味を最大限に引き立たせるものだから、やることなすこと全て無茶苦茶なのにホリーのことを何故か憎めない。むしろたまらなく愛おしい。ここにヘンリー・マンシーニのスコアが加われば、オードリー、ジバンシィ、マンシーニのトリニティが完成しここまでのありとあらゆるマイナスが全て帳消しになる。
もはや古典の域に達しつつある本作。しかしながら、劇中のティファニー本店の店員の言葉を借りるならば、「目まぐるしい中でどこかホッとした思いがする」のが本作の魅力だ。
私事だが、8年前にニューヨーク五番街のティファニー本店に行く機会に恵まれた。開店前に飲み物を飲みながらウインドウショッピングをし、開店してから店内で香水を買ったのは幸福な思い出だ。店内を歩きながら、傍には"My Huckleberry Friend"ホリー・ゴライトリーの気配を感じていた。
原作の繊細さがほぼ表現できなかった失敗作。オードリーもあまり美しく撮れていない(ムービーでは)
ホリー・ゴライトリーとはどういう人物なのか。原作を読む限りでは3つの特徴がある。
1つ目は、偽善や、形式張った取り澄まし、「まやかし」を見抜く鋭い嗅覚を持っていること。
2つ目は、「まやかし」を糾弾しながらもある程度は受け入れる優しさがあること。
「男たちとセックスをして、金を搾り取っておいて、好きになろうと思おうともしないなんて道にはずれた話よ」(原作で私が一番好きなホリーのセリフ。映画には出てこない)
3つ目は、「旅行者」であること。これは彼女のメンタルを時々支配する「いやったらしい赤」(おそらくは後悔や不安といったネガティブな念を言っているんだと思うが)から逃れるため一箇所にとどまらないということもあるが新しい土地や新しく知り合う人達への純粋な憧れや興味があるからだと思う。
よく似ている人物がいる。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールド。ずっと後世の言葉で言うと「アダルトチルドレン」ということになるのか。処世術の上手くない純粋な心持ちの人達なのである。
サリンジャーとの符合は原作が世に出た当時から言われていたようで、映画でジョージ・ペパードが演じる作家ポールの短編集は「9 lives」という。サリンジャーの「9 stories」を踏まえていることは明らかでなんとも無神経。カポーティはさぞ腹がたっただろう。
ホリーと、気の弱い駆け出し作家が心を通わせる繊細な物語なのである。原作では作家の名前は出ない。ホリーは兄の名前であるフレッドと呼ぶ。名前が出ないのは視点者としての匿名性とまだ何ものにもなっていない若さを表現するためだろう。映画化にあたっては主要登場人物に名前がないとと単純に考えたのだろうが(猫はまあ良いとして)こういうところが浅はかなのである。
映画は原作の繊細なイメージをほぼ表現できていない。いくつか指摘すると、まずは作家の人物造形。この作家は原作者カポーティそのものであって小柄で内気な人物であるはず。ところが演じたのはジョージ・ペパードでマッチョなハンサム。全くミスキャストである上にセリフが特に原作とはかけ離れて脚色されている。例えば「身体を売っている」とダイレクトにホリーを非難するところ、そして最後のプロポーズで「あなたは自分のものだ」とか「自分の殻を破れ」とか言ってしまうところ。原作におけるホリーと作家の関係性ではあり得ないセリフであり当時の一般的な価値観からいってやむを得なかったのかもしれないが原作を捻じ曲げる脚色であると言わざるを得ない。
そしてオードリー・ヘプバーン。世間では彼女は神聖化されているので、ホリーを社会的に逸脱しているとか支離滅裂であるとか非難してオードリーが演ずる役としてふさわしくなかったと論ずる向きがある。
ホリーは前述の通り魅力的な人物であり、その性格なり価値観は、原作では相当に長い彼女自身のセリフで説明されている。映画はその十分の一の量のセリフしかないのでオードリーがホリーの魅力を再現することは難しかったと思われる。セリフが少ないのはそれだけセリフを覚える技量や時間がなかったのか、あるいは仮に覚えたとしても身についた言葉として表現する演技力がなかったかのいずれかだと思う。(余談だがこの映画は企画段階ではパトリシア・ニール主演で準備されていたのではないか。でないと原作にはない特に必要ない役で彼女が出演している理由がない)
不思議なもので脚本や演技が駄目だとヴィジュアルも駄目になる。この映画でのオードリーはあまり美しく感じない(他の作品と比較してという意味だが)
アートディレクションが優れているのは冒頭のティファニー前でパンを食べるシーンと、宣伝用のスチール写真。この2つは映画の出来にかかわらず美しい。特にキセルを持って正面を見ているオードリーのアップ写真は古典となった。
以前からこのスチールを撮ったフォトグラファーが誰なのか気になっていて今回もクレジットをよくよく見ていたのだが表示されていない。ムービーのフランツ・プラナーはモノクロ時代からの名手ではあるがこのようなファッショナブルなスチールは撮れなかったはずだ。ご存知の方がおられたらご教示ください。
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