小さな巨人

劇場公開日:1971年8月28日

解説

カスター将軍の率いる第7騎兵隊全滅という西部開拓史に有名な事実を材にとり、この虐殺に唯ひとり生き残った男が、100 歳をこえてなおも生き続け、その数奇な人生を語るという構成。製作はスチュアート・ミラー、監督はアーサー・ペン、トーマス・バーガーの同名小説をカルダー・ウィリンガムが脚色、撮影はハリー・ストラドリング・ジュニア、音楽はジョン・ハモンドがそれぞれ担当。出演は「卒業」のダスティン・ホフマン、「アレンジメント<愛の旋律>」のフェイ・ダナウェイ、「ナタリーの朝」のマーティン・バルサム、リチャード・マリガン、それに実際のインディアン酋長であるチーフ・ダン・ジョージ、ジェフ・コーリー、エイミー・エクルズ、ケリー・ジーン・ピータース、キャロル・アンドロスキー、カル・ベリーニ、ルーベン・モレノなど。

1971年製作/アメリカ
原題または英題:Little Big Man
配給:東和
劇場公開日:1971年8月28日

あらすじ

ロサンゼルス在郷軍人病院の1室で、今年121 歳という老人ジャック・クラブ(ダスティン・ホフマン)は、歴史学者のインタビューに答えて、追憶の糸をたどりつつ、驚くべき事実を語り始めた。--1859年、南北戦争直前、当時10歳の少年だったジャックはシャイアン・インディアンに両親を殺され、姉のキャロライン(キャロル・アンドロスキー)と孤児になったところを、シャイアン族のひとり、“見える影”(ルーベン・モレノ)に見つけ出され、集落へ連行された。老酋長“オールド・ロッジ・スキンズ”(チーフ・ダン・ジョージ)は2人を快く迎え入れたが、男まさりのキャロラインは夜、馬を盗んで脱走し、ジャックは1人集落にとり残された。ジャックは小柄のくせに勇敢だった。14歳のとき、クロー・インディアンと戦い、仲間の“若い熊”(カル・ベリーニ)の危ないところを救った。老酋長は“小さな巨人(リトル・ビッグ・マン)”という名誉ある名を与えた。身体は小柄でも、肝が大きいという意味である。16歳を迎えたジャックは、初めて騎兵隊と戦闘を交え、兵士のひとりに殺されかけて、思わず“ジョージ・ワシントン!”と初代大統領の名を叫んだ。あっけにとられたその兵士に、ジャックは白い肌を見せた。こうしてジャックは白人社会に戻った。ジャックはペンドレーク牧師に引きとられた。夫人(フェイ・ダナウェイ)は若くて、聖女のように美しかった。だが、ジャックを入浴させたとき、夫人の大胆さはたじろがんばかりだった。9年後、25歳になったジャックは、イカサマ商人メリウェザー(マーティン・バルサム)と組んで西部を行商して歩いていた。ある夜、2人は暴漢一味に襲われたが、その首領が15年前に生き別れたままの姉キャロラインと知ってびっくり。キャロラインは、いまや名うての拳銃使いになっていた。ジャックは彼女から早撃ちの極意を授かり、相当な腕前となっていった。しかし、拳銃稼業の非情さを知り、ジャックは商人に戻った。やがてジャックは念願の店をもち、キング・サイズのスウェーデン娘オルガ(ケリー・ジーン・ピータース)を娶ってささやかな幸福をつかんだつもりだったが、相棒に騙されて破産という不運に見舞われた。そんなジャックに、西部へいって人生の再出発を勧めたのは、第7騎兵隊の司令官カスター将軍(リチャード・マリガン)だった。インディアンは平定されて危険はないという将軍の言葉に従って、夫婦は西部に向かったが、途中インディアンに襲われ、オルガはさらわれてしまった。ジャックは足を棒にして愛妻を探しまわったが、行方はさっぱりつかめなかった。ジャックはカスター将軍に頼んで、騎兵隊のスカウトになった。第7騎兵隊はある日、インディアン集落を襲った。インディアンがジャックに躍りかかってきたが、すぐさま軍曹に射殺された。インディアンはかつてジャック姉弟を助けてくれた“見える影”だった!ジャックは戦闘にも参加できず、隠れていると、草むらの中から女のうめき声がする。“見える影”の娘“日の光”(エイミー・エクルズ)が出産寸前なのだ。ジャックは、“日の光”につき添い、集落へ連れ帰った。そして彼女を妻に迎えた。祖父代わりの老酋長は白人との戦いがもとで失明し、“孫”の顔を見ることができなかった。それから1年、シャイアン族は政府の指定したワシタ地区に移らなければならなかった。そこで、ジャックは忘れもしなかった愛妻オルガに再会した。しかし、彼女は“若い熊”の妻になって亭主を尻に敷いていた。ジャックの心から愛は消えていた。第7騎兵隊がインディアン地区を襲ってきたのは、ジャックの息子“暁の星”が生まれた朝のことであった。ジャックの目の前で、“日の光”が、生まれたばかりの“暁の星”が、無抵抗の女どもが、白い大地を鮮血に染めて死んでいった。ジャックは死を覚悟していた老酋長をつれて辛くも逃げのびた。ジャックは復讐を決めた。愛するもの、親しいものの命をすべて奪ったカスター将軍に--。ジャックは人が変わったように乞食のような身なりで、酒びたりの毎日を過ごしていた。ジャックは投身自殺を決意して高い崖の上に立ったが、ちょうどその時、リトル・ビッグ・ホーンに向かうカスター将軍と第7騎兵隊の姿が目に入った。彼は再びスカウトに志願した。カスターは自分を憎んでいる男をあえて雇い、“戦略上裏目を見とおすバロメーターだ”と言って、部下の反対を押しきった。当時のカスターはインディアン撲滅に異常な熱意を示し、その自信過剰は偏執狂的にまで発展していた。彼の命令はインディアン皆殺しに他ならなかった。カスター将軍と第7騎兵隊は、こうしてインディアンの罠にかかり、まんまと両部族の間におびき寄せられた。将軍の馬が撃たれ、兵士もつぎつぎと死んでいく。カスターは気が狂ったように叫び、グラント大統領を罵り、矢がささって苦しむジャックに拳銃を突きつけた--。テントの中で、重傷のジャックは我に返った。こんどは“若い熊”が彼を助けたのである。「われわれは今日勝った。だが明日は勝てぬ」。そうつぶやく老酋長は、死期が近づいたことを悟っていた。山頂にはすでに棺台が用意されていた。老酋長はジャックを伴って頂上に立ち、シャイアン族の闘いの鬨の声を上げ、神に感謝し、死を願い、静かに横たわった。折りから雨が降り出した。「私はまだこの世にいるのか?」。老酋長は再び静かに山をおりていった。「これがインディアンと生きた男の話だ」。老人は話し終えると頭をたれた。

