太陽がいっぱいのレビュー・感想・評価
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アラン・ドロンを偲んで
俳優のアラン・ドロン
2024年8月18日に自宅にて88歳で他界
原作未読
原作は『見知らぬ乗客』『アメリカの友人』『ギリシャに消えた嘘』『キャロル』『ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男』のパトリシア・ハイスミス
監督と脚本は『禁じられた遊び』のルネ・クレマン
初鑑賞
完全犯罪を狙ったスリリングなサスペンス
1960年(昭和35年)公開作品
フランスとイタリアの合作映画
アラン・ドロンの世界的出世作
不朽の名作のためかその後も度々劇場公開されている
2000年にはハリウッドがマット・デイモン主演『リプリー』としてリメイク
粗筋
貧しいアメリカ青年トム・リプリーはフランスやイタリアを遊び歩いている道楽息子フィリップ・グリンリーフに付き纏い依頼主であるフィリップの父の元に帰るよう説得するが彼は従うことはなく契約は打ち切られ謝礼の5000ドルはパーになった
そこでトムはフィリップ所有の船内でフィリップの胸をナイフで刺し殺害し海に沈めてしまう
そしてトムはフィリップに成り済ました
当初トムとフィリップの人間関係を誤解した
パリでのはしゃぎぶりを見る限り気心が知れた付き合い長い仲良しの幼馴染かと思っていたがそうではなかった
原作ではアメリカでフィリップの父がトムに仕事の依頼をするシーンがあるらしいがルネ・クレマン監督はそこをバッサリとカットした
トムがフィリップに成り済ますも世の中そんなに甘くない
いくらトムの頭がキレるにしても苦難の連続
警察だって捜査を始める
フィリップを尋ねてきた彼の友人のフレディまで殺害してしまう
フィリップの腐乱死体が発見される
万事休すも有頂天のトム
ロープが切れてしまったトムが乗せられた小舟
ロープが切れなかったシート包みのフィリップスの死体
その対比が皮肉である
フィリップが泊まっているホテルの部屋の和洋折衷ぶりが良い
フレディを撲殺するのに使用した緑色の置物は布袋様かな
ホテルの名前がパラディーゾってのもなかなか
日本では死刑になるような案件だがイタリアでは死刑制度はその当時から既に廃止されているので終身刑だろう
裁く国はイタリアなのかフランスなのかアメリカなのかわからないが殺人は全てイタリアなのでたぶん裁かれるのはイタリアのはずだ
自分は主人公が悪党で共感できないからといってそれだけで作品を駄作認定する思想はない
僕はそもそもヤフコメ民のような風紀委員めいた連中は嫌いだし
娯楽映画として高く評価したい
それでも星5にはなぜか抵抗があり星4ならしっくりときた
良心の呵責かもしれない
ラストシーンで電話に出るためにそちらに歩き出すトムの微笑みが印象的
配役
フィリップの父から5000ドルの依頼を受けてアメリカからフィリップを連れ戻しにヨーロッパにやって来たトム・リプリーにアラン・ドロン
大富豪の道楽息子のフィリップ・グリンリーフにモーリス・ロネ
フィリップの婚約者のマルジュ・デュヴァルにマリー・ラフォレ
フィリップの友人にフレディ・マイルズにビル・カーンズ
ウエイターにルネ・クレマン
美しすぎるアラン・ドロン
今でこそ普通より少しイケてるおじいちゃんですが、凄いですね、若かりし頃は
劇中でモテないのが不思議なくらい!!
