独裁者のレビュー・感想・評価
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A history lesson
Chaplin's first talky picture is naturally awkward. Watching it today with the perspective that it was made before the US entered the war against Germany, one could imagine that many viewers hadn't known who the Nazis' Hitler was until they saw him parodied in this comedy. Much of the film feels familiar due to later films. Even as it feels inferior, you can't forget that this was the first.
魂を震わせる、圧巻のラスト5分の演説シーン
【イントロダクション】
サイレント映画の帝王にして世界三大喜劇王の一人、チャールズ・チャップリン初のトーキー作品。チャップリンは、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーをモデルとした独裁者、アデノイド・ヒンケルと、ユダヤ人の理髪師の二役を演じ、ヒトラーとファシズムを痛烈に風刺・批判した。チャップリンは主演の他に、監督・脚本・製作も務めた。
第13回アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、作曲賞の5部門にノミネートされた。
【ストーリー】
第一次世界大戦中の1918年、“トメニア”の陸軍部隊に徴兵されていた“ユダヤ人の理髪師”は、負傷した飛行士官のシュルツ(レジナルド・ガーディナー)を偶然救出する。2人は飛行機で飛び立つが、燃料切れにより墜落。救助されたシュルツは、トメニアが降伏した事を聞かされ深く悲しむ。一方、理髪師は墜落のショックで記憶喪失となっていた。
理髪師は記憶が戻らないまま、病院にて数年の時を過ごしていた。その間トメニアでは、アデノイド・ヒンケルが独裁者として君臨し、自由と民主主義を否定。ユダヤ人を迫害するようになっていた。
病院を抜け出した理髪師は、ユダヤ人居住地区“ゲットー”の理髪店兼自宅に戻ってくる。時間の経過を理解しておらず、埃と蜘蛛の巣だらけの店内に呆然とするが、彼の帰宅を信じて待っていたジェケル(モーリス・モスコヴィッチ)やゲットーの仲間達に温かく迎え入れられる。更に、理髪師はユダヤ人を迫害する突撃隊との衝突を通じて、ハンナ(ポーレット・ゴダード)という女性と親しくなる。
ある日、理髪師は突撃隊から吊るし首にされそうになっていた所をシュルツに助けられる。シュルツは突撃隊長になっていたが、かつて命を救われた恩から、ユダヤ人に手を出さないよう部下に命じる。
一方、ヒンケルは隣国の“オーストリッチ”侵攻を企て、ユダヤ系の金融資本から戦争費用を抽出する為、ユダヤ人への迫害を一時的に停止させた。しかし、資金援助を断られるとヒンケルは激怒。シュルツにゲットーを襲撃するよう命じる。シュルツが反対すると、ヒンケルは彼を強制収容所に送る。ヒンケルは、ラジオ放送でユダヤ人に対する怒りを露わにした演説を行い、再びユダヤ人を迫害する。
強制収容所から脱走したシュルツはゲットーに潜伏し、ヒンケルの暗殺を計画して同志を募る。後日、理髪師とシュルツは突撃隊に捕えられ、強制収容所に送られる。ハンナ達はオーストリッチへ亡命し、葡萄園で働きながら新しい生活を始める。
時を同じくして、トメニアには近隣国“バクテリア”の独裁者ベンツィーノ・ナパロニが、オーストリッチ侵攻を巡って話し合いに訪れていた。
【感想】
本作のアメリカ公開は1940年。まだアメリカと日本が第二次世界大戦に参戦する前である。にも拘らず、これだけナチス・ドイツの蛮行を痛烈に風刺・批判する作品を作り上げていたチャップリンの先見の明に驚かされる。
元々、チャップリンとヒトラーの特徴が似ているという所から始まったそうだが、それにしても本作でのチャップリンのモノマネは非常に似ている。英語をドイツ語風に発音して演説する姿は、声のトーンまでソックリである。だからこそ、彼がヒトラーを茶化す姿が面白い。