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映画レビュー

4.0 ベトナム戦争の時代背景が生んだ、アメリカ白人至上主義を批判したペン監督の作家的良心

2025年7月13日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

斬新

「奇跡の人」のアーサー・ペン監督が、アメリカン・ニューシネマの「俺たちに明日はない」「アリスのレストラン」の次に演出した異色の西部劇映画。この異色の意味は、ハリウッド映画が創成期から主要ジャンルとしてきた西部劇において、アメリカ国家の自由と平等と共に標榜してきたフロンティア精神(移民国家の精神的支柱)を誇示した歴史に対する、人道的な修正と反省を濃厚に表現していることです。ネイティブアメリカンの人たちに対する差別からアメリカ騎兵隊が行った虐殺の事実を公然と扱い、白人至上主義を批判し戦争そのものを否定するニューシネマの意義があります。もう一つは、デビュー作「左きゝの拳銃」で題材と演出の映画表現が不調和に終わった失敗から得た脚本選びに、ペン監督の新たな試みが感じられることでした。「左きゝの拳銃」が失敗作でも正攻法で真面目な演出が「奇跡の人」で成果を残し、「逃亡地帯」「俺たちに明日はない」で一流監督になったペン監督は、この作品では更に余裕と安定感を持って演出しています。これは偏にトーマス・バーガー(1924年~2014年)の『Little Big Man』(1964年)のピカレスク小説として完成度が高い原作に惚れ込んでの選択だったからと想像します。なんとこの原作の映画化権を最初に持っていたのはマーロン・ブランドといいます。1973年のアカデミー賞授賞式で「ゴットファーザー」の主演男優賞を拒否し、アメリカ先住民の女性が代理でスピーチした時は唐突な違和感を感じましたが、今更ながら意図が解りました。主人公ジャック・クラブをブランドが自ら演じたかったのか、それとも制作か演出をしたかったのか分かりませんが、1966年に「逃亡地帯」に出演した関係から、誠実なペン監督に映画化権が移譲されたのでしょう。