青く澄んだ吸い込まれそうな瞳と、まさしくスターの顔立ち
今でも未来でも十分過ぎるほど通用するイケメンぶりは舌を巻くばかり
あんな顔に生まれたかった
人を殺した罪悪感がまるで感じられない人物設定と、その割には雑すぎる死体処理方法はさて置き
やはり特筆すべきは、このテーマ曲ですね
たとえ当の作曲者が納得していなかったとしても、一瞬にして砕け散る主人公の儚い人生を見事に表現している
叶うことのない、物悲しくも切ない恋心も聴くたびに胸に迫ってくる
これぞフランス映画!というより、これがフランス映画なんだという先入観を揺るぎないまでに自分の中に確立された映画でもあり、曲でもある
海外の大富豪は、湯水のようにお金を使い、汗水垂らして働かず、遊びまくるんだなぁって、この映画を見てその実態を初めて知ったのが懐かしい
あんな金持ちの家に生まれたかった
50年以上も前の作品にしては、パスポートの偽造や女性警察官にわざと情報を漏らす手口等は素晴らしい
警察官からの逃げ方も面白い
当時のフランスの街並みやどでかい札束wは、一見の価値があるかも
アラン•ドロン
有名な作品、リメイク作品も多い。
大嫌いな男がいてその恋人が好きなので、
男を殺し擬装して男の財産を女にやり
女を手に入れる、計画。
裕福なトムとその恋人、そこへ主人公。
お邪魔虫以外の何者でもない。
恋人を下ろしてすぐに殺す。
死体を包んで巻いたワイヤーの端を確認しなかったが為に。
トムのハイブランドのジャケットを着ていると
立っているだけでモデルみたい。
レザーのバッグが高級感満載❣️
日本なら印鑑だが、サインの真似も大変。
どっちが安全だろう。
上手くごまかしていたようだけど、
トムの友人に見破られ‥‥、
観ている人皆、
バレるぞ、バレるぞ、と思って観ていたんだろうな。
アラン・ドロンの魅力がいっぱい‼️
「太陽がいっぱい」と「冒険者たち」、この2作の名作フランス映画でアランドロンの存在は、私の中で永遠のものとなりました‼️とにかくこの作品でのアランドロンは美しい‼️しかもこの映画で成功したいというオーラが画面から溢れていて、そのグリーンの瞳が妖しく燃え上がっていた‼️それが金持ちの友人を殺して成り代わろうという役柄に見事にマッチしていて、ゾクゾクさせられます‼️モーリス・ロネに食事のマナーで馬鹿にされ、炎天下の海でボートに取り残され、コンプレックスと恥辱と嫉妬と羨望にかられて、チラッとモーリス・ロネを見上げる暗くて傲慢な目‼️ラストの全てを成し遂げたつもりでみせる安堵した表情、名前を呼ばれて不安そうに顔を曇らせる、だが、ただの電話呼び出しらしいとわかって笑顔に戻る‼️やってることが邪悪なのに、なんとも子供っぽい無邪気な笑顔‼️もうホントにスターの中のスターですよね‼️このアラン・ドロンのトム・リプレーはもちろん、放蕩息子を嫌味に演じるモーリス・ロネのフィリップ、妖精的な魅力を醸し出すマルジュ役のマリー・ラフォーレらツボにハマったキャスティングが素晴らしいですね‼️そして、太陽きらめく海上での殺人、地中海の波に揺れるヨットが主人公の不安な心情を表現していたり、サインの偽造を練習したり、指紋をすり替えたりするシーンとか、ルネ・クレマン監督の映像テクニックは名作「禁じられた遊び」を凌駕しております‼️いつまでも耳に残るニーノ・ロータの甘美なテーマ曲も忘れられない‼️もう聴くだけで涙出てきちゃいますよね‼️そしてラストのどんでん返し‼️赤い糸ならぬロープが、スクリューに絡まっていたためにもたらされるこの衝撃は、何度見ても胸を締め付ける力強さを持っている‼️
アラン・ドロンの代表作
フランス語だからなのかどこかウェットな眼差しをしているからか石田純一ファッションwが板についているからか分からないが、主役のアラン・ドロンはもう一つアメリカの青年には見えない。だが、鏡の前でフィリップの彼女に愛を囁くイメージングをするシーンや、海で背中を焼かれるシーン、「悪いのはフィリップだ。」と罪を重ねていく時のセリフは、美しい肢体に黒い髪、クールブルーの瞳を持つ彼でなければ成立しなかった気がする。
脚本は、クレマン監督が大戦後の貧苦にあえぐフランスの若者達に代わって、戦後は世界一リッチになったアメリカやブルジョワ階級に対してちょっとした皮肉を込めている感じもした。
例えば、フィリップの友人フレディがトムを怪しんで尋ねた場面。
「何の仕事をしているんだ?」
トムは答える。
「何もしていない。君は?」
対するフレディ。
「本職はない。だが金はある。」
同じ年頃で同じように無職なのに、一方は遊んでいて当たり前で、他方は怪しまれる。生まれの格差が浮き彫りになりトムの妬みが膨らんでいくのがわかるのだ。
そしてお天道さまの下、晴れてゆっくりした矢先の、原作小説とは異なるきっぱりしたラストも上手いと思う。
犯罪は犯罪。
監督の良心だろうか。
アラン・ドロンを、ただただ見つめる!
