劇場公開日 1991年5月18日

「迫力のロケーション、夕焼けの美しさ!」ダンス・ウィズ・ウルブズ kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5迫力のロケーション、夕焼けの美しさ!

2020年1月28日
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鑑賞方法:映画館

午前十時の映画祭10で観賞。

日本公開は1991年。
リアルタイムで劇場観賞した後、ソフト化直後にレーザーディスクを購入して何度も観た。
今はプレーヤーが壊れて本棚の飾りになっているが。
公開から30年近く。映像は陳腐化しているのではと懸念したが、ロケーションの美しさは色褪せず、バッファロー狩りシーンは大迫力。CGもドローンもない時代に見事な撮影だ。

公開当時、ダンバー中尉(ケビン・コスナー)は実在の人物だと言われていた気がするが、勘違いか。エンディングのテロップで実話だと思いこんでいたのかも知れない。
ただ、史実のインディアン大虐殺に材をとっているらしく、原作小説が発表された当時は、白人を非難しているとして出版を拒否した出版社があったとか。アメリカはまだそんな状況だった。
原作者自らが脚色に当たっている。

ケビン・コスナーが文字通り私財を投げうったチャレンジは、西部開拓史が先住民族掃討の歴史でもあったことと、インディアンが呪術を崇拝する野蛮人ではないことを示した。
今でこそインディアンの描き方に正しくない部分を指摘されたりしているが、他民族を正確に描くことはドキュメンタリーでも難しいこと。
当時としては大きな挑戦だったと思う。
スー族の敵であるポーニー族は旧来の野蛮人的な描かれ方に見えるが、白人と組んでスー族の壊滅を画策している狡猾さも描かれている。

“拳を握って立つ女”を演じたメアリー・マクドネルは、どことなくシガニー・ウィーバー寄りの芯の強さを感じる風貌で、本作のキャスティングは良かったと思う。
主人公と結ばれるのが白人だというのは、結局インディアン差別かともとれるが、インディアンの娘と結ばれれば良かったかといえば、そうとも思えない。

フロンティアスピリットを開拓精神と訳すが、意図せず英雄となった主人公が志願したフロンティアの地とは、人口密度が一定以下の開拓途上地域を指していて、その算定基準の人口に先住民族を含まないという定義があったらしい。
フロンティアという単語の印象が変わる。
アフリカから拉致して奴隷にした黒人たちの解放のために戦った北軍も、インディアンの虐殺には抵抗がないという不条理。
人は、人を差別して自分よりも下層民を作ることで存在価値を認識する生き物だ。
だが、人間を人と認めないという発想は差別を越えて区別しているわけで、全く恐ろしい思考だ。

主人公は、軍隊が自分を追って来るから部族を巻き込まないために妻を連れて去る。
だが、軍隊の目的はスー族掃討だという皮肉がこの映画の後日譚となる。

エンドロールで、トゥーソックス(狼)はダブルキャストだったことに初めて気がついた。

kazz
カールⅢ世さんのコメント
2020年1月28日

Kazz さん、
コメントありがとうございました。
褒めすぎです。
あたくし、けっしてうんちく派ではございませんので、お間違いないようにお願いいたします😅
できれば、他のレビューもお目を通していただければ、嬉しいです。

Kazzさんの
主人公と結ばれるのが白人だというのは、結局インディアン差別かともとれるが、インディアンの娘と結ばれれば良かったかといえば、そうとも思えない。
にはほんとは同感です。

1991年まで、インディアンの言語で作られた映画がなかったというのも驚きですね。奴ら、ほんとに悪いことしても謝らないですから❗

この映画はそうゆう意味でも貴重ですよね。

カールⅢ世