チャップリン曰く、「ヒトラーという男は、笑いものにしてやらなければならないのだ」そうで、彼の独裁政権への強い批判精神が現れている。
そうした政治的な風刺や批判を抜きにしても、チャップリンならではの様々な動きのコミカルさが見ていて楽しい。特に、ヒンケルが総統室で風船の地球儀で遊ぶ姿。理髪師がラジオから流れるブラームスの『ハンガリー舞曲』に合わせて髭を剃る姿は印象的。
また、ユダヤ人への迫害を再開する際のラジオ演説における、怒りに満ちた表情が素晴らしい。まさに狂気の沙汰である。
冒頭の第一次世界大戦の描写の作り込み具合が素晴らしい。塹壕を移動する兵士や、銃撃、突撃するシーンは、今見ても十分迫力がある。こうしたリアリティある戦場描写が、チャップリンのコミカルな演技をより引き立たせている。
シュルツを救出してからの、飛行機での飛行シーンのユニークさも面白い。逆さ飛行による、懐中時計や水筒の水が「下から上」に向かって漂う様子は、日本の『ドリフ大爆笑』といったコントにも影響を与えている。
ポーレット・ゴダードの美しさが眩しい。特に、理髪店で髪をセットされてからの姿は必見。この当時はチャップリンのパートナーとして、公私共に彼と過ごしていたそう。ラストで希望の光に照らされる横顔が美しい。
シュルツ役のレジナルド・ガーディナーの渋さも良い。また、彼がヒンケルのユダヤ人迫害に反対する際に言う、「罪なき者を迫害して築いた国家は崩壊する」という台詞は、そのままナチス・ドイツの敗戦にも繋がる皮肉なメッセージとなっている。
【映画史に残る、ラスト5分間の演説シーン】
本作の評価を決定付けるのは、何といってもこのラストの演説シーンだろう。
人種の壁を越え、自由と尊厳を胸に人々に立ち上がる事を説いたその内容は、今日を生きる我々の胸にも、強く、熱く響くものである。
『申し訳ないが、私は皇帝になりたくない。
支配も征服も嫌だ。むしろ皆を助けたい。ユダヤ人も黒人も白人も。
人類は助け合いを望んでいる。
支え合って幸福に生きたい。憎み合いは嫌だ。
地球には皆の場所があり、大地は恵みに満ちている。自由に生きられるのに、道を見失った。強欲が人々の魂を毒し、憎しみの壁を築かせ、殺戮へ向かわせた。速度は増したが、孤独になった。機械は貧困をもたらした。知識は人を懐疑的にし、知恵は非情にした。頭ばかりで心を失った。
機械よりも人情が、知恵よりも思いやりが必要だ。それがなければ、暴力だけが残る。飛行機とラジオは我々を近づけた。全世界に兄弟愛を呼びかけ、人類をひとつに結びつける。
私の声は、今も世界に届いている。何百万の絶望した人々に。無実の罪で逮捕され、拷問される人々に。
彼らに言う。絶望してはならない。
人類の進歩を恐れる者の敵意と強欲が、我々の上を通過している。だが、憎悪は消え、独裁者は死に絶える。人民から奪った権力は、人民に戻る。人間に死があるかぎり、自由は滅びない。
兵士諸君、獣たちに従うな。彼らは諸君を軽蔑し、奴隷にし、思考と感情を統制する。家畜のように扱い、大砲の餌食にする。
彼らは人間ではない。機械の頭と心を持つ機械人だ。諸君は機械や家畜ではない、人間なのだ。心に愛を抱えている。愛を知らない者だけが憎み合う。
兵士諸君、自由のために戦おう。
“神の王国は人の中にある”という。それは君たちの中にあるのだ。君たちには力がある。機械を作り、幸福を生む力が。人生を自由で美しく、すばらしい冒険にする力が。
民主主義の名の下に、その力を使おう。新世界のために戦おう。人々に労働の機会を与え、若者に未来を、老人には保障を。
獣たちも同じ約束をした。だが、彼らは決して約束を守らない。独裁者たちは民衆を奴隷にする。約束を実現するために戦おう。世界の解放のために。障壁を取り除き、強欲と不寛容を取り除くために。理想の世界をつくるため。科学と進歩が幸福をもたらす世界を。
兵士諸君、民主主義の名の下に団結しよう!』
【総評】
喜劇王に相応しいチャップリンのコミカルな演技、その裏にあるナチス・ドイツの風刺。魂を震わせるラスト5分の圧巻の演説シーンは、戦争そのものに対する批判、文明の発達によって心を失いつつある人間に対する批判である。だからこそ、そのメッセージ性は未だ戦争を繰り広げ、文明社会で心を失っていく現代においても決して古さを感じさせない。
ネット社会で情報の速度は増したが、欺瞞や扇動は憎み合いを増幅させている。画面越しのやり取りによって、人々は孤独を深めている。他者に対して懐疑的となり、非情さは増すばかりだ。
政治家達は、当選の為に机上の空論、綺麗事で塗り固められた理想論を振りかざすばかりで、約束を守りはしただろうか?