1960年。ルネ・クレマン監督作品。原作はパトリシア・ハイスミス。
アラン・ドロンの絶世の美青年伝説。
今日、数十年ぶりに観返したのですが、トム・リプリー(ドロン)は、
天性の詐欺師でした。
偽証工作の数々。嘘を嘘で塗り固めるけれど、土台それは付け焼き刃。
なぜ、フィリップの知り合いの多い場所から移り住まないのだろう?
それにしても当時の金持ちの暮らし。
まず働かない!遊んで飲んで騒いで!
綺麗な若い女を侍らせてる。
そして大型ヨット!!
ヨットは庶民や貧乏人には高嶺の花。(そう簡単にはオーナーになれない)
遊ぶ金!美人の恋人。ヨットで移動する自由。
リプリーにはフィリップが羨望の対象だった。
彼の入れ替わること・・・成りすますこと・・・彼になってしまうこと!!
ワクワクするほど魅力的だ。
フィリップ殺人は40分過ぎに行われる。
その後の70分は偽装工作。
まずパスポートを偽装する。
フィリップを名乗る。
マージュ(マリー・ラフォレ)にフィリップのいない理由を信じ込ませる。
フィリップの名前で手紙をタイプで打つ。
フィリップのサインを真似る・・・ここに時代を感じます。
(今なら、パスワード?)
リプリーが本当に手に入れたいものは、マージユだったのではないだろうか?
そして最後の最後に、1発逆転の手を打つ。
アラン・ドロン。
フォルムは完璧に近く美しいです。
ジャケット写真にもなっている上半身裸に白いパンツ。
胸は適度に筋肉が付き、
広い肩幅、コインのペンダント、長い手足、顔は完璧に近い。
あんなに好きだったアラン・ドロンが嫌なゲス男に映る・・・事実最低のゲス男だけど・・・
生まれ落ちた時に決まる運命。
持つ者と持たない者。
それは運命の悪戯。
美しい映像です。
白い帆を張るヨット。
ギリシャの港。
イタリアのホテル街の店並み。
美し過ぎる。
アラン・ドロンの着るシャツ(フィリップのものだけど・・)
スーツとシャツのカットの良さは、オートクチュール製作のような仕立てです。
完璧に着こなすドロン。
そして有名なニーノ・ロータのテーマ曲。
覚えやすくて、もの悲しい。
そしてラストの衝撃。
こんなショッキングなラストはそうそうない!!
いまいち
この映画を印象深くしているのはラストシーンだ。主人公のトム・リプリーが最高の気分で日光浴をしていて、何も知らずに電話の呼び出しに立ち上がって、ニコニコしながら歩き始める、同時にあの哀愁を帯びた音楽が流れるシーンだ。これから捕まってしまうのを想像して、二人を殺した犯罪者なのにかわいそうだと思ってしまう。ニーノ・ロータの音楽の効果は抜群である。もしこの音楽がなかったら、これほどの名作になっていただろうか?あと、主演が超イケメンのアラン・ドロンということもあると思うが。
ただ、一般の評価より私の評価は低い。いちばんの理由は主人公に共感できないからだ。虐げられていたとはいえフィリップ・グリンリーフを殺すほどの理由があっただろうか?百歩譲ってその殺人を理解できたとしても、二人目の殺人は回避できただろう。あと、フィリップになりすまして大金を手に入れ、最後にはフィリップの婚約者まで手に入れるに至っては呆れてしまう(まあ、この部分がなければ作品は成り立たなくなるが)。本当に彼女を好きだったのか、遺産を相続する彼女が金づるになるので一緒になろうとしていただけなのかはわからないが。
あと、船上で殺した後(この殺人もやや唐突な感じ)、死体を布に包み海へ投げ捨てたが、なぜか長い紐が気になっていた。スクリューに絡みつかないかと。そのため、いつもは感の悪い私であったが、結局最後のオチもそれはど衝撃的ではなかった。
いずれにしても、私は登場人物に魅力を感じないとダメなので、その点についてはこの映画のアラン・ドロンは「冒険者たち」のアラン・ドロンの魅力には遠く及ばない。
今観ても面白い
60年前の作品とは思えない。今観ても
十分引き込まれる。アラン・ドロン演じる
トムが金持ちのフィリップの真似をして鏡に
キスするシーンが艶かしい。またトムがフィリップの婚約者を誘惑するシーンも然り。
さすがに天下の2枚目アラン・ドロン。
ラストシーンではフィリップの「俺は