121歳の老人ジャック・クラブが11歳の時にシャイアン族に拾われ、戦士として成人してからは白人社会と先住民族の世界を行き交う運命に翻弄される物語は、ジャックの一人称のナレーションで進みます。数奇な経験を冒険譚の武勇伝のように語るお話は、老人特有の記憶と思い込みが混在したホラ話のようで、それでいて白人社会の欺瞞と先住民族の追い詰められた歴史的事実を冷静に描いています。養子になった先の聖職者のペンドレイク夫人が不貞をして最後は売春婦に堕ちるエピソードや、ペテン師メリウェザーと放浪の旅をするコメディ、実在の人物ワイルド・ビル・ヒコック(1837年~1876年)の最期を見届けるシーンなど、ペン監督の抑制の効いた諧謔を弄する演出が生きています。おふざけになっていない演出タッチは、ペン監督の誠実な姿勢を裏付けていると思いました。演じるペンドレイクのフェイ・ダナウェイとメリウェザーのマーティン・バルサムの有名スターが本来キャスティングされないであろう汚れ役を熱演しています。対してシャイアン族のオールド・ロッジ・スキンズを演じたチーフ・ダン・ジョージの渋味と泰然自若な演技が対照となり際立つ効果を生んでいました。この映画は、第一にトーマス・バーガーの原作の面白さと贖罪、第二にペン監督のコメディとシリアスをバランスよくまとめた絶妙な演出、そして役者の演技は特に主演のダスティン・ホフマンの巧さと適正を観て感じて其々が思い、移民国家アメリカの歴史を俯瞰することに価値があります。盲目になったオールド・ロッジ・スキンズとジャックが再会する映画中盤のシーンがクライマックスでした。白人と先住民族の死生観の違いを哀しく語るロッジ・スキンズの台詞に、この映画の主題が込められています。“生きようとする命も白人どもは殺してしまう”

この映画で変人のパロディとしてアイコン化した影の主人公ジョージ・アームストロング・カスター将軍(1939年~1876年 享年36歳)は、リトルビッグホーンの戦い(1876年6月25日)で中佐として率いた第七騎兵隊を全滅させた人物として歴史に刻まれており、当時のアメリカ白人社会の英雄と祭り上げられて多くの西部劇映画の題材になりました。記憶にあるのがラオール・ウォルシュ監督の「壮烈第七騎兵隊」(1941年)を中学生の時に日曜洋画劇場で観ています。カスター将軍の最期を派手に演出した娯楽作品でした。前年の13歳の時には、ワイルド・ビル・ヒコックをゲイリー・クーパーが演じたセシル・B・デミル監督の「平原児」(1936年)を観ているのですが何も覚えていません。1967年制作ロバート・シオドマーク監督ロバート・ショウ主演の「カスター将軍」は見逃しています。10代で印象に残っているのは、サンドクリークの虐殺(1864年)を扱ったラルフ・ネルソン監督キャンデス・バーゲン主演の「ソルジャー・ブルー」で、騎兵隊の軍馬がアメリカ国旗を踏みつけるカットが強烈な印象として残りました。ネルソン監督は、「野のユリ」「不時着」「泥棒を消せ」「まごころを君に」「...チック...チック...チック」と観ていて、黒人差別や人道的なテーマを扱う異色監督として一寸理屈っぽい人でしたが嫌いではありません。この同年制作の「ソルジャー・ブルー」と比較して、今回漸く見学できたペン作品が物語の語りの面白さで上回り、映画としても完成度が高いのは明らかでした。また、この騎兵隊内部の不条理と人間の功名心を冷静に批判したジョン・フォード監督の「アパッチ砦」(1948年)は、リトルビッグホーンの戦いのカスター将軍をモデルにしたヘンリー・フォンダの人物像、それでいて英雄視しない切り口に感銘を受けました。この時代で騎兵隊を美化しない映画として貴重なフォード作品になっていると思います。