もうとっくに、暴力だけが残る世界になりつつあるのかもしれない。
今の時代でも通用するコメデイ
チャップリンの作品はニュースやドキュメントしか観ておらず
今回が初めて。BSで録画視聴した。
文句なし!面白かったし、今の国際情勢を観てもあまり笑えない状況だが
この作品はチャップリンらしく面白かった。コント風だが、チャップリンらしい
ユーモア、当時のナチスへの皮肉も作品から込められていた。
今の国際情勢に置き換えてみても通用する作品なのかもしれない。
チャップリンの偉大さに改めて再認識した。他の作品も観たい。
いい意味で楽しかった作品です。
平和主義者チャップリンが全身全霊をかけて独裁者の愚かさをカルカチュアした喜劇
喜劇王チャップリンがナチス・ドイツの最高権力者アドルフ・ヒトラーを批判するために創作した大胆かつ斬新なカルカチュア・コメディ。1930年代トーキーになってもサイレント映画への愛着を捨てきれなかったチャップリンは、前作「モダン・タイムス」(1936年)で初めて肉声を聞かせたが、それは僅かにラスト数分の意味の分からない言葉で誤魔化した扱いだった。それがこのメッセージ性が強い完全なトーキー映画では、主人公トメニア国の独裁者アデノイド・ヒンケルの演説を翻訳困難なドイツ語風英語で話しています。独裁者の演説に耳を傾ける価値はないとするチャップリンの強い拒否反応の表れは、これによって映画のクライマックスであるユダヤ人の理髪師が熱く語る平和への希求を更に際立たせることになりました。1938年に原案から映画化を決め、翌39年脚本を仕上げクランクインしたのが、9月1日のドイツ軍のポーランド侵攻から勃発した第二次世界大戦開戦の2週間後とは、正に刻一刻と激変するヨーロッパの戦禍を想いながら映画制作を行ったことになります。当時は新聞とラジオがマスメディアを担った、今の時代からは想像もできない限定された情報と真偽不明の不確実性の時代です。その不安と混乱の中にいる人々に向けて問う、平和の大切さと人間の価値についてのメッセージ。ある意味命がけの映画制作だったでしょう。個人的には「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」のペーソスとユーモアのチャップリンを敬愛するものの、この作品に賭けるチャップリンの想い、ヒューマニティーを最も大切にする映画人の良心と完璧を追求する作家としての徹底力には、敬服しかありません。この「独裁者」始め「モダン・タイムス」「殺人狂時代」の社会批評作品を真摯に受け止めたい本意の中には、人間愛に溢れたサイレント長編名画の存在が大きく占めています。偶然にもヒトラーと同年同月生まれのちょび髭を付けた小柄な体形が相似するチャップリンだから演じられた、唯一無二の映画の存在価値は運命的とも言えます。サイレント映画の目で見て解るパントマイム芸の絶対的誇りを持つチャップリンが、全身全霊で取り組んだ20世紀最大の暗黒時代のこの反戦コメディは、永遠の輝きとメッセージを持つでしょう。