これで終わらないぞ」という彼の執念を
感じた。
途中出てくる郵便配達の男が山本晋也監督に似ている
昔、何度も観たのに、犯罪の詳細な手口を覚えていなかった。幼心にも、「怪人二十面相でさえ完全犯罪は出来ないんだからアラン・ドロンでも無理だよ」と冷めた気持ちで観ていたはずだ。不思議なもので、無理だとわかっているから映画では応援してしまう不思議な感覚に陥ってしまう。せめて捕まる前にマルジュと恋仲になりますように!と。
コロンボのドラマのように完璧な刑事が登場するわけではなく、マルジュと書かれたクルーザーのスクリューに死体を結びつけたロープがからまって、「太陽がいっぱいだ」とくつろいでいるアラン・ドロンのもとへその刑事たちが・・・というラストが最高。
洒落ている
アラン・ドロン演じるトムは
フィリップの人生全てを欲していたんだろうなあ...。
冒頭の悪戯をするも、好青年のトムがフィリップ殺害後嵐の中
彼の遺体を流し、フィリップへ近づくにつれて欲望の塊へと変貌している。
それに美しい風景、波に漂うかの音楽。
この2つが異様にマッチしていて気だるさをも感じさせる。
最後のヨットのシーンには衝撃でした。
ここまで上手くいっていても
最後はフィリップが手放さなかったヨットと共に現れ、
浜辺でくつろぎ電話と称され何も知らず笑顔で向かうトムに風景でのEND。
非常に洒落ている。
すごく面白かった
アラン・ドロンが何もない空っぽの若者役で、ご本人はすごいイケメンでいちいちかっこいいのだが、役としては別にイケメンでもなんでもない役だった。楽勝で女にモテて困るというような場面もなく、友達と酔っ払いの女にちょっかいを出していただけだったし、その時も友達の方がモテていた。一人の女を振り向かせるのに四苦八苦していた。
実際のところ彼が、友達の服を着て鏡に自分を映し、友達の真似をして恋人の名前を呼んで、鏡の中の自分にキスをする場面で、ナルシストなのか?彼は自分しか愛せない男なのか?だから平気で人を殺したり嘘をついたりするのか?と思ったのだが、そうでもないような感じもした。
お金を全部彼女にあげた時は、彼女の気持ちを奪いたいという行動なのかと思ったが、彼女に友達の遺産が行って、その彼女と結婚をするという計略のためだったのだろうか。いろいろな解釈ができる。実のところどうなのだろう。
結末はびっくりした。とにかく面白かった。
思い返せば思い返す程上手くできた映画
演出やセリフに全て意味があり、回収率が高い(見落としている部分もあるかもしれないが)。
しかも、セリフは最低限におさえようとされていて、みてて気持ちがいい。
また、リプレーの心境の変化も分かりやすくよい。
フィリップになりきる間は、マルジェを手に入れることができないがフィリップをリプレーの中で葬ったり、リプレーとしてマルジェを手に入れるも、警察にも犯行がバレる演出がよかった。
また、アランドロンがキザすぎてツボ。
別に悪い意味とかじゃなくて、今のドラマや映画のキザのお手本となったのではないかというくらい、ベタなカンジが素晴らしい。
ぎらつく危険な野心と美貌の主人公
総合:90点
ストーリー: 85
キャスト: 90
演出: 90
ビジュアル: 75
音楽: 80
この映画の見所は、まずアラン・ドロン演じるトムの美貌と、屈折した劣等感からくるぎらぎらした野心溢れる演技である。金持ちの家に生まれたというだけで全てを持っている男フィリップがいる。若くて美男子でいい女を連れて、働きもせずにただ欧州で金を使いまくりの豪遊生活。高級な服に身を包み、自分のヨットで航海し、目の前で女といちゃつかれる姿を見続けなければならない日常。傲慢なボンボン息子を連れ戻し5000ドルの報酬を得る任務はうまくいかず、彼には蔑まれるだけの屈辱の日々。上流社会に憧れながらも、生まれが違うだけでどうにもならない差が、彼の心の劣等感を悪魔に変えていく。トムのほうも若くて美男子であるから、金さえあれば自分だって欲しい物を全てを手に入れられるさ、という野望の向かう先の危うい魅力を感じさせる。