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Gustav

4.5 残酷な歴史にユニークな物語。

2025年6月28日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

楽しい

主人公の数奇な人生をコミカルに描いていてとても面白い物語でした。
でも背景になっているのはとても残酷で悲しい歴史ですね。
ダスティン・ホフマンは若い頃からほんと名優だなぁ〜。

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光陽

3.5 西部劇の記念碑

2025年6月26日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

楽しい

驚く

 先住民との戦いで全滅したカスター将軍の騎兵隊。唯一の生き残りで、121歳となったジャックが語る。10歳のときに両親を殺された彼は、シャイアン族に育てられ、小さな巨人と呼ばれる。やがて騎兵隊に捕われた彼は、白人社会で暮らすことに。その後も先住民と白人社会を行き来し。
 複雑な生い立ちを描いた物語ながら、コミカルな描写もあったのが意外でした。終わってみると、広大な西部の舞台にも関わらず、長いジャックの人生には、何度もあった再会の物語でした。なにより、それまでの西部劇と異なり、先住民に同情し騎兵隊の蛮行を描いた記念碑的作品。

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sironabe

4.0 シャイアン族酋長の“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が心に響き…

2024年10月1日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

「俺たちに明日はない」「奇跡の人」の
アーサー・ペン監督のこの映画、
もう何度も観てはいるのだが、
TV放映を機にアメリカ西部開拓史を
振り返る意味でも再鑑賞した。

この作品、白人と先住民の間を行き来する
男を通じての西部開拓史ものなのだが、
自分の中では、再鑑賞で評価が大幅に高まる
作品の一つとなった。

元々、ともすると説明不足・御都合的とも
言われかねない各エピソードのつなぎ部分を
大胆にカットした構成が、むしろ、
この作品の世界に観客を引き入れる魅力的な
要素の作品だったように感じてはいた。
しかし、今回の鑑賞では、
一部のコミカルな要素に目を奪われて
認識外となっていた、
秘められていた深い世界観に
更なる気付きを得たような鑑賞となった。

ただ、牧師の妻から娼婦に身を落とす女性、
片手片足を失うペテン師、
またワイルド・ビル・ヒコックの後日談は、
読み切れない人生の奥深さを表すため
なのだろうが、
本旨に絶対に必要な要素とは感じられず、
また少し間延び感もあり、
これらをカットして2時間位にまとめた方が
良かったのではと思った。

ところで、この作品でも描かれた
理不尽な先住民部落の襲撃と虐殺を扱った
「ソルジャー・ブルー」という作品がある
が、同じ年(1970年)に公開されていた
ことに初めて気が付いた。
西部開拓史上の先住民へ強いた負の歴史は、
この頃から大きく問題視され始めていた
のだろうか?

また、実は直前に、Y・N・ハラリの
「サピエンス全史」を読んでいたのだが、
ネアンデルタール人に勝ち抜いた
ヨーロッパ人としてのホモ・サピエンスの
末裔が、
北米大陸に先にたどり着いていた先住民の
ホモ・サピエンスを蹂躙したのだと考えると
複雑な想いにも繋がった。

それ故か、ラストシーンで
シャイアン族の酋長が神に語る
“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が
心に響いた。
先住民ホモ・サピエンスは自然と共に生きる
姿勢だったが、
今、世界をリードしているホモ・サピエンス
は自然と対峙して生きる姿勢を
選択してしまったように感じる。
我がホモ・サピエンスは
どこで道を間違えたのだろうか。

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KENZO一級建築士事務所