名場面が連続する中で特に印象に残るシーンを挙げれば、先ず内相兼宣伝相ガービッチに洗脳される場面です。ユダヤ人排斥で純粋なアーリア人国家を築けば閣下は神と崇められます、と煽てられるヒンケル。神と持ち上げられて自分が怖くなるも、気持ちが高揚するヒンケルはカーテンの端を掴みながら高く舞い上がる。この身の軽さで感情の高ぶりを表現した、トリック含めた巧さ。更にオーストリッチに侵攻して他の国を降伏させれば2年で世界を征服できます、と独裁者の最終祈願に話が及び、ここで一人になったヒンケルが大きな地球儀の風船で戯れます。BGMはワーグナーの「ローエングリン」の前奏曲が流れ、自己陶酔したヒンケルがテーブルに寝そべってお尻で跳ね返すコミカルさと、浮き上がった地球儀がトメニア国家のダブルクロスのマークと一緒に映る不気味さの、なんとも形容しがたい感覚。独裁者とはいえ実務的な作戦や細かい指示もガービッチ頼りの傀儡のような幼児性が、世界征服を企む恐怖。コメディとしての独裁者ヒンケル像は、チャップリンの慈愛の精神からみたら子供がおもちゃで遊ぶ程度のものなのかも知れません。またこのシニカルな場面は、チャップリンのパントマイムの上手さと独創性を見せ付けます。
続いて床屋でチャップリンがブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番に合わせて客の髭剃りをするシーンの面白さ。剃刀を持った手の動きが緩急のテンポに合わせて変化する、パントマイムの至芸と言えるでしょう。剃刀の怖さとそれを無表情に磨くチャップリンの対比。独裁者との二役に理髪師を設定した意味は、この至芸を見せるためと、お洒落をする余裕のない孤児ハンナを美しい女性に変身させるためにあったようです。
第一次世界大戦で理髪師を命の恩人と気遣うシュルツ司令官がゲットーに忍び込んでからのドタバタ劇はオーソドックスなもので、コインの入った焼き菓子に当たると暗殺者に選ばれるシーンは、結局理髪師一人がコインを何個も飲み込む羽目になる。チャップリン得意の食事シーンです。シュルツ捜索の記事に怯える理髪師が一瞬にして家具に隠れるところも可笑しい。その後3人が同時に入ろうとするギャグのナンセンスな可笑しさも加わります。ここからシュルツ司令官と理髪師が逮捕され、強制収容所に送られてから物語が急展開する脚本の構成力も素晴らしい。理髪師の仲間が徒歩でオーストリッチに亡命するカットとハンナの手紙を感慨深く読む理髪師のカット。一方官邸ではオーストリッチ侵攻の準備が整い戦争相へリング元帥が総統から勲章を贈られる。勲章を既に沢山着けているヘリング元帥が、総統の祝辞(何を言っているのか分からない)を聞きながら感極まって咽び泣きます。権威に対するチャップリンの強烈な批判を感じられるシーンでした。そこに独裁者ベンツィー・ナポロニが君臨するバクテリア国軍がオーストリッチ国境に進軍した知らせが入る。ヘリング元帥がフレームインして信じられないと呟き、振り返った総統が怒りに任せて問い詰める。ここでも総統の罵詈雑言の意味は分かりません。でもヘリング元帥の勲章を一つ一つ外していくことで、誰もが理解できるパントマイムの表現力の分かり易さがあります。総統の怒りは頂点に達し軍服のボタンまでむしり取り、終いにはサスペンダーを止めるボタンにも手を掛ける。ヘリング元帥の配役を肥満体のビリー・ギルバートにした効果が、ここでも生かされていました。するとナポロニから電話がきて、ヒンケルの代わりにガービッチが対応するシーンの描き方が興味深い。チャップリン扮するヒンケルは常に威張りくさっているものの、肝心な時は臆病で小心者です。部下には命令するか怒っているかのどちらか、一人の時はピアノを嗜むくらい。対してガービッチは常に冷静沈着でヒンケルに的確な進言をしています。組織のトップには、ただ祀り上げられて部下の参謀にいいように使われている面もあるという視点と、そんな立場だからこそ参謀以外には高圧的に対応し冷酷化するのではの考察もできます。ヒトラーひとりの異常性だけでナチス・ドイツの罪を語るべきではなく、独裁者と独裁者を容認した組織の両方に問題がある。