原作を同じくするマット・デイモン主演の「リプリー」はより原作に近い形での映画化らしく、渡欧前のアメリカでの生活までしっかり描かれていて、これはこれでより主人公の劣等感に焦点が当たりそれがよくわかる話になっていて面白い。だがこのドロン版の最初の作品は、主人公の美しさとぎらつく危うさの魅力に溢れている。個人的に今まで見たドロン出演作での最高の作品。
またヒロインのマージェを演じたマリー・ラフォレが、屈折したトムと我儘なフィリップに挟まれながら、唯一の穢れのない純な存在として柔らかな雰囲気を作り出す。トムが唯一純粋に気に入る相手でもある。
もう一つは犯罪物映画としての面白さであり、彼の犯罪計画である。相手の情報を手に入れ相手を殺してすり替わる。口座を押さえ、署名を練習し、パスポートの偽造をし、口振りをまねるところまで手を抜かずに細かくきっちりと撮影する。そのためにこの犯罪が現実的となり視聴者にも迫ってくる。フィリップの彼女に不自然さを指摘されたり、危うくフィリップの知り合いに遭遇し身分がばれそうになったり、警察の追跡をすんでのところで躱したり、さらには警察を騙して利用したりと、常に緊張感を強要される。
気になったのはトムからフィリップの母親宛の手紙。フィリップのものではなく、トムの指紋と唾液がたっぷりとついたものを送っちゃ駄目だろう。ここは数少ない突っ込みどころ。
ここからけっこうねたばれです。注意してください。
そして最後、あれだけの緊張感を強いられた逃亡生活が終わり、きらきらと輝く太陽の下、穏やかな気分で浜辺でくつろぐドロンの姿。全てが終わり、過去の自分にさよならを告げて新しい生活を夢見て、勝利の美酒に酔おうとするその時。物悲しいニノ・ロータの音楽と共に、唯一穢れのない登場人物だったマージュからの絶叫が、トムの作り上げた嘘だらけの物語の中で真実を晒し、物語を結末を見事に締めくくってくれた。
長いこと海の中にあった死体が腐乱しているのではないかとか、何故死体の身元がすぐにフィリップと確認できたのかという部分はたいして気にならない。物語の結末を美しくするために、この程度の演出は許されるべきかな。あまりに現実を追及した結果として、死体が耐え難い腐臭を放っていたりしては、この詩的な結末が削がれてしまうだろう。この作品は美しく儚く終わるのがやはり似合う。
何はともあれ、アラン・ドロン
野心に満ちた若者が、自らの野望を手に入れるため犯罪に手を染め、最後には自滅するというストーリーは数多くあるが、本作を映画史に残る名作たらしめているのは、ひとえにアラン・ドロンの魅力による。単なる2枚目俳優を、ナイーヴで内向的でありながら、時に粗野で自信過剰の要素を見せる主人公の危なげで妖しげなムードを引き出したクレマン監督の手腕に拍手を送りたい(ドロンの魅力を引き出した、もう1人の立役者ヴィスコンティ監督の存在も忘れてはならない)。単純なストーリーを、主人公リプリーの心象をセリフではなく、表情や舞台効果(第一の殺人直後の嵐・第二殺人直後の子供たちの描写・市場でインサートされるエイの映像・そして何よりニーノ・ロータ作曲による哀愁の主題歌など)によって繊細かつドラマティックなサスペンスに仕上げている。リプリーという青年、自分の頭脳(おそらくは容姿の良さも)を自覚してはいるが、上流階級に対するコンプレックスのため、あからさまな自信を得られない。金持ちで、美しい恋人やヨットなどすべてを持ち、自信満々のグリンリーフに憧れと、同性愛的な愛情と、それとは相反する憎悪を抱き、ついには彼を殺し、彼に成り代わることによって金も恋人も、さらには自分への自信をも手に入れようとした。この利己的なナルシシズムが、主人公の最大の魅力であり、破綻を招く原因なのである。グリンリーフの洋服を着て、鏡に映る自分自身にウットリとするシーンは象徴的であるだけでなく、リプリー本人の陶酔が、見ているわれわれにも恍惚感をもたらし、彼が若く美しくあればあるほど、ラストの悲劇がより痛々しくなるのだ(これがドロンのような美形ではない俳優が演じたのであれば滑稽になってしまい、悲劇性が半減してしまっただろう)。ドロンの蒼い瞳を思い浮かべて溜息をつきつつ、余韻に浸るのである。
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