ヒトラーとムッソリーニをモデルにしたヒンケルとナポロニの関係は、1934年と1936年に実際に会談した史実を参考にしているようです。34年オーストリア問題で決裂した両者も、36年にはイタリア側がオーストリアへの関心を放棄し、ドイツのオーストリア併合を容認したとあります。その2年後の1938年3月にオーストリアがナチス・ドイツに併合されたのは、ロバート・ワイズの「サウンド・オブ・ミュージック」で日本人にも知れ渡る歴史の1ページ。ナポロニはヒンケルとは違って陽気で豪放磊落、体格もいい。そんな二人が幼稚な覇権争いをしてバーバーチェアで高さを競ったり、オーストリッチ侵攻放棄の協約調印で揉めるドタバタ劇には、チャップリンが実在の独裁者ふたりまとめて風刺した面白みがあります。
この様に独裁者ヒンケルを皮肉たっぷりに批判するコメディ映画のラストは、独裁者に間違えられた理髪師がオーストリッチ侵攻が完遂した後、大観衆を目の前にして演説するクライマックスです。その饒舌なる語りから感じられるのは、それはもはや理髪師ではなく、素のチャップリンー(それまで多くの活動写真で世界に笑いを振りまき、サイレント映画で人間愛を讃えた、平和主義者で映画作りの天才)ーが観客に語りかけるという、通常の劇映画の約束事を無視したものです。それが許されるのは、喜劇王チャップリンへ多くの観客が厚い信頼と深い愛着を持っているからです。その自負もチャップリンにあったでしょう。映画史上に遺るこの演説は、観客に勇気と感動を与えてくれます。独裁者の演説で闘士を奮い起こす愚かさの対極にある、この愛と平和のメッセージを語り継ぎたいと思わずには居られません。
(制作当時チャップリン夫人だったポーレット・ゴダードの役名ハンナは、1928年に亡くなった生母ハンナ・チャップリンから引用されています。演説の中でハンナに優しく語るところに、チャップリンの母親への愛情深さを感じます。また実際の強制収容所の残酷さを知らなかったチャップリンは後に、それが分かっていたなら、この映画制作は出来なかったかも知れないと述べています)
付録
チャップリンの短編作品で印象に残っている作品を列記してみます。「拳闘」「冒険」「船乗り生活」「消防」「道具方」「番頭」「伯爵」「改心」「午前一時」「移住」「霊泉」「寄席見物」この中で特にお気に入りは「午前一時」「移住」「霊泉」の3本になります。
この先への漠然とした不安
チャップリンからの平和のメッセージ‼️
この作品でチャップリンがモデルとしているのは、明らかにナチスを率いるアドルフ・ヒトラー‼️映画内でそのヒトラーを批判、笑い飛ばすにあたり、サイレントでは限界だと感じたのか、この作品はチャップリン初のトーキー作品となっております‼️サイレントで自分の芸術を表現する‼️これはチャップリンの映画製作の上でのこだわりであったはず‼️そのこだわりを世界平和のために捨てたチャップリン‼️その姿勢は、映画人として尊敬に値します‼️仮想国トメニアの理髪師チャーリーと、彼に瓜二つの独裁者ヒンケル。ふとしたことがきっかけで、それぞれの立場が入れ替わってしまう・・・‼️独裁者が理髪師、そして理髪師が独裁者へ‼️その立場が逆転するという展開が生み出すおかしさ‼️チャップリンのトレードマークである山高帽とステッキ姿の最後の作品であるという寂しさ‼️ヒンケルが地球の姿形をした巨大風船で遊ぶシーンの恐ろしさ‼️こういう独裁者の狂気をも笑いに変えて魅せてくれるチャップリンってホントにスゴいですね‼️「モダン・タイムス」に続く相手役ポーレット・ゴダートもホントに魅力的‼️そしてこの作品の白眉は、やはりラストのヒンケル(チャーリー)の演説シーン‼️ヒンケルに成りすましたチャーリーの4分半に及ぶ平和へのメッセージ‼️初見から30年以上経ちますが、いつ観ても素晴らしすぎて涙が止まりません‼️現代の世界情勢を考えた場合、今こそ多くの人々に見てもらいたい名作ですね‼️
【ヒトラーが第二次世界大戦を引き起こした直後にチャップリンが激しい怒りを笑いに変えて独裁者を揶揄した名作喜劇。ラスト6分近いチャップリンの自由と友愛を説く人間性肯定の演説は何度聞いても素晴らしい。】
■何度観ても、クスクス笑えるシーン多数。
それがラストのチャップリンの真摯な演説を引き立てているのである。
1.ヒンケルの演説シーンのドイツ語っぽいが、何を言っているのか分からない所。良くあの言語を考えたものである。
2.独裁者・ヒンケルとうり二つのユダヤ人の床屋が、ハンガリー舞曲に合わせ、客のシェイビングから始まり散髪を行うシーン。
3.彼の有名な、ウットリした表情で風船地球儀をポーン、ポーンと身体の各所を使って宙に上げ、最後は地球儀が破裂して項垂れるシーン。
4.ナバロニ(モチロン、ムッソリーニを揶揄した名前である。今作ではヒンケルを始め、カービッチ(ゲッベルス)など、多数の面白い名前が登場する。)と、相手の目線を上げさせるために、争う椅子をドンドン上げるシーン。etc.
◆久方振りに鑑賞し、今作は矢張り名作喜劇であり、且つ自由と平和と友愛を説く、人間性肯定を基本としたチャップリンの根本思想が炸裂したラスト6分近い名演説を聞くために、私は毎回見ているのだなと思った作品である。
演説が全てを語ってる
チャップリンが1人二役を演じたこの作品。
第一次世界の中で作られた作品を踏まえると時代背景もさることながらチャップリンという人物の凄みを感じる作品でした。
世界が貧困や暴力に苦しむ中で少しで笑い変えて希望を見い出そうしている。
最後の演説にチャップリンの全ての気持ちが込めれていると感じました。
希望は、捨ててはいけない。
そこに必ず光があるから
福岡中洲大洋映画劇場 お別れ鑑賞3月39日(金)4分の1
今更言うことなし
ラスト。希望が見えてくる。
『モダンタイムス』でもそうであったが、悲惨な、苦しい状況の中でも、おかしみや、小さな幸せを見つけられる人。
強烈な批判も、なんてエレガントに表現するのだろう。
つい、声高に主張してしまう自分が恥ずかしくなる。
声高に主張するなんて、ヒンケルと同じじゃないか。
ラストの床屋の演説が心に染み渡ること。
尤も、皆がこの言葉を実践すれば、世界は平和になるはずなのに、やはり人間の心の中には、ヒンケルやナパローニ、ガービッチ、へリングみたいな部分もあるんだなとこの映画を観るたびに思う。
チャップリン氏初の全編トーキー映画。
よほど、この映画で、自分の言葉で、伝えたかったのだという人もいる。
だからと言って、台詞の押収ではない。
戦場でのパフォーマンス。
CGもない頃、どう撮ったのだろうと不思議な飛行のシークエンス。
一見でたらめなヒンケルの演説。顔芸、手の動きを始めとする動作、小ネタで見せる。そして音のマジック。まったくのでたらめではなくて英語をドイツ語読みしたとか、意味のない単語の羅列だとかという解説もある。それが本当なら、なんという天才なのだろうか。そんな台詞がわからなくとも、リズム・強弱それだけで、こんなに印象的なものになるのだ。『モダンタイムズ』で初めて披露したパフォーマンスも、スキャットのような音の羅列だったが、あちらはかわいらしくて、いつまでも聞いていたくなる。こちらのヒンケルの演説の、語気の強さ、メリハリ、破裂音の頻回使用等に、誇張された表情・動き、そして観客の動きで、猛々しく、でもリズムが良いので、つい身を乗り出して聞きそうになる。しかも、即時通訳が逐語訳ではなく、演説の要約というのも、見事なパロディ。「あなた、大したことを言っていないよ」と突き付けている。ここだけでも、ヒトラーから暗殺されても仕方がないと思うほど、ハラハラ。
総統の多忙さ・自己顕示欲を台詞でなんか説明しない。シーンで説明して見せてくれる。
風船の地球儀。『2001年宇宙の旅』にも匹敵する。うっとり優雅なれど、そのシーンの意味に驚愕させられる。そこに使われる音楽。『2001年宇宙の旅』の方が、この映画より後だから、影響を受けたのだろうか。地球の上下がグルグルしない工夫も素晴らしい。
そしてハンガリー舞曲に合わせた床屋のシーン。
ナパローニと競い合う床屋のシーンや、カーテンのぼり、上述の風船地球儀等、空間を存分に使う。
極上のパントマイムを基本とした極上のパフォーマンスを見せてくれる。
突っ込みどころはないわけではない。
末端兵士は、ヒンケルの顔を知らなかったのか?
シュルツは判っていたはずなのに…?
とはいうものの、その設定を活かしたラスト演説は白眉。
二役だが、演説スタイル・日常生活の立ち振る舞いは全く違う。目に宿すものも違う。
床屋の演説。勿論、話している言葉にも心を揺さぶられる。それだけではない。はじめは伏し目がちで弱弱しいまなざしが、だんだんと強く光ってくる。真正面に観客をとらえ語りかけてくる。
ナチスの組織的虐殺の事実は、チャップリン氏はまだ知らなかったという。
とはいえ、各地に潜ませているナチス協力者・信奉者に殺される可能性だってあるだろう。
だが、私財を賭けても撮りたかった映画。
と同時に、コメディこそ社会を映し出すことができる最高の手段と証明している作品の一つ。
いつまでも色あせない名作だと思う。
今ならプーチンを思い出させる
チャーリー・チャップリン初のトーキー作品で風刺コメディ。
日本チャップリン協会の大野裕之さんが上映後に登壇し解説をしてくれた。
第1次大戦にトメニア国の兵士として戦線に出ていたユダヤ人の床屋チャーリーは、戦時中の戦闘機の不時着で記憶を失ってしまった。戦後、トメニアは独裁者ヒンケルが支配する国となりユダヤ人迫害を始めたのだが、そんな状況を知らない床屋のチャーリーはやっと病院から退院する事が出来、自分の店に帰ってきた。あれやこれやで、チャーリーはヒンケルと容姿が似ていた為、民衆の前でヒンケルがユダヤ人を抹殺する演説をするはずが、入れ替わったチャーリーが民主主義と自由の大切さを訴えた、という話。
これ、ヒトラーの独裁政治を批判した物だが、いつ観ても新鮮な作品で、傑作だと思った。日本は韓国を植民地にし、中国を攻めていた1940年の公開で、まだヒトラーのユダヤ人虐殺が本格化する前にこんな作品を作ったチャップリンの凄さを体感できた。
ラストのスピーチ、普通ならありえないけど、このおかげでで、いつ観ても新鮮なメッセージを受けることが出来る。
今ならプーチンだろうな、とか。習近平や金正恩もだな、とか。
すごい作品です。
独裁者への批判を暴力ではなく笑いで
言葉で人を動かすということ。
独裁者を全編観るのは初めてだ。
命がけのメッセージ
演説の部